土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『パプリカ』の感想。

「真昼の空のお日様が、夜毎の闇を照らします。夜が夢見る昼なのに、光が夢見る闇なのに、何も知らないお日様は、闇を葬り影を焼き、いづれは自ら焼き尽くす。」
『パプリカ』より氷室のセリフ

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。


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 超すげぇ!超愉快!!いやぁ、アニメって、本当にいいもんですねぇ。。映像と音とセリフが絶妙に交じり合って素晴らしい世界を作り上げています。声優も豪華、原作は筒井康隆さん、作画は細部までの作り込みがこの上ないし、音楽も世界観とマッチしていて、脚本・演出も言うことありません。他のアニメ作品においても、現実と虚構の違いってなんだろうとか、人と人の境目ってどこにあるんだろうとか、そういったことを考え始めてから久しいと思いますが、これもそんな流れの中にある作品なんでしょうか。そもそも原作は1993年に作られていますから、それも驚き。他のアニメ作品とのつながりもいろんな場面で感じられますし、何より繰り返し何度見ても飽きさせないところにこの作品のスゴイところがあると思います。

■交錯する現実と虚構

 いわゆる「あっち」という発想はいろんな作品で見られる思考空間のことです。あるいは「向こう側」「夢」「晴れ」「彼岸」「死後の世界」「天国」「地獄」「異次元空間」「おとぎの国」「マトリックス」「古い空間」「閉鎖空間」なんて呼ばれることもあるでしょう。結局は現実の世界と対象化されるような世界のことを「あっち」という概念で括って、翻って現実社会の実像を見つめなおそうという試みによって想起されるものだと思います。このパプリカもそんな夢と現実の交錯する世界を描いたお話になっていました。古くは近松門左衛門が虚実皮膜なんて言っていましたけど、それと通じる発想なのかな?主観と客観の交錯って感じです。
 このパプリカは複雑なストーリーですよね。。粉川の夢でサイコテラピーが行われながら、一方ではDCミニの盗難によって発生する事件が進み、そういった流れがパプリカの行動という筋によってつなげられていく感じです。加えて、乾理事長の思惑であるとか小山内のコンプレックスとか島所長の科学に対する思い入れであるとか時田の純粋かつ独創的な発想とか、いろんな思考が複雑に絡まりあって、作品そのものの内容が交錯しているように思えます。なかなか理解するのが難しい(^_^;)そんな中で夢と現実が混濁するように描かれるもんだから、なおさら理解が困難になりますw簡単には説明できないなぁ。。
 特に現実と虚構の交錯に焦点を当てて考えるなら、押井守監督の『うる星やつら ビューティフルドリーマー』(1984)と関連させて考えるべきだと思います。どちらの作品も「世の中すべてが同じ夢を見る」としたらどうなるのかという発想で共通しているからです。それに、夢の場面で青い蝶々を飛ばせて「胡蝶の夢」を下敷きにしているところも同じです。あるいは、いつも見慣れている街並みなのに人が誰もいない場面を描くことで異様な雰囲気を演出する方法も似ているかな?ちょっと違うアプローチで夢と現実を扱っていますけど、何か同じ方向を向いているように思います。押井さんのは無邪気の「わての作る夢と現実と、どう違うっちゅうねん!!」っていうセリフに象徴されているように、本当に夢と現実の境目がないっていうことを『うる星やつら』という世界観で描いてみたんだと思います。夢はどこまで本当に夢なのか、逆に現実にも夢が入り込んでいることもあるっていうことが読み取れると思います。その点、冒頭のセリフに掲げたように、パプリカでも現実あっての夢であって、夢あっての現実であることが描かれていました。だから、結局はラムの主観によって世界が構築されている意味では完全な夢と言うこともできた。だけど、パプリカの場合は加えて他の人との夢を共有して交錯しているところに違いがあるのかな?ビューティフルドリーマーではラムが見ている夢の中で登場人物たちが足掻く構図でしたけど、パプリカは何人かの夢がぐちゃぐちゃに入り混じって誰もがその夢に溶け込んでしまう感じです。結局、パプリカの夢って現実と変わらないんだよね。。だって、夢って主観の反映であるべきなのに、それが多くの人物が干渉するような空間にしてしまったら現実と何ら変わらなくなってしまう。そこにパプリカの描く現実と虚構の特徴があるんだろうなぁ。。乾理事長が自らの主観によって新たな秩序を構築しようとしていたけど、あれが現実の社会に直接の影響を与えることになっていたのも夢が現実と同化していっていたことが原因なんだと思う。だとすれば、そこで構築される世界っていうのは確かに新たな現実社会足りうるんだろうね。なんだか『マトリックス』に通じる発想を感じるし、『涼宮ハルヒの憂鬱』の最後にハルヒが自分の好きなように世界を再構築していたところとも共通する。一見すれば、ハルヒに出てくる神人は乾理事長とそっくりだったしねw
 さらには、そういった現実と夢の交錯を進めた作品が『電脳コイル』になるんだろうか。こっちの場合には現実世界にそのまま虚構を投影するようなシステムだったから、より具体的に交錯が描かれていたことになると思う。というより、見ている側の人間は「メガネ」というシステムのほうが理解しやすかったんじゃないのかな?あのガジェットがあったからこそ、電脳コイルは簡単に現実と夢の交錯を提示することができたんだと思う。その背景にビューティフルドリーマーやパプリカの示す現実と夢の関係があるのかと思うと、アニメ文化史の成立を感じますよね。。宇宙っていう思考実験空間が一方ではアニメの主要なフィールドになっているのと同じくして、夢と現実の交錯っていうテーマもアニメの一大思潮になっているんでしょうか。アニメって虚構が大好きですよねw

