土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

2009年度上半期中間報告

 2009年4月から9月までに見た新作アニメ作品を対象に少し総括したいと思います。見てないアニメが大多数ですので、対象は見たアニメだけ。数えてみれば14作品ありました。リアルタイムで見たにしては多いような(^_^;)いやぁ、アニメの数が多すぎるww一年間でざっと新作100本くらいでしょうか。全部を見るなんていうのは到底不可能でしょうね。今回は全体的な感想なり考察ですので、各作品の感想はそれぞれの記事をご覧ください。

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。


--------------------------------------------------------------

 さて、まずは見ていた新作アニメをリストアップしました。以下の通り。およそ半年で14作品、話数を合計して210話くらい?加えて劇場版。TV版は1話を22分で計算してヱヴァは90分だっけ?ってことは、総時間数は78時間30分ぐらい。丸3日と6時間30分。大学の授業で換算すれば90分授業が52コマできますから、8単位くらいはもらえることになるんでしょうかwそれ以外にも、旧作をいくつも見ましたから、ずいぶんとアニメに時間を割いたものだと、我ながら感心してしまいますw

『青い花』
『CANAAN』
『けいおん!』
『咲-saki-』
『懺・さよなら絶望先生』
『シャングリ・ラ』
『涼宮ハルヒの憂鬱』
『宙のまにまに』
『夏のあらし!』
『化物語』
『バスカッシュ!』
『ハヤテのごとく!!』
『東のエデン』
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』

 う~ん、改めてタイトルを並べて回想してみると、大いに不満な感じですwっていうか、「ひとことアニメ便覧」にて星を三つ以上つけた作品がなかったww全体的に女の子が目立ったように思いますし、見ていないアニメは萌え系が多くを占めていたような…。骨のある作品が瀕死の状態になっているのかな?遺憾に思います。


■キャラクターの記号化と量産

 キャラクターの「らしさ」みたいなものが属性化とでも言えばいいんでしょうか、取替え可能というかキャラクターに属性を装備させるような感覚で考えられているように感じます。だから、キャラクター独自の「らしさ」が無視されて薄っぺらに記号化されちゃうんで、どの作品を見ても似たようなキャラクターで溢れかえるといった現象が起こってるんじゃないのかな?あるいは、ツンデレ70%に貧乳15%に幼女15%みたいな、いろんな要素の配合率を変えてキャラクターの特徴づけを行っているようにも見えます。ってことで、配合率の微妙な違いが作品やキャラクターの「らしさ」につながってきて、黄金の配合率を見出した作品がヒットするみたいな構図もあるんじゃないのかな。。そのためか、キャラクターの本質めいた部分はあまり描かれず、上っ面だけでの登場人物同士の掛け合いになりがちに思います。いわゆる「ツンデレ」なんていうのはウケがいいから多く用いられるのはわかるんだけど、媚びちゃって作品としてのオリジナリティーは損なわれちゃいますよね。それに、登場人物同士の掛け合いによって心情や性格が変化するといったこともなくって、ある意味ではキャラクターの固定化によって複雑な心理描写が行われずに解りやすい表現に落ち着けることができるのかもしれない。
 その反対にあるのは、、たとえば、代表的なものとしてアムロ・レイなんてのは「らしさ」を持っていると思うんです。くよくよする主人公の元祖とでも言うべき位置付けが与えられるだろうし、彼のことを「○○キャラ」というふうに属性化して捉えることはできないように思います。アムロはアムロですwかえって、キャラクター先行のアニメばかり見ていると、彼ら「らしさ」を持った登場人物を見ると素が出すぎていて厚かましくも見えます。。
 では、キャラクターアニメの本質はどういったものになるんでしょうか。そもそも、キャラクターという考え方は見る側の人間にある程度の理解が成り立っていないと通じないものだと思います。キャラクター先行のアニメではない場合でも、見る側の人間がキャラクターを記号化して見てしまえば受け止め方はキャラクター先行になります。具体的なキャラクターの属性としてはツンデレ、ヤンデレ、巨乳、貧乳、幼女、姉、双子、ショタ、百合、オカマ、メガネ、無口、オタク、ドジっ子、天然、お嬢様、ボクっ子、委員長、オッドアイ、ネコミミ、ウサミミ、ユニセックス、巫女、ポニーテール、などなど。数え上げればキリがありません。しかし、これらの属性に共通するのは外見的な容姿や癖であって、とりわけツンデレの類は確かに性格的な面まで記号化されたものとして特筆されるものなのかもしれません。結局、キャラクターの内面にまで迫った属性というのは難しいんでしょうか。だとすれば、記号化されたキャラクターの属性というものはシステム的にも内面的な描写には縁遠いものであることがわかります。
 一方、キャラクターのメリットはと言えば、いわゆる「お約束」効果が期待できるということでしょうか。言葉を多くしてキャラクターの「らしさ」を表現せずとも、そのキャラクターがどんな性格なのかというのが外見的な属性によってラベリングされるために、ぱっと見でいとも簡単にどんな感じの人物なのかがなんとなぁく理解できると思います。たとえば、ツンデレキャラで言えば内面的に何かしら弱い部分を抱えていることが安易に予想されます。ハルヒもヒタギもそうでした。メガネで無口と言えば長門、天然でドジっ子と言えば柊つかさが想起されます。どんなキャラクター属性を使っても、先行の作品に登場する同一の属性を持ったキャラクターを背景に理解されることを避けることはできません。
 元来は先行の作品へのオマージュというか典故表現の一種として似たようなキャラクター属性を展開させるなんてことがあったのかもしれませんが、現状では単にキャラクターを量産するための安易な模倣や方便にしか受け止められません。というより、記号化することでキャラクターの量産が楽チンになるんでしょうけど、その代わりキャラクターの内面に関してはおろそかになりがちだから、作品の良し悪しで言えばマイナス面のほうが大きいんじゃないのかな?
 それにしても、考えてみれば『涼宮ハルヒの憂鬱』がキャラクターアニメの源流にあたるんだろうか。。基本的に萌え系のアニメで多く使われるんでしょうから、そっちは暗いんですよ。ハルヒぐらいしか思いつかない。そして、追随するかたちで『らき☆すた』とか?どちらも商業的に成功を収めた作品だってことも因果な感じですw

