土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『∀ガンダム』全50話の感想。

「ディアナ・ソレルからディアナ・ソレルへ…」
「キエル・ハイムからキエル・ハイムへ…」
「また、お会い致しましょう。」
「また、お会い致しましょう。」
『∀ガンダム』#35より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。


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 一週間ほど前には見終わっていたのですが、タイミングを逃して感想が遅れました。50話ぶっ通しで見たためか、50話のラスト15分間は充実した気分に浸っていました。作品として完成度も高いと思いますし、さすが「ガンダム見るなら、ファーストと逆シャアと∀を!」と言われるだけあって、実に良作だったと思います。
 やっぱり見ながら「それは、エゴだよ!」と何回も叫びそうになりましたw逆シャアを見たときもそうだったのですが、ガンダムのキャラって基本的にワガママですよね。。。特に、泣き虫ポゥなんかは登場しただけでイラっとしますwガンダムを見るのが後回しになったせいか、どうもガンダムの世界観に慣れるのに時間がかかります。普通?はガンダムを見てから他のアニメ作品にっていう流れが安易に想像できますが、自分の場合は逆になってしまいました。なので、この感想も逆視点、つまり一般的には「ガンダムに比べてこの作品は…」となるのでしょうが、ここでは「他の作品に比べて『∀ガンダム』は…」となります。

 まず「ボーイ・ミーツ・ガンダム」とでも言えばいいのでしょうか、ある日突然、主人公が戦いの重要な鍵を握るほどの戦力となる「兵器」に出会う設定は相も変わらずです。ガンダムが起源なのかは知りませんが、このパターンのアニメを挙げればキリがないほど多いですし、今でも用いられています。優秀な設定なんでしょうかwそして、主人公が戦いに疑問を持つことも「お約束」です。訓練された兵士ならそんなこともないんでしょうけど、素人が世の中を動かせる兵器を手にするから客観的な視点を持ち込むことができるんでしょう。さらには、視聴者も素人なわけですから、その視点から物語を展開できますし、戦いを経験する中で主人公の成長も描けます。まぁ、主人公が子どもならなおさらジュブナイル的な要素として好都合なんでしょう。
 でも、主人公のロラン・セアックって結局は存在感がなかったw珍しい。。。だって、ガンダムにして名言と思えるような発言がないんですよ?wなんだかボンヤリしていて昼行灯と言うのがピッタリな主人公なんです。主人公というより名脇役と言ったほうが正しいんじゃないだろうか…。
 そのかわり、ロランを取り巻く三人の女性が強烈です。それはディアナ・ソレル、キエル・ハイム、ソシエ・ハイムなんですが、いやぁ、みんなワガママと言うか身勝手と言うか…w自由奔放に作中で駆け回ります。ただ、ロランが名脇役だからこそ、この三人の心情や人間関係が引き立っていることは確かだと思いますし、それが『∀ガンダム』の完成度の高さに結びついているのではないでしょうか。たとえば、ソシエがロランに対して好意を抱いているだろうことは初回から匂わせているのですが、当然ロランは気付くこともなく、ソシエも無自覚なのか気付かないロランへの宛て付けなのか途中でギャバン・グーニーからのプロポーズを受けたりします。なんとギャバンは爆死しますが…。いわゆる死亡フラグってやつですよねwそして、最終回になって、やっと、やっと二人はキスをしています。ただし、それはお別れのキスであって、その後にソシエはヤケになって川にロランの思い出キンギョを捨てています。50話を通してこのソシエの歯がゆいほどの恋心が貫かれるわけですが、これというのもロランが鈍感であったからこそ成り立ったんだと思います。他にも、ソシエが面倒を起こしてロランが解決するというパターンはよく見られましたし、ムーンレイスにしか理解できない感情・地球人にしか理解できない感情のどちらにも配慮できるのはロランその人でした。なんにせよ、ロランは徹底した女房役・調整役としての異色の主人公だったんだと感じました。

