土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『革命機ヴァルヴレイヴ』#12「起動する異端者」の感想。

「ハルトだって、わかってるんでしょ?あれが神憑きの発作だって。ハルトは、わたしたちの総理大臣を助けに行って…。わたし、あの人、嫌いじゃないし。」
『革命機ヴァルヴレイヴ』#12「起動する異端者」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。


 ここまで来ると、この後どう転んだところで、この作品がアニメの歴史に名を刻むことは疑いようがない。特に、ライトノベルの要素を取り込みつつ、オリジナルアニメの立場から批判しようとしている姿勢が垣間見られるあたりが痛快でならない。やっぱり、アニメはこうでなくっちゃ。ライトノベルの提示する主人公像にアニメが軒並み丸め込まれそうな潮流を受け流し、動機ある者としての主体的な行動を描こうとするあたりに本作の真骨頂があるものと思われる。後編に期待大。

■アニメ的にデフォルメされるライトノベルの主人公像

「流木野サキさん、僕と…、結婚してください。」
「えっ…。」
「僕の人生をかけて、責任を取らせて欲しいんだ。」
「バッカじゃないの!?あたしね、アイドルなんだよ??誰か一人のものになるなんて、ありえない。」
「でも…!僕は君に…!!」
「こどもね、ハルトは。あたし芸能人なのよ!?あんなことくらい、もうやりまくり。ハルトにはわからない、おとなで汚い世界にいたの。」
「嘘だ!君はそんなんじゃ!!」
「ハルトだって、わかってるんでしょ?あれが神憑きの発作だって。ハルトは、わたしたちの総理大臣を助けに行って…。わたし、あの人、嫌いじゃないし。」
『革命機ヴァルヴレイヴ』#12「起動する異端者」より

 この安直なハルトの発想が如何にもライトノベルの主人公らしい。セックスしちゃったから結婚しようとか、あまりにもデリカシーがない。そこには、実際の苦悩や葛藤と言ったハルトの「個」に由来する思考が介在しているようには表現されておらず、実際の状況を踏まえた思考がないため具体性にも欠け、むしろ「お約束」や「典型」といった形式に則って行動する様子が浮かび上がっている。いや、言っていることは至極尤もではある。しかし、どうにもハルトの発言にはハルトだからこそ言えるはずの中身が感じられない。神憑きの発作であることがわかった上で発言しているならば、サキに意表を突かれたところで気持ちが揺らぐはずがない。それなのに、ハルトはあっさりと話を流してしまっているあたりが、ライトノベルの主人公らしく主体性のなさを露呈しているように感じられてしまう。自分で判断をせず、周囲の環境に応じて思考し、他者から動機を与えられ、それにもかかわらず、あたかも自身が主体性ある行動を取っているかのように自ら錯覚する。ここらへんがライトノベルの主人公像として共有されているものだろうか。ハルトとショーコも同様の資質を有すると思われる。
 一方、流木野サキはオリジナルアニメの主人公らしく、ひどく葛藤する。ハルトとの会話を終えた後、胸を抑える表現は印象的だった。結局のところ、意図してハルトとのセックスに応じたものの、二人ぼっちになることはできなかった。ハルトはデリカシーの欠片もない求婚を迫るが、サキの欲しかったものは、そんな形式ばったものではなく、単にサキを素直に見つめてくれる愛情だったのではないだろうか。ハルトの気持ちは常にショーコに向けられており、セックスをしたところで純粋な愛情が自分に向けられることはなかった。それが今回の一件で証明されてしまい、結局は一人ぼっちであるという絶望感に打ちひしがれた。実を伴った心情の変化が感じられ、その葛藤する様はオリジナルアニメの主人公としてしばしば見られる特徴として挙げることができるのではないだろうか。
 要は、ハルトやショーコといった主人公サイドはライトノベルの主人公像を宛がわれ、脇役たるサキ・キューマ・ライゾウといった人物にオリジナルアニメの系譜に見られる主人公像を託した。そのコントラストが鮮やかに出ている。本来ならばオリジナルアニメである本作はサキ・キューマ・ライゾウといった人物の持つ資質が主人公に与えられて然るべきだろうけど、そこは流行りに乗ってライトノベル的な主人公を中心に据えるあたりがエンターテイメントなんだろうか。しかし、そこにこそオリジナルアニメの意地の見せ所があり、単にライトノベルの主人公を取り入れるのではなく、それをオリジナルアニメ的にデフォルメして作中の素材として扱っているあたりが上手いところだと思う。まさしく、主人公と脇役の対比が、そのままライトノベルとオリジナルアニメのせめぎ合いと符号している。