■交錯する人と人の思考

 加えて、パプリカのもうひとつの側面は人と人の夢が交錯して同一の思考を共有するところにあると思います。他人の脳みそとくっついて、思考がぐちゃぐちゃになっている感じ?愉快ではあるけど恐いようにも思う。トランス状態ってやつに近いのかな。。すると、どこからが自分なのかが判らなくなってしまう。これって恐いでしょ?wそんな自我の境界線についてもパプリカでは問題提起している部分があると思う。その点では『攻殻機動隊』や『カイバ』といった作品ともつながるだろうし、『新世紀エヴァンゲリオン』でも扱われていた。結局、思考は身体に拘束されるのかどうかといった問題も背景にはあるんだろうけど、他者との境界が何によってもたらされているのかという問題もあると思う。パプリカでは夢の共有によって思考が同一の世界のもとに収束されていたけど、先にも言ったように夢が現実へと回帰する中では、畢竟、現実世界でも思考が同一の世界のもとにつながっていることを指摘することにもなると思う。つまり、パプリカの提示する自我の境界線っていうのは現実社会においても曖昧なものであるっていうことを描いていたことになるのかな。。
 それに比べて『攻殻機動隊』や『カイバ』あるいは『Serial experiments lain』はネット社会の拡大にともなって感じられるようになった身体と思考の乖離を契機にして自我の確立を問いただしたものだと思うし、『新世紀エヴァンゲリオン』の場合には思春期を迎えた青少年が自我を確立する際の導入みたいなことを極めて抽象的に扱ったとも言えると思う。それと比較しちゃうと、どうしてもパプリカのほうが上手な気がするよね。。他の三作品は時代的な要素を排除することができないと思うけど、パプリカの場合には時代を超えた普遍性を獲得するだけの素地があるように感じる。だって、パプリカの言う夢とか自我の境界線とか思考の共有っていうのは時代を超えて存在する現象だと思うし、それだけ人間の本質的な部分に根ざした現象でもあると思う。そう考えると、パプリカがどれだけ文化的に成熟した作品であるかっていうことが、ひとつ理解できるんじゃないのかな。。

■他のアニメ作品とのつながり

 こっからはお気楽な感想ってことで。最初、乾理事長が巨大化して街を破壊し始めたとき、『もののけ姫』のデイダラボッチと重なって見えた。生と死を司るわけだけら、性格的にも似ているところがあるんだよねぇ。それに、悪夢のパレードは『平成たぬき合戦ぽんぽこ』の妖怪パレードにかなり似ていた。島所長の科学への信奉の具合は『スチームボーイ』で扱われた科学万能主義にも通じていたし、ティンカーベルとかジャックとか人魚姫なんかは言わずもがな。本当にいろんな作品とのつながりを感じさせて、しかもそれらが押し付けがましくない。パロディーって言うと如何にもな見せ方をするアニメが多いけど、ここまでさりげなく自然にストーリーに絡ませてくるのはさすがだと思った。いや、もののけもぽんぽこもスチームボーイも原作の成立より遅いんだけどねwそれだけ文化的にも共有基盤の上に立った作品になるんだろうなぁってこと。
 それに、あの想像力の自由奔放な様はすごかった。『魔方陣グルグル』のシュギ村でククリが「ククリ様おでかけ修行ハウス」でイメージの修行をしていた場面を思い出しちゃった。確かに、夢の世界に行って自由な発想で相手と戦ってと言われても、大した武器なり魔法なりを発することはできないんじゃないのかなぁ。なんだか想像力の乏しさを実感させられた感じ。ククリも苦戦していたしねw

■筒井さんと今さん

 バーのマスター二人が「夢の後始末をしましょう」なんて言ってましたけど、あれって筒井さんと今さんが声を担当していたんですね(^_^;)言われてみれば容姿も似ていたww背の小さいほうが筒井さんで背の高いほうが今さん。ってことは、あのセリフはメタ要素だったということになります。「夢」というのがあの作品そのもののことを指し、その「後始末」っていうのはエンディングに向けて事態を収拾していくってことで解釈できるんですよね。。作品だけを見ていると何の脈絡もなくあの二人が曰くありげなことを言うので、ちょっと奇妙な感じでした。けど、それも遊び心wなんだか楽しそうな雰囲気が伝わってきます☆



 この作品って本当に一級の職人さんたちが集まって最高の作品を楽しく作った感じがします。細部までこだわり抜かれていますし、何より楽しそう!本当のプロの仕事を見せてもらった感じです。「いい仕事してますねぇ」ってやつですねwそれにしても、アムロの声が聞こえてきたときにはびっくりしました。そのまんまなんだもんww姿は太っちょで、しかも夢ではロボットになって動き回っているからおかしくって仕方ありませんでした。あ~、なんか幸せな気分。

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2009/10/13(火) 00:10:00|
  2. パプリカ
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