土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

『化物語』#10「なでこスネイク其ノ貳」の感想。

「我慢しなきゃいけないのが、そもそもおかしいんだよ。痛いときは痛いでいいんだ。」
「その通りだぞ。縛られるだけならまだしも、縛られっぱなしというのは、存外、肉体的にはキツイものだからなぁ。」
「縛られることをまだしもと表現する理由も、暗に精神的なキツさを除外した理由も、僕には解らないよ、神原!」
『化物語』#10「なでこスネイク其ノ貳」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。


--------------------------------------------------------------

 いやぁ、更新が遅れました。。運動不足が祟ったようで、まだ身体中が痛くてたまりませんw来年はお祭りの前には体力作りをやらないといけないですね。。。
 さてさて、人目を惹くためのアララギとナデコの関係を演出したり、優良な?wMAD素材となるような場面を多く取り入れたり、止め絵が多くって中割りが少なかったり、いろいろ化物語は大変なようです。しかし、なぜヒタギを出さないのだ!!ヒタギを出せっ!!!wwまぁ、そんなことはどうでもいいことですよね。。今回は考察対象となることが多くあったので、前回の簡略さを払拭するべく張り切って書いてみます☆

■スルガのキャラクター

 ここで言う「キャラクター」は前回まで考察してきた社会的な他者との関わりの中で考えられるキャラクター(要は他者に依存した自己規定によってもたらされる人格あるいは他者との関係性)とは違います。単にアニメにおいてどんな「役割」を与えられているか、もっと言えば、作者がスルガという人物をどのように設定したのかといった意味合いでの「キャラクター」です。なんだか、都合よく使われちゃってる雰囲気があるような、ないような…wスルガってかなり便利なキャラクターになっているように思います。

「あんなに締め付けられて、その、痛くないのか?千石ちゃんは…。」
「痛いはずだって、忍野は言ってた。たぶん、我慢してるんだろうって。」
「しかし、そのクラスメイト、千石ちゃんが自分の好きな人を振ったからって、何もそこまで…。」

 こんな欺瞞に満ちたセリフをよくもスルガは言ったもんですよねwwびっくりしちゃった。。「何も呪いをかけるところまでやらなくてもいいだろう」って言いたいんでしょうけど、するがモンキーの話でアララギを殺そうとしていたお前が言うなぁ!!って感じです。スルガの猿の手は呪いより直接的な行動を取ってるしwいやはや、スルガの解決されなかった精神性が悔やまれます。やっぱり、するがモンキーでは事態が解決しただけであって、根本的なスルガの内面に関わる問題は解決されていないと受け取っていいんでしょうか。なんというか、そういった傲慢なスルガの性格を強調するために、あえてこのようなセリフを言わせたのか、それとも、単に作品を動かすための役割を受け持たせるためにキャラクターを変質させたのか…。どうにも、ヒタギの介入によって解決してから、スルガのキャラクターが軽くなっちゃった。。

「神原、確かに僕はうろこの跡が消えているかどうか確かめるために、肌の見えやすい服を用意してくれとは頼んだが、なんでよりにもよって、スクール水着を持ってくるんだぁ!」
「私としては、アララギ先輩の好みに合わせたつもりだったのだが…。」
「合わせるなぁ!!」
「好みなのは否定しないのだな。」

 それに、前回もこれに似た感じのコミカルなやり取りがありましたけど、なんていうか、スルガのキャラクターの変質に驚きですwあんなに嫉妬深くって傲慢な感じに描かれていたにも関わらず、なぜここに来て軽いキャラクターとしての役割が与えられちゃってるんだろう。。ちょっともったいないんじゃないかな?神社の階段を登っているときも、スルガは空気を読んだためかアララギとナデコとは離れて歩いていたし。いや、歩かされていたしw
 話を円滑に展開させるための、いわゆる「狂言廻し」的な立ち位置に置かれつつあるのかな?ちょっと違うか…w確かに物語そのものには大きく関係していないけど、話を進行する上での解説的な動きっていうのは見せてないからね。でも、「スルガ」っていうキャラクターは今回の「なでこスネイク」で便利に使われちゃう一方で、前回の「するがモンキー」で未解決のままに終わったスルガの本質的な怪異の要素や根源への対処っていうのが打ち捨てられた気がする。どこまでアニメが続くのかわからないし、これからの展開で再度扱うのかもしれないから、どうにもわからないけど、それにしても、ちょっと「千石ちゃんが自分の好きな人を振ったからって、何もそこまで…。」って言わせた意図が読み取れないなぁ。。あまりにも状況に即して取ってつけたようなセリフで、するがモンキーで与えられた設定とは少し違ってきちゃってるように思う。