■異端者の物語

「ここには嫌いな人がいない、バカは自動的に淘汰される、クリーンでジャスティスな、私だけの世界。」
『革命機ヴァルヴレイヴ』#12「起動する異端者」より

「わっ、私が一人でいいって言ってるの。いらない、来るなっ!」
「声も、笑顔も、体温も、全部なくなっちゃうんだよ!?もう二度と会えないし、話せない、憎めない、触れられない!」
「あっ、あなたもどうせ同じ、わたしを笑って、哀れんで、外に出ろってわたしを怒る!!」
「もう怒ってるよ!!」
「ほら、やっぱり…。」
「だって、友達だもん!!」
『革命機ヴァルヴレイヴ』#12「起動する異端者」より

 他の見方をすれば、ハルトとショーコは「正統」であって、サキ・キューマ・ライゾウ・アキラは「異端」と見ることもできる。前者が公共における最大公約数的な体のいいお題目ばかりを発言するのに対し、後者は自らの置かれた境遇と向き合って思考している点で対照的と言える。しかしながら、今回のサブタイトルである「起動する異端者」の指す「異端」とは、おそらくカインのことであり、マギウスのことだろう。どちらにせよ、人間の一般的だったり公共だったりするルールから外れた存在ということでは意味を同じくするものと考えられる。
 今回はアキラが自分らしい「わたしの武器」を手に入れる話でもあった。ヴァルヴレイヴという機体が、脇役たちにとって自分と向き合う道具立てとなっている点で今までと同じ流れを汲む。自分ではないものを忌み嫌って排除しようとするアキラだったが、自分の特技を生かした武器を手に入れることによって、他人と接触することが可能となった。端的に物語がまとめられてはいるが、これはオリジナルアニメで取り上げられる自我獲得の物語の文脈を引くものと見ていいだろう。
 その一方で、ショーコの公共性というか正統性というか一般性というか、無責任な体のいい発言がぶつけられる。ショーコはアキラの笑顔をどれだけ見たことがあるというのか。なんだかカッコのいいことを言ってヒーローっぽいカリスマ性を感じさせはするものの、中身はすっからかん。具体性がない。