■ラノベ原作の台頭

 今シーズンはオリジナルアニメが少なかったなぁ。。。漫画を原作にするものは相変わらず多いですけど、次第にラノベを原作とするアニメが増えてきたように思う。秋からは直木賞を受賞した『空中ブランコ』やら芥川とか太宰とかいろいろな文豪の作品をアニメ化した『青い文学』やら、どうも「原作モノ」と呼ばれる分野のアニメに実験的な様相が見えてきました。これって、どんな動きなんでしょうか。
 短絡的に考えれば…、ですけど。昔のアニメ(昔と言っても2000年以前くらいでしょうか。)では今からすれば絵が紙芝居に見えなくもない。けれども、話の筋立てなんかはしっかりしていて、キャラクターだって丹念に考えられたものが多かったように思います。一方、今のアニメは筋立てがめちゃくちゃなものが多いwというより、筋立てなんかどうでもよくって、キャラクター中心になっているような…。だけど、絵だけはキレイに見えるし、CGも使ってるから見栄えはする。なんだか今と昔でそんな関係に置けるような気がします。昔はアニメ作品を作るにも作画の作業は大変だったし、コストと時間がかかった。けど、今ではパソコン使えば昔に比べればある程度の楽ができます。だから、作品の数が増えることに。だけど、作品の骨子になる筋立てのほうは相変わらずの作業です。だとすれば、絵はある程度できるんだから、問題はダメな話の筋立ての部分。そこを補完するためにラノベや小説といった原作に頼ろうとしているんじゃないでしょうか。
 だって、楽チンだもんねw細かくキャラクターの設定や世界観の構築を行わずとも、出来合いの原作があるわけですから。問題は原作をどれだけ読み込むことができるか。そして、アニメという土俵の上でどうやって再構築するのか。一歩間違えれば、原作通りじゃないとの批判が来ますし、アニメというメディアの性質に逆らって原作通りにやってしまうのも好ましくない。そこは難しいところだと思います。だけど、量産のことを考えれば背に腹はかえられないですから、諸刃の剣だけれどもラノベや小説といった原作に走るんでしょうか。そのほうが話題性もありますし、タイアップできます。商業的にはおいしいビジネスモデルになるんじゃないでしょうか?w商業的には…ね。。