■描かれないナデコの内面

「コヨミお兄ちゃん、ちゃんと見ててね。ナデコのこと、ちゃんと、見ててね。」
「私を見て、コヨミお兄ちゃん!」

 ナデコはビジュアル重視のキャラクターなんでしょうかwもともと引っ込み思案な性格のようですから、そこまで自分の内面を積極的に露出させるようなことはしないんでしょうけど。。かなり「妹キャラ」として記号化されているように思います。っていうか、彼女の内面が具体的に描かれた場面ってあったかな?もう単純に「妹」という設定だけを前面に押し出したかのようなキャラクターですww大事なのはその幼く愛らしい容姿もさりながら、血がつながっていないこと。。そして、「お兄ちゃん」と相手のことを呼ぶことですwこれさえあれば、世の「お兄ちゃん」たちは彼女にメロメロになっちゃうことでしょう。。(メロメロってもう死語なんでしょうか…w)ナデコに作品が求めたことといえば、そういった「妹」としての位置と蛇切縄の怪異に遭遇するということの二点だけだったような。。それにしても、物語のパートナーとして男性が登場することはないんでしょうかwちょっと最近のアニメってひどいですよねww

■しだいに強調されるアララギの問題点

 前回はジュンク堂で羽川さんに「誰にでも優しい」ことが問題であると指摘されてました。スルガと一騎打ちをしたときもそうでした。ヒタギの問題を解決しようと手を出したときもそうだった。さらに、今回は忍野にも言われちゃいます。

「手当たりしだい、人を助けようとするのは無責任だってことか?でも、忍野、僕はお前みたいになれないよ。僕は一割くらい吸血鬼。怪異そのものだからな。怪異を祓う側の人間にはなれないさ。」
「アララギくん、アララギくんはシノブちゃんを見捨てれば、いつだって、完全な人間に戻れるんだ。僕としては、それも忘れないで欲しいな。」

 いや、ヒタギはアララギのこんなところが好きなんでしょうけど、それにしても作品はアララギに容赦なく問題を突きつけます。「見て見ぬフリはできない」と、まぁカッコイイことを言うアララギくんですが、それが同時に弱点にもなっている。これは、良く言えば思いやりですけど、悪く言えばお人好しです。

「アララギ先輩、許せ!!」
「アララギ先輩!頼むから、助けるべき相手を、間違えないでくれ。」

「神原の判断は正しかった。怪異もどきの僕が、怪異そのものに対応できるわけもない。単に、諦め切れなかっただけだ。」
「やめてくれ、千石。お願いだから、ありがとうなんて、言わないでくれ。お前からそんなことを言ってもらう資格はない。僕は、あろうことか、お前を呪っていた人間までも、助けようとしていたのだから。」

 どうやら、物語はアララギの精神性にシフトするようです。しだいにアララギの人助け精神に対する疑問みたいなものが強調されていて、浮き彫りになってきています。だからこそ、ヒタギに出てほしい。ヒタギはアララギの実際を知った上で恋仲になったけど、アララギのお人好しをどう肯定して認めたからそうなったのか。ヒタギの答えを知りたい。だから、作中にヒタギを絡めてほしいと思うんです。なんで出してくれないんだろうなぁ。。