■動機を獲得する脇役たち

 何度も取り上げてきたが、この作品の枠組みはオリジナルアニメとライトノベルのコントラストによって構成されている。それが、異端と正統の対比であり、それぞれの正義とみんなの正義の相剋でもあり、個性と公共の対立の図式を端的に示している。オリジナルアニメが積み上げてきた歴史を前進させる内容であり、なおかつ、現在のアニメの状況を踏まえた作品として評価されて然るべきだろうと思う。
 そもそもアニメの歴史を簡潔に総括するならば、まずスーパーロボットの時代には「みんなの正義」が提示され、それを『機動戦士ガンダム』が「エゴ」の名のもとに「それぞれの正義」を展開して打破した。以前は正義はひとつと捉えられて絶対悪を敵として描いていたところ、敵にも正義があって人と人が戦うという構図へと導いたというのが『機動戦士ガンダム』のアニメ史的な意義と言える。ここらへんの流れは『機動戦艦ナデシコ』が劇中劇を用いながら見事に整理している。そして、『新世紀エヴァンゲリオン』は、本来ならば脇役の気質を持つ碇シンジを主人公に据えることにより、誰しもがガンダムで言うところの「エゴ」を持つべきだと主張した。何も、エゴを持つのは主人公たるアムロ・レイだけではないということを提示したと言い換えてもいいだろう。エヴァは脇役も主役ばりの個性を持つ時代の到来を告げ、脇役であるシンジが主役として成長する物語を描いた。このようにアニメは多くの場合、自我や個性の獲得を子どもの成長に仮託して描いてきた。ここでは具体的に触れないが、『交響詩篇エウレカセブン』や『天元突破グレンラガン』といった作品も同様の流れを継ぐ作品と言える。また、『コードギアス 反逆のルルーシュ』はナナリーという弱者を虐げるブリタニア(=公共)を敵として用い、社会のルールそのものを悪として打倒する物語を展開した。これもまた、ルルーシュやナナリーといった個性を発現させる内容であり、「それぞれの正義」を別の視点から捉え直した作品として評価される。大まかに言えば、これがオリジナルアニメの歴史であり、核心と考えていいだろうと思う。
 しかし、その一方において、ライトノベルの台頭には目覚ましいものがある。よくアニメとマンガとライトノベルは同質のジャンルとして取り上げられるが、その本質の部分は大きく異なる。特に、ライトノベルだけは異質と言っていい。アニメとマンガが個性のジャンルだとすれば、ライトノベルは公共のジャンルとなる。そこで描かれる主人公は周囲の状況に流される受け身の姿勢を基本とし、主体性や自発性といった要素は皆無である。極力、読者にストレスを与えないように工夫され、極論してしまえば、まるで現在の読者自分がそのままの資質で社会的に価値を有し、社会一般に認められるだろうとうような心地良さをもたらす。そのため、主人公は葛藤すること少なく、悩んだところで事態は他者によって牽引される。
 したがって、オリジナルアニメとライトノベルとは、相容れない性質を持ったものとして捉えられるべきだろう。にもかかわらず、昨今はライトノベルの台頭に押され、アニメもライトノベルの内容に傾きつつある。
 このような状況を総括し、作中の素材として取り入れたのが本作だろう。さらに言えば、本作は主役と脇役の逆転を象徴的に整理して提示した。つまり、『新世紀エヴァンゲリオン』は本来ならば脇役であるはずの碇シンジを主役として扱ったところに意義があったが、本作は主役が持つべき性質を脇役に置き換えて持たせたところに真骨頂がある。オリジナルアニメの本質が主人公の自我獲得を描くことにあるとすれば、本作は明らかに失敗しているだろう。ハルトやショーコは自らの動機に向き合うことなく、状況によって行動を変えるだけの人形に過ぎない。彼らに主体的な意志はない。これはライトノベル隆盛の現状を踏まえた設定であり、それを受けて、本来は主人公に与えられるべき資質を脇役であるサキ・キューマ・ライゾウ・アキラに移した。実のところ、オリジナルアニメの立場からすれば、彼らこそが主役なのだ。主役が動機を失っている描写はライトノベルに対する皮肉とも受け取れる。このコントラストこそ、本作の本意と受け止められるべきだろう。
 そして、この設定は作中に留まらない。しばしば描かれる一般大衆の無責任な野次は視聴者をも作中に取り込む装置として機能する。要は、お客気分である。主体性を持たないお客さんのような人物を主人公として置いたのは、ライトノベルの台頭を受けるものであり、それは同時に、視聴者の感情移入を呼び込む最善の方法と判断されたからだろうと思われる。つまり、視聴者自身に主体性が失われていることの裏返しでもある。事態に責任を持つことなく、自らの身を常に外野に置き、観客としての立場で臨む。オリジナルアニメが連綿として描いてきた自我獲得の物語を受け入れられず、ライトノベルの安易さに流される時代に対する風刺ではないだろうか。この社会に対する風刺を含むこともまた、オリジナルアニメの系譜を継ぐ作品であることの徴証として数えるべきだろう。



 さてさて、前半戦が終わりました。サキの大人バージョンが冒頭に出たことにより、サキの生存が確定。となると、よりショーコの死亡率が高まったかなwカインの覚醒によって、「我が一族」とか「不死身が第三世代」とか「マギウス」とか新しい用語も盛りだくさん。わくわくすっぞ。そして、本当に悠木碧さんの演技は絵柄を越えている。松尾監督とは『紅』以来のお付き合いですね。そして、大河内一楼さんの脚本の見事なこと!ご都合展開をやるなら、これくらいの意義を持たせてくれるのが正しい。BLと言い、ラノベと言い、アニメ的なものと言い、相変わらずエンターテイメントとクリエイティビティーの両立が果たされていて巧妙極まりない。後半がどんな展開になるのやら。