■女性ばかりの世界観と大衆化する百合

 『青い花』は百合アニメ。『CANAAN』も基本は女の子が中心で百合要素有り。『けいおん!』は女の子しか登場しないし、百合要素有り。『咲-saki-』もほとんど女の子しか出ないし、百合。『懺・さよなら絶望先生』は話を進めるのはおおよそ女の子でハーレム型。『シャングリ・ラ』は主人公が女の子で、まぁ男も出てくるかな?『涼宮ハルヒの憂鬱』はキョンを女の子が取り囲むハーレム型。『宙のまにまに』もハーレム型。『夏のあらし!』もハーレム型。『化物語』もハーレム型。『バスカッシュ!』もハーレム型的?『ハヤテのごとく!!』もハーレム型。『東のエデン』は…違うかw『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』もマリの登場により新たな女性要素を追加し、基本的にはハーレム型。
 気が付けば、女の子ばかりの世界観に百合アニメにハーレム型のアニメでひしめき合っていましたw別に、こういったアニメを意図的に選んで見ていたわけではない…と思う。むしろ、無意識でこういったアニメを撰定していたのだとしたらショックだ…!!作品に恋愛の要素が絡んでくるのは当たり前の話だし、だとすれば複雑さや新鮮味を増すためにも複数の女性との関係性を構築するのが正しい方法なのかもしれない。けど、多すぎるでしょww見ていないアニメなんかは、かえって萌え系ばかりですから余計に女性ばかりのアニメが多くなると思う。。これって、なんなんだろう…ww
 そして、特に気になるのは、百合が多い中でも百合的な色合いが薄っぺらなところです。『青い花』なんてのは見ていて驚いたwあんまり百合っぽくないっていうか、爽やかでした!wwそもそも、百合アニメっていうと『シムーン』の印象が強かったので、というか、そのイメージしかなかったものですから、あまりのさらりとした百合にびっくりでした。『咲-saki-』だって単に咲と和がいちゃいちゃしてるだけだし、『けいおん!』のムギだって気があるだけで具体的な描写はなかったし。。どうにも簡易型の百合が流行っているように思います。
 しかも、受け手は男性も含めてそれを見ているっていうところが気になる。『けいおん!』は基本的に男性向けの内容だったというか、従来の『涼宮ハルヒの憂鬱』や『らき☆すた』の流れを受け継ぐ京都アニメーション作品だと思いますから、なおさら男性向けだっていうのが想像されます。『咲-saki-』だって、麻雀は基本的に男性のほうが競技人口としても多いでしょうから、女性もやるんだぁと思って男性が見る場合と、女性でも麻雀できるんだぁと思って女性が見る場合とに分かれると思います。問題になるのは『青い花』なんですよ。あれって、どんな視聴者を想定して作られたアニメだったんだろう。どうも男だったんじゃないかと思うんですけど、時間帯的にも会社帰りのOLなんかを狙った感じだったんでしょうか?他の作品の流れと合わせて考えると、百合がより広範な視聴者に受け入れられる題材として描かれるようになったように思います。かたや、男ばかりの薔薇を扱った作品も少なからずありますから、そこらへんの動向はよくわかんないなぁ。

■お気に入りのセリフ三種

 あんまり抽象的な話ばっかりっていうのも息が詰まりますし、どうも暗い話ばかりなので、最後に、今シーズンとは関係ないですけど三作品から印象に残ったセリフを引用して終わりましょうか。何かって言えば、『もののけ姫』と『ワンピース』と『BLACK LAGOON』です。後ろの二つはまだアニメ化されていない部分なので、漫画からの引用になります。

「モロ、わしの一族を見ろ。みんな小さくバカになりつつある。このままでは、わしらはただの肉として人間に狩られるようになるだろう。」
『もののけ姫』より乙事主のセリフ

 これって、人間に対するキツイ皮肉に思えるんですよ。。いや、そんな文脈で書かれているわけではないですけど、ゴーストがそう解釈するべきだと囁くんですwwポニョを見てもわかりますけど、宮崎駿監督は作品に巧妙に現実社会に対する皮肉を混ぜ合わせていますから、ありえない話ではない。この部分を聞くと、「小さくバカになりつつある」という猪が人間のことを譬えているものに感じてしまいます。「ただの肉」っていうのがキツイ。知性ある自前の脳みそで考えて行動する存在から、自分の頭で考えることをしない飼われる存在への転落。。これって、今の社会を批判しているように思えてなりません。簡易なアニメばかりに飛びつく視聴者と、ただ商業的な利害によって作品を作ろうとする製作側に、准えるべき言葉ではないでしょうか。

「……張。根っから極道稼業の貴様にはわかるまい。我々はもはや、軍人でもなければ敗残兵ですらない―軍人崩れでお前と同じ、ただの無頼者だ。だが―……ソ連邦に見捨てられ、新生ロシアにも裏切られ、そうしてすべてを失った我々に―残された唯一のものはいったいなんだ?軍旗の名の下で生と死と戦いのすべてを味わってきた―その矜持だ。黴が生え、古びた碑となり果てた矜持の残滓だ。私はお前のように、明日なき生を生きることは望まない。そして―無為に生をまっとうするだけの人生では、犬と同じだ。我々が望む死はただ一つ、しかるべき者としかるべき戦いの中で、自分がかつて何者だったかを想い出して死ぬことなんだよ。ミスター・張。」
『BLACK LAGOON』コミックス第8巻#56「El Baile de la muerte PT.13」よりバラライカのセリフ