 しかしながら、問題はもっと複雑です。アララギは他者に望まれようと望むまいと関わらず、自身の意志によって人助けを行おうと行動します。それも、特にこれといった見返りを求めることなく、単純に自身の気持ちの問題として助けることを行っている。けど、他の面からこの行動を捉えれば、自己保身の考え方が存在しないということにもなりかねない。現に、スルガに対しては自身の死すら覚悟して臨みました。そこには、捨て身という方法を選んででも他者を助けたいというアララギの強い意志を読み取ることができると思います。これは、スルガのように社会に従属したようなキャラクターとして描かれるものとは好対照となります。しかし、自らの死を選択することは自身の存在を社会から抹殺することにもなる。それは、究極の自己否定にもなります。つまり、独断によって自己の意志を強く主張することで独立した自己の確立を見るのか、かたや、同時に捨て身の方法でさえ選択する行動からは自己の確立など顧みずに行動してしまう単なる無駄な奉仕の精神に冒されたと見るのか。。この矛盾をどう解決するのか、その点がアララギに問われているんでしょうか。アララギは何がしたいんでしょうねw
 または、さらに逆に考えれば、他者を助ける行為によって他者には自身の印象を強く植えつけることにもつながります。それだけ、相手に強く思ってもらえるということです。生物的に生きながらえることよりも、精神的な面から他者の記憶に残ることで生きながらえようとする。これは、自身の模倣子とでも言おうか、精神的な生殖行為とでも言おうか、要は自身の存在証明を他者に強く要請する行為であるとも言い換えることができるのではないでしょうか。これなら、確かに納得のいく筋道を得ることもできる。
 こんなこと考えてますけど、どこまでが意図的に構成された設定なのやら(^_^;)ただ、そんな作者とか制作の意図など顧みずに、享受者の立場としてどのように受け止めることができるのかといった面が当ブログの信条ですので、あしからずwたとえ意図されていなくとも、無意識ながらこういった描写や表現が今の時代に行われているということに一つの意味を見出したいというのが本意です。



 ちょっとお祭りで頭がいっぱいだったせいか、まだお酒が抜け切れないせいか、頭が働きませんwもう少しマシなことが書ければいいんですけど(^_^;)ちょっとウォーミングアップしないといけないですね。これからコードギアスとシャングリ・ラとバスカッシュの感想を書かなきゃ…。っていうか、まだ先週分を見てないwぼちぼちやってきますか。。

テーマ:化物語 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2009/09/15(火) 21:35:24|
  2. 化物語
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

No title

たまたまblogに行き当たって、読ませていただきました。
文中に追求しているほとんどが原作を読めば理解できそうな場所が多いですね。
もし既読だとしたら読解力に乏しいのか、アニメをまったくの別作品として扱っているかだと思いますが。
残念ながらアニメで大幅カットを受け原作とは違う意味合いになってしまったシーンや、意味つながらないシーンが多々見られます。

考察の切り口が良いだけに、惜しいレポートだな、と感じました。
  1. 2009/09/15(火) 23:11:05 |
  2. URL |
  3. 通りすがり #0e6emuIM
  4. [ 編集 ]

コメントありがとうございます。

原作は読んでいません。よく、「原作も読まずに何を言う!」とお叱りを頂くこともあるのですが、基本的にアニメ作品としてどのように解釈が可能であるのかという視点から考察を展開しています。メディアミックス作品や原作モノは、しばしばアニメ作品単独で内容を完結させないことがあります。これはアニメが商業的なタイアップを狙って行っているのか意図は不明ですが、ハイカルチャーに移行する上では最も克服されるべき課題のひとつと考えられないでしょうか。こういった思いもあるので、オリジナルアニメを中心に据えて考察を行っています。

今回、「原作を読めば理解できそうな場所が多い」とご教示頂いたこともあり、原作がどのように『化物語』という世界を展開しているのか読んでみたいと思っています。確かに、原作とアニメ版の比較というのは切り口としても興味深いものもあるのですが、如何せん、オリジナルのアニメを中心に扱いたいと思っているのであまり手を出していませんでした。今回は作品への興味からも原作を読もうと思っています。

それにしても、やはりシャフト×新房監督の作品は『夏のあらし!』に引き続き、原作から離れた内容に変質してしまっているのでしょうか。原作への冒涜だという批判さえ聞こえてきます。『ぱにぽにだっしゅ!』や『さよなら絶望先生』などは良しとしても、最近のシャフトの動向には不安を覚えます。他のアニメも含め、最近のアニメはビジュアルや記号化されたキャラクターばかりに特化してしまい、どうも脚本や作品全体の構成といった面において文藝性がないがしろにされているように思います。そんな現状への反抗の気持ちをこめて、稚拙ながらアニメ作品としての受け留めを書いてみました。

今後もご教示を頂けると幸いに存じます。
  1. 2009/09/16(水) 12:49:43 |
  2. URL |
  3. 土星蜥蜴 #-
  4. [ 編集 ]

<%template_post\comment>


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://lizardofsuturn.blog40.fc2.com/tb.php/114-5bca0d21
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。