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2013/07/29(月) 22:04:38|
  2. 革命機 ヴァルヴレイヴ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8

コメント

>ショーコはアキラの笑顔をどれだけ見たことがあるというのか。
あれは父親の死の直後であり、その笑顔を意識しての台詞なんですが。

>サキの大人バージョンが冒頭に出たことにより、サキの生存が確定。
冒頭のシーンは200年後のものなので、大人になったとうより成長してないというのが正しい。


長々と書いてる割に全然理解してないんですね
  1. 2013/07/30(火) 22:12:44 |
  2. URL |
  3. #-
  4. [ 編集 ]

コメントありがとうございます(^_^)
以下、長々と書いてしまいましたが、お返事です。

> >ショーコはアキラの笑顔をどれだけ見たことがあるというのか。
> あれは父親の死の直後であり、その笑顔を意識しての台詞なんですが。
ご指摘の通り、ショーコの父親の死を受けて、「声も、笑顔も、体温も、全部なくなっちゃうんだよ!?もう二度と会えないし、話せない、憎めない、触れられない!」というセリフが、自身の体験を元に出てきたものと理解しています。死んでしまえば、もちろん笑顔など見られなくなってしまう。このセリフの背景にショーコ自身の父親の死があることは疑いようがありません。そのため、「死んでもいいなんて、そんなわけないよっ!」とアキラの「外に出るくらいなら死んだほうがマシ。」というセリフに反発する場面も描かれました。
とは言え、父親の死の直後にあって、このセリフをアキラのことを考えての内容と受け止めるには、文脈が省略され過ぎているように思います。それこそ、ライトノベルのひとつの手法であり文体なのだとは思いますが、ショーコが父親の死を受け入れて乗り越える過程は今のところ描かれていません。その場面なくして言うには、このセリフの内容は空虚さが目につきます。したがって、このセリフはショーコの乱れた内心を表したものと理解することが穏当なところであり、ショーコのエゴが発露したものと受け止めるべきではないかと思います。
また、アキラがイジメられていたという過去をショーコは具体的に理解しているわけでもなく、その状況下では、このセリフにはショーコの考えを一方的に押し付けるだけという強引さを感じます。しかし、言っている内容はアキラのためを思っていることを装っています。この、セリフの表に見られる「アキラのため」という体面と、その内実である自身の乱れた内心との間に、大きなギャップがあるように思います。ショーコがアキラの友達になりたいという動機や必要性が具体的に描かれていない点も不審な部分ではあります。
やはり、このセリフはショーコにとって体の良い発言であり、さらに言えば、ショーコの自己満足を導くためのものと考えられます。アキラの具体的な状況や思考や個性といったものは取り挙げられていません。そこで、「ショーコはアキラの笑顔をどれだけ見たことがあるというのか」と指摘しました。

> >サキの大人バージョンが冒頭に出たことにより、サキの生存が確定。
> 冒頭のシーンは200年後のものなので、大人になったとうより成長してないというのが正しい。
確かに、大人バージョンと言うには語弊がありました。
言い改めれば、「200年後にもサキは生存している」ということですね。
不死であることは確認されていますが、不老であるかどうかは興味深いところです。
この記述は、成長の度合いに関わらず、「サキが生存している」という点を指摘することに目的があったものです。

> 長々と書いてる割に全然理解してないんですね
理解の及んでいない部分も多くありますので、ご指摘を頂けると助かります。
半ば見たままの勢いで取り留めもなく書いていますので、整理のつかない内容ともなっており、申し訳ありません。
ただ、理解していないと指摘されるのであれば、その部分を具体的に書いて頂きたい。
「全然」理解していないと言うほどには、ご指摘の部分は論旨の中心を聊か外れたものであり、挙例の数も少ないため、論理に飛躍があるように感じてしまいます。

