土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『コードギアス 反逆のルルーシュ』#15「喝采のマオ」の感想。

「この世界には善意から生まれる悪意がある。悪意から生まれる善意がある。ルルーシュが起こした行動は、果たしてどのように受け止められるべきものなのか。裁きは世界の必然なのか。ギアス、この人ならざる力を使う者は、否応なく心に孤独を作り出し、善意と悪意の狭間に落ち込んでいく。されど、もし、そこから立ち上がる者がいるとするならば、そう、その者は確かなる王の器を手にしているのだろう。」
『コードギアス 反逆のルルーシュ』#15「喝采のマオ」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。


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 C.C.って身体が柔らかいんですね…wそれにしても、あの蹴りを入れているときの帽子の中ってどうなってるんだろう。。あの髪の毛の量をまとめて結わえても、帽子の大きさに収まらない気がする…。というか、脱いだら徹子ヘヤーになってるんじゃないのか…、なんて想像していると笑っちゃいますwいや、むしろエクステだったとか?ww今回の事件でルルーシュとC.C.の関係は強固なものになったようですが、相変わらず善悪というテーマを扱ってるんですね。善悪について、同じ素材を使いながらいろんな角度から見た眺めを何話にも亘って映し出しているように思います。

■ルルーシュの善悪

 善悪っていう価値基準は社会的に作り上げられるものだと思います。その社会で生活する者に対しては、常に前提として善悪の価値判断が求められるものでしょう。その最たるものが「法律」っていう考え方。してもいいこと、悪いこと、みんな法律や道徳や倫理って言葉で制約されています。しかし、どの考え方も決して絶対的な価値基準ではない。国や時代が違えば法律も違うし、文化が違えば道徳も倫理も異なります。どれも社会が前提にあってこそ成り立つ価値基準ですから、何か人間にアプリオリな関係で押し付けられるものではない。善悪という価値観は自身が生活する社会との契約によって受け入れられるべき共有された価値基準だと言うことができると思います。
 だからこそ、今の社会では知らぬ間にというか、なんとなぁく自分の住むべき社会が前提として立ちはだかるから、いつの間にか社会のルールに帰順しなければならない状況になります。もはや社会が完全に「出来上がった」ものとして目の前にあるものだから、おおよそ「そういうものだ」と思って誰しも従うわけです。そのほうが賢いし、不利益なく生活できますからね。しかしながら、そのルールや価値基準は絶対的なものではない。その点に疑問を投げかけるかどうか、というのは自身の社会との関わり方をどうするのかという主体性の問題になるんでしょう。
 では、そこでルルーシュの場合はどうなのか。ブリタニア王室への恨みとかナナリーを守るためとかいった自身の個人的な動機によって反逆を企てたわけですが、ここに来てシャーリーの父親が偶然にも自身の行動で亡くなってしまったがために自身の行動の善悪について悩んでいるようです。加えて、C.C.の過去の失敗作?と言っては失礼かもしれないけど、マオが登場したことによってギアス能力者の末路みたいなものが見えてきて、なおさら不安を募らせている様子です。
結局、マオの場合は自身の生き方を他者と共有することができず、ずっと孤独なままでした。そのため、C.C.にのみ過剰な執着をすることになり、今回のようなことになりました。その一方、ルルーシュは黒の騎士団という協力者がいるわけですから、必ずしも孤独とは言えない。さらには、ナナリーという半ば絶対的な存在がいることはルルーシュの強みだと思います。そういったことからも、ルルーシュは王としての資質と環境を備えていたのかもしれません。
 話を戻せば、ルルーシュの行動が善行なのか悪行なのかという価値判断は既存社会によって行われることになります。結果は「悪」であることは間違いありません。だって、社会の秩序そのものを打ち壊す行為なのですから、これを否定せずにはブリタニアという社会の存立を維持することはできません。しかし、ルルーシュが自身の行動を正当化するだけの理念を持ち合わせ、その価値判断が多くの他者にも共有される場合には話が変わってくる。つまり、ルルーシュの示す世界観が既存の社会秩序を上回るか覆すだけの価値基準や内容を持っており、大多数からの賛同を得ることができるようならば、ルルーシュは「善」になることになります。冒頭のC.C.のナレーションで「善意と悪意の狭間から立ち上がる」という意味合いは、このように考えられるのではないでしょうか。そして、その場合には当然として英雄や王と呼ばれることになるんだと思います。

■マオを登場させる意味

 なんでマオみたいなキャラを出したんだろう…w個人的には好きじゃないんですよね。。どうも子供染みた感じがコードギアスの世界観とマッチしていないように思えて、異物に見えてしまう…。他のキャラクターはみんなシュっとした感じなのに、マオだけべた~っとした感じ。話も本筋とはそれほど関係が深いわけでもなく、カットしたところで取り立てて問題があるわけでもない。マオって何のために登場させたんでしょうか。
 簡単に思いつくのはギアス能力者の失敗例でしょうか。よくギアスを使うと孤独になるっていうのは前々から出てきた設定ですし、なぜギアスを使うと孤独になるのかという例を示したところなのかな?今まではルルーシュとスザクという対立軸を持っていたけど、ここでマオという対立軸を出すことによって、新たな視点からルルーシュを捉えなおそうという感じです。すなわち、マオはギアス能力によって他者との接点を持つことができなくなり、C.C.との契約も果たすことなく人間としてもつぶれてしまいました。一方、ルルーシュは未知数。マオという失敗例を知ることによって、見る側の人間はルルーシュがどのような点で成功なのか解りやすくなると思います。たとえば、ナナリーやカレンやシャーリーやロロといった存在がルルーシュにはいたこと、ブリタニアという社会が押し付けてくる秩序も押しのけて自身の世界観を示したことなどなど。ルルーシュのギアス能力は絶対遵守の能力ですから、他者の意志を奪うことになります。それは他者の存在をかき消すことと同等の行為になりますから、結果的にルルーシュの独善的な世界になりやすい。しかし、ルルーシュは敢えてナナリーや自分のためだけの行動ではないことを後に証明することになります。そう考えると、ルルーシュの構築した世界とは自分ではない他者が尊重された、双方向の世界となり、ルルーシュは孤独にはならない。そんなルルーシュのギアス能力者としての成功を裏打ちするためのマオだったのではないでしょうか。
 でも、最終話まで見たところで存在感薄いよねwマオとの遭遇がルルーシュにとって何かしら影響があったような描写はなかったし。やっぱり微妙だなぁwそもそも、C.C.がマオと契約したのだって意味がわからない。契約を果たすには6歳で孤児で善悪も知らないマオっていうのは有効な要素だったのだろうか。なぁ~んか、マオって存在はしっくりこない。。



 シャーリーの他人ごっこはキツイなぁw絶対に疑われるでしょwwルルーシュもシャーリーの日記を燃やすとは、なんと薄情な…。。せめて、燃やそうとしたんだけど、燃やせずに泣いているルルーシュのほうが人間味あってよかったように思