 もう一点、世界観の構築が他の多くのアニメとは異なることは興味深かった。『∀ガンダム』の場合は世界観云々よりもまずキャラクターが緻密に作り上げられているのが特徴であり、どんな端役でもきちんとした人格が与えられている点こそが、なかなかの労作だなぁと感じさせるポイントでした。コレン・ナンダーがはじめて地球に降り立ったときに到着便の品目チェックをやっているメカニック?みたいな女の人や、メシェー・クンの彼氏になれたのか不明なムーンレイスの男性など、短いセリフしか持っていないにも関わらず存在感を持つキャラが多かったように思います。その場限りのキャラというわけではなく、そのキャラクターがどんな人生を歩んできたのか感じさせるような深い設定を感じます。だから、世界観の構築や物語の展開にキャラクターが「利用」されるのではなく、キャラクターがいるからこそ物語が展開するし、キャラ同士のやり取りから世界観が立ち上がってくることになります。これはキャラクターがしっかりしているからこそ可能となる方法であり、最近のアニメには見られないものだと思います。
 最近はと言えば…、キャラが使いまわしされているようにしか思えませんw顔はみんな違うし、声も違うんだけど、発言内容からして「らしさ」が出てこない。いや、語尾の言い回しや言葉遣いでキャラの差別化はされてるんですけど、発想の時点では全キャラが同じ脳みそでつながってるんじゃないかと思えるほどヒドイwさらには、「ツンデレキャラ」や「メガネ美少女キャラ」や細かいものでは「双子キャラ」「巨乳キャラ」「女の子みたいな男の子キャラ」など、「○○キャラ」と括られてしまうほど劣化している。むしろ、意図的にキャラの使いまわしが行われていて、視聴者もそれを望んでいるといったほうがいいんでしょうか。まことに遺憾ですw
 そんな中で作られる作品ですから、当然、世界観や物語が前提として規定路線を示しており、それぞれのキャラクターは製作者の手のうちで踊っているだけです。別にその方法が悪いわけではなく、むしろ作家性のある作品であれば世界観が先立つことは間々あることだと思います。だけど、あまりにも悪い点ばかりが目立つ。『∀ガンダム』のキャラは、たとえば、ロランってどんなキャラに似ているか、ソシエってどんなキャラに似ているか、と言われても、なかなか近いキャラを挙げることができません。また、『∀ガンダム』のキャラは黙っていても何を言いたいのか想像がつきます。その一方、最近のアニメ(具体名は避けますwというより、ほとんど…?)は似ているキャラばかりですし、黙っていても何も伝わりません。デザインが重視されるばかりでキャラの人格が立っていないからです。こんな風に比較してみると、『∀ガンダム』がどれだけキャラクターを大事にしているのかが伝わってきます。
 なんというか、近年、作られるアニメの数はものすごく多いんですけど、「手塩にかけて育てたアニメ」と思える作品は少なくなったように思います。商業主義の成れの果てでしょうか、横槍の入らない自由で創造的な製作環境って大事なんですね。。。

 他にも『∀ガンダム』では「人間の愚かさ」「戦争の意味合い」「世界と自己との関わり」などなど幅広いテーマを内包していると思います。キャラも含めて細やかな設定は無駄と思えるほど気付く点は多いのですが、それが却って世界をリアルに見せる演出として大きな役割を果たしていると感じました。やっぱり『∀ガンダム』の特徴は「人間本位」になるんでしょうか、それぞれがワガママだからこそ意見が対立したり行動の衝突が起こったりして、そこに葛藤や矛盾が生まれてひとつのドラマが生じるんだと思います。ただし、今の時代にこの作品を作ってもウケるような気はしません。それか限定的な層にのみ受け入れられると思います。今では、それぞれのキャラが個性的すぎて「ウザい」と思われること請け合いですw
 最後に、ディアナ・ソレルってひどいと思ったのは自分だけ?w結局、キエルに月のことを投げ出したと見てもいいんですよね。。。小説とかは読んでないんでわかりませんけど。なんだか自分の運命を人に押し付けたような気がして…wただ、最終回の時点では「ディアナ・ソレル」を形作るものとして、もはやキエルは不可欠な存在だったわけですし、社会的には二人でディアナであり二人ともディアナだったわけですから、何ともいえませんが。キエルがハリー大尉を好きになったのも環境がそうさせたように思えてなりません。
 あ、一番好きなキャラはいじめっ子のリリ・ボルジャーノですw

  1. 2009/04/16(木) 21:39:15|
  2. ∀ガンダム
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