そんな手間を割くほど義理はない!ということかと思いますが、あしからず、お汲み取り頂ければ幸いです。
  1. 2013/08/02(金) 01:21:11 |
  2. URL |
  3. 土星蜥蜴 #-
  4. [ 編集 ]

>ショーコが父親の死を受け入れて
まずこれが間違いです。
後にハルトが自分がショーコの父親の死に関わったことを知るであろうことを考えても、ショーコが父親の死を乗り越えているわけがない。
あのシーンは父親の死という悲しみを抑えつけても友人を助けに行こうというシーンであり、台詞もその表れ。
それを空虚だといい、サトミもアキラの生存を望んでいるのにショーコの自己満足だと断ずるあなたは偏った見方をしていると言わざるを得ません。

全然理解していないというのもそのためで、あなたはハルトとショーコはラノベ的主人公、サキ等はオリジナルアニメ的主人公という思い込みに固執し、それに適合するように解釈を捻じ曲げているんです。
有名になりたいという思いはいつの間にか消えさり、ハルトが獣になったらころすとまで言ったくせに、すぐに暴行を受け入れたサキこそブレブレで状況に流されているだけだというのに。
  1. 2013/08/02(金) 23:24:44 |
  2. URL |
  3. #-
  4. [ 編集 ]

コメントありがとうございます(^_^)

お返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。

>ショーコが父親の死を乗り越えているわけがない。
大いに賛同します。ひとつ前のコメントでも「ショーコが父親の死を受け入れて乗り越える過程は今のところ描かれていません。」と書いた通りです。同じことを指摘しているものと思うのですが、どこか違うところがありますでしょうか?


>あのシーンは父親の死という悲しみを抑えつけても友人を助けに行こうというシーンであり
これも同意します。ショーコにとって、父親の死は簡単に乗り越えられるものではありません。彼女と父親の関係の親密さは#11「軍事法廷54号」での描写から最もよく理解できるものと思います。たとえば、以下のようなセリフがありました。

「わたし、この戦争に巻き込まれるまで知らなかった。安全に暮らせるって、すごく幸せなことなんだなって。その平和はタダじゃなくて、誰かが守ってくれてたものなんじゃないかって。だから、今度はわたしが…!」
#11「軍事法廷54号」より

ここでの「誰か」とは、ショーコの父親のことであると考えられます。自分の父親と同じである総理大臣という立場になったことで、今までの日常が父親たちの力によって築かれてきたものであると気付いたという脈絡と解釈することが穏当なところでしょう。それだけ、ショーコが父親の仕事を誇りに思い、尊敬の念を抱いた場面であったとも思われます。(ただし、この「誰か」はハルトのことも含めて指している可能性も残っています。)また、念を押して例を挙げれば、「お父さんを過去にしないで!死んだことにしないで!」(#10「恋の選挙公約」より)ともありました。ショーコにとって父親が如何に大切で大きな存在であったかは、これらによって明白だと思います。


>台詞もその表れ。
おそらく、ここでのセリフの解釈が大きな相違点であると思われます。
まず、ここで指摘されている「台詞」とは、以下の内容で間違いないでしょうか?

「声も、笑顔も、体温も、全部なくなっちゃうんだよ!?もう二度と会えないし、話せない、憎めない、触れられない!」
#12「起動する異端者」より

ご指摘の端緒も前回のコメントに見られる通り「笑顔」の解釈からでしたので、おそらく、このセリフを指してのものかと推察しております。以下、その体で答えを進めます。

先ほども例示した通り、ショーコの父親に対する思い入れの深さは並大抵のものではありません。次のセリフのように、みんなの命と父親の命を天秤にかけた状態であっても、判断を迷うほどです。

「どうする…?どうすればいい。作戦、ヴァルヴレイヴ、戦争、学校、お父さん…。考えろ、考えろわたし!」
#12「起動する異端者」より

そして、ショーコは主体的な判断を行うことがないまま、事態は意を介さずして無情にも進んでしまいます。迷っている間にヴァルヴレイヴのハラキリブレードが発動してしまい、父親の乗っている艦船は撃沈されています。ショーコはただ静観するしかありませんでした。