 姐さん、かっこよすぎです!この考え方って、現代社会の彼岸にあるシビアなものだと思うんです。もはや、こういった考え方は現代の日本社会では通用しないでしょう。だからこそ、こういったセリフがフィクションとして大きな意味合いを持つことになる。ひとつの憧れなんでしょうね。。。でも、これに対して張大兄は「くだらねえ。」と言った上で、「こだわっちまうってことは―逆にそれ以外の何もできなくなっちまう、てェことだ。」というように現代社会の此岸側のセリフを言います。『BLACK LAGOON』の真骨頂は現代社会の此岸と彼岸が交錯するところ。主人公のロックはグレーゾーンにいることで意義深い観察者たりうるのです。バラライカは夢を語り、張大兄は現実を語った。どちらも自分の信じるところに従って行動を貫くところがかっこいいw

「海賊が悪!!?海軍が正義!!?そんなものはいくらでも塗り替えられて来た…!!!"平和"を知らねェ子供共と、"戦争"を知らねェ子供共との価値観は違う!!!頂点に立つ者が善悪を塗り替える!!!今この場所こそ中立だ!!!正義は勝つって!?そりゃあそうだろ。勝者だけが正義だ!!!!」
『ワンピース』コミックス第556話「正義は勝つ!!」よりドフラミンゴのセリフ

 思わず読んでいてフラミンゴ肌が…、いや鳥肌が立ちましたwついに、ワンピースが言いたいこと言った!!wwだって、このセリフって明らかに浮いてるでしょ。。熱血とか友情とか信頼とか、そういう青臭いものでもなく、実に現実味のあるセリフなわけです。まさしく、ファンタジーの本領である現実への皮肉をやってのけたと思います。それに、ずっと海軍の旗に「正義」と書いてあったにも関わらず、今まで善悪についてはあまり取り上げて来なかった。ようやく、ようやくの伏線の回収になりました。これで今まで海賊として追われる身だったルフィ一行や、明らかに気前のいい善人として描かれることのあったほかの海賊たちも、名実ともに「正義」たりうる可能性を持つことになったことになります。「勝てば官軍」なんてのは常識ですが、悪と呼ばれる行為にも正義があり、正義と呼ばれる行為にも悪があり、どちらも表裏一体であることを指摘したことは本当に良かった。そして、このセリフこそ「ワンピース」の解釈につながる重要な示唆を与えるものなんだと思います。



 はてさて、ちょっと気合を入れて書いてしまった…。次回は2010年3月末に2009年度の総括をやります。秋からは『Darker Than Black 黒の契約者』の二期が始まりますし、いつしか『BLACK LAGOON』もやってくれるはずです。ちょっとは期待の持てる作品が出てきそうなので、ワクワクしながら待ってます。それにしても、DTBをはじめ『交響詩篇エウレカセブン』や『亡念のザムド』など、順調にオリジナルアニメの制作を進めているボンズには、いよいよ期待が高まります。サンライズのハイエンドワークス部門が作るアニメとか、プロダクションI.G.の攻殻シリーズに継ぐビッグタイトルが出ないかとか、期待ばかり募って仕方ありません。あ~、『機動戦艦ナデシコ』のフルリメイク出ないかなぁ~ww

テーマ:アニメ - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2009/10/01(木) 01:40:53|
  2. アニメ四季報
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

フラミンゴ肌に笑わされました(笑)
確かにあのセリフは浮いていたと思います
  1. 2009/10/03(土) 23:42:54 |
  2. URL |
  3. 藤川 #-
  4. [ 編集 ]

Re: タイトルなし

最近のワンピースはノリノリな感じですよね☆キャラが多くってアニメ化は大変そうだなぁとは思いますけど(^_^;)あんなに多くのキャラがいても、それぞれが「らしさ」を持っているところがスゴイ。。言葉尻とかで差別化は図っているようですが、それ以上にキャラの性格付けが細やかにされているように感じます。
  1. 2009/10/08(木) 02:16:55 |
  2. URL |
  3. 土星蜥蜴 #-
  4. [ 編集 ]

<%template_post\comment>


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://lizardofsuturn.blog40.fc2.com/tb.php/128-fe18319d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。