さて、問題はここからです。ショーコは大勢の仲間の命と比較しても、なお父親の命を捨てる覚悟を自ら決することができませんでした。それほど大切な父親であったということであり、それが強調された表現でもあったと思います。
では、なぜ大切な父親の死という悲しみを「抑えつけ」ることができたのでしょうか。当然、父親の死を乗り越える場面は描かれておらず、また、悲しみを抑えつける場面すら省略されています。素直に考えれば、ショーコは自身の無力さに苛まれて、放心状態に陥っていてもおかしくない状況だと思います。
しかし、ショーコは連坊小路サトミからの連絡を受けたことにより、アキラの救出に走り出します。そして、問題となっているセリフが登場する流れとなります。

まず確認しなければならない事実は、ショーコが父親の死の悲しみという感情的な底辺にあったにもかかわらず、アキラ救出に際しては笑顔になっているということであり、最も問題なのは、そこでの文脈が飛躍しているということです。この、悲しみから笑顔への飛躍はどう説明されるのでしょうか。また、それを説明するに足る具体的な表現が作中にあるのでしょうか。
このような、文脈の省略や飛躍こそ、ライトノベルに特徴的な文体だと考えています。ショーコの主体的な判断も見受けられません。勝手にハラキリブレードは発動してしまい、サトミの呼びかけによってアキラの救出に乗り出したのも、ショーコの内発的な動機に端を発したものではありません。ライトノベル的な主人公であると考えられる根拠は作中に少なからず見出すことができます。

まず、あなたの解釈を具体的に伺いたい。前のコメントでは「その笑顔を意識しての台詞」とあり、今回のコメントでは「台詞もその表れ」とありました。どちらも指示語が何を指し示しているのか曖昧であり、具体的な論は見られません。ぜひとも、あなたが「笑顔」のセリフをどのように解釈したのか、作中の表現に根拠を求めながら明示して頂きたい。いつでも拙稿に対するご批判は大歓迎です。


以下、手短に。

>それを空虚だといい
空虚だと言った最大の理由は、先に示した文脈の飛躍にあります。
悲しみの底にいるはずのショーコが、なぜ笑顔になれるのか。また、アキラの笑顔を見たこともないのに、アキラに「笑顔がなくなっちゃう」と言えるのか。その解釈は、今のところ作中で具体的に表現されることなく、視聴者に委ねられています。視聴者側の任意の解釈を放棄するならば、作中に文脈や根拠が示されない以上、あの笑顔は空虚さの目立つ表現と言い得ます。また、この「視聴者に解釈を委ねる」点と「視聴者が任意に解釈を行う」点もライトノベルという現象の一部であると理解しています。

>サトミもアキラの生存を望んでいるのにショーコの自己満足だと断ずる
これは、あなたの誤解です。ショーコの自己満足だという判断(多少、過激な表現を使ったと反省してはいます。ただし、言わんとする方向性に違いはありません。)は、アキラを救出する具体的かつ内発的な動機を獲得できていないショーコにとって、その一連の行動は自己満足しか導かないという意味合いで指摘しました。そこにサトミの意志は関係ありません。ショーコ内部の問題として取り上げています。
サトミが望んでいることをショーコが実行したから、それはショーコの自己満足ではない、と考える論理は因果関係が結びついておらず首肯されません。また、積極的な反証とはなっていません。ショーコが奉仕する人間だ、という論を立てるのであれば、それはまた話が別になります。

>偏った見方をしていると言わざるを得ません
論拠不十分、かつ、あなた自らの解釈を提示していない以上、その上に成り立つ結論は誹謗中傷の体を為す以外に他の意味を見出せません。「偏った」と指摘するのであれば、その根拠を丁寧かつ具体的に指摘するのがマナーだと思います。

>全然理解していない
前回と同様です。「決して」や「全然」や「断ずる」といった表現は、相当の根拠を明示しない限り使うべきではありません。単なる空虚な誇大表現となります。

>思い込みに固執し、それに適合するように解釈を捻じ曲げているんです。
これは大いに恐れるところです。常に、自分でも注意を払おうと心がけています。そのため、ご指摘頂くことは有益であり、ありがたいことと感じております。
ただ、「解釈を捻じ曲げている」と指摘されるのであれば、どの部分がどのように捻じ曲がっているのか具体的に根拠を示しながら指摘して頂きたい。今回のショーコの笑顔に対する論を、そのままハルトやサキをも含めたオリジナルアニメ的主人公とライトノベル的主人公の対立論へと敷衍して批判へと結びつけるには、あまりにも飛躍があり過ぎます。これもまた、単なる空虚な誇大表現だと感じます。そして、ここでもまた、あなたのハルトやサキに対する解釈を伺う必要があります。

>サキこそブレブレで状況に流されているだけ
これは大いに誤った解釈だと思います。サキはブレているのではなく、心情が揺れ動いているのです。人の感情や判断が固定的であるわけがありません。また、そうある必要性もありません。常に変化を見せるのが人の気持ちだと思います。自分の気持ちと他者の気持ちの間で葛藤し揺れ動くからこそ、その間に主体性が見出されるのです。自己と他者が対照されてこそ、初めて自己を確認することができるのではないでしょうか。感情が固定的であるのであれば、それは他者の意見や存在を受け付けないということにもつながります。その場合、相対的に考えて自己や主体性など生じるはずもありません。翻って、サキは自ら思考しているのであり、だからこそ揺れ動いているのだと思います。
サキの理解や解釈があなたと大きく違う点は興味深いことだと思います。これが今回の問題の根源なのかもしれません。あなたは人の感情を固定的に捉えたいという願望があるのですか?確かに、そう考えるのであれば、ショーコに対するあなたの理解が導かれる根拠も推察することができます。つまり、あなたもまた、自らの根拠なく曖昧な解釈をショーコに押し付けて信じ、それで自己満足を果たしたいのです。その信じるところを否定する記述がこのブログにあったからこそ、批判しようとしているように思います。作中から根拠を明確に提示されていないのも、作中には根拠がないからなのではないですか?それこそ、「視聴者の行う任意の解釈」であり、過激な表現を使うならば、あなたもまた、ライトノベルという現象に取り込まれているのだと感じてなりません。
念のため付け加えますが、こちらの論は作中の具体的な表現に依拠した上で論証を進めています。それは上述の通り、セリフの引用や前後話数における文脈の補足によって支えられています。それに対して批判するのであれば、具体的な反証を提示する必要があると考えます。あしからず。

>サキこそブレブレで状況に流されているだけだというのに。
この文末の表現は説明文としては不適切です。「だというのに…」に続く文章を省略せずに記述しなければ、伝えようとしていることが明確に伝わりません。あなたの記述方法は全体的に曖昧さが付きまとっています。先に示した指示語の扱いや前回コメント「台詞なんですが…」や今回コメント「だというのに…」などの余情表現は改善して頂きたい。さらには、文章のごく一部だけを取り挙げて、文脈や文章全体の趣旨を理解しないまま論じる傾向も見受けられます。冒頭の「>ショーコが父親の死を乗り越えているわけがない。」のように、双方とも同じことを指摘していたにも関わらず、間違っていると誤解しているのが典型的な例でした。これと同様の傾向が作品理解にも見られ、どうやら部分的なワンセンテンスだけを取り挙げて、内容を把握しようとする癖があるように見受けられます。当然の如く、部分だけを取り挙げれば、あなたの解釈も妥当なように感じられなくもありません。



手短にと言いながら、ずいぶんな長文になってしまいました。
『相棒』に登場する右京さんの言うところの「悪い癖」というものでしょうか。
あくまで単なるブログの雑多な記事ですから気楽にと思ってはおりますが、ご批判されるのであれば、いわゆる反証可能性に配慮された内容をお待ちしております。
  1. 2013/08/05(月) 03:13:33 |
  2. URL |
  3. 土星蜥蜴 #-
  4. [ 編集 ]

まずショーコについて。
あなたはショーコは父親の死を乗り越えているのにその描写がないと前回の返信で言っています。
今更ごまかさないでいただきたい。
そうでなければショーコは友人を助けるために一時的に悲しみを抑えているだけで、友人を助けるためなら笑顔にもなれるということが分かるはず。
紛れもなくショーコの想いから出ている動機です。
それを空虚だなんだと言ってるからあなたは自分の思い込みに合うよう描写を捻じ曲げて解釈していると言っているんです。
また、ショーコがみんなの命と父親の命で迷ったというのも間違いです。
敵方の要求を突っぱねた時点でみんなの命を最優先にしています。
そのうえで父親の命も救う方法がないかどうか考えていたわけです。
堂々と嘘を書かないでくださいね。

次にサキについて。
せっかく具体的な描写を挙げたのに抽象論に逃げたのはなぜですか?
有名になりたいという思いも、ハルトをころしてあげるという気持ちもいつの間にか消えており、葛藤でもなんでもないですよ。
ブレブレで受身なだけのキャラですね。

私の文章表現について。
あなたのサキに対する人物像が間違っている以上、物語全体に対する理解も大いに誤っています。
だからあなたが全く物語を理解していないという指摘も間違った表現ではないでしょう。

最後にあなたの文章表現について。
>多少、過激な表現を使ったと反省してはいます。
反省しているというのなら訂正してはどうですか?

  1. 2013/08/05(月) 19:26:42 |
  2. URL |
  3. #-
  4. [ 編集 ]

傍から見ると何も個人のブログにそんな必死にならなくても…と思ってしまいます
土星さんも他の記事に取りかかってはどうでしょう
あまり言いたくはありませんが、このアニメの話題は何故かどうにも荒れやすいものですので
  1. 2013/08/06(火) 04:16:07 |
  2. URL |
  3. #3NI2rGKY
  4. [ 編集 ]

土星蜥蜴です、こんにちは(^_^)
コメントを頂きまして、ありがとうございます!

いろいろと解っていながらも楽しくなってしまい、ついつい長々としたお返事をしてしまいました。
他の記事が進んでいないのは、単なる怠慢です。が、とにかく、前期のまとめをやらないといけないとは思っています。そうなんです、ガルガンティアで詰まっています。
それにしても、このアニメが荒れやすいというのは興味深いところです。それも含めて、大河内さんの術中ということなんでしょうか。
フォローコメント、ありがとうございました。

また、もとより、「ショーコの笑顔」に関するお返事は繰り返さないつもりです。
新しいコメントを頂きましたが、それに対応するお答えは既に前回のコメントでおおよそ尽くしたものと考えております。したがって、そちらをご覧ください。
この議論についても、これで打ち止めにしたいと思います。

ただ、一点だけ誤解を招く恐れのある部分がありましたので、念のため、補って解説しておきます。

>あなたはショーコは父親の死を乗り越えているのにその描写がないと前回の返信で言っています。

×ショーコは父親の死を乗り越えているのにその描写がない
○ショーコが父親の死を受け入れて乗り越える過程は今のところ描かれていません

コピペすれば済むことですので、引用される場合には正確を期してください。
ショーコが父親の死を乗り越えているとは書いていません。「受け入れて」も「乗り越える」も文全体の主語である「過程は」を修飾するものであり、それを「描かれていません」と述部にて否定しています。
蛇足ながら、誤解なきよう。

いずれにせよ、コメントを頂けることはありがたいことだと感じています。
引き続き、宜しくお願いします。
  1. 2013/08/07(水) 01:59:46 |
  2. URL |
  3. 土星蜥蜴 #-
  4. [ 編集 ]

>新しいコメントを頂きましたが、それに対応するお答えは既に前回のコメントでおおよそ尽くしたものと考えております。

それが間違っているから指摘したんですよ。


>ショーコが父親の死を受け入れて乗り越える過程は今のところ描かれていません

乗り越えていないんだから描かれていないのは当然。
乗り越えていないと分かっていたならこの一文はおかしいですね。
やはり後からごまかしているようにしか思えません。
  1. 2013/08/07(水) 19:07:17 |
  2. URL |
  3. #-
  4. [ 編集 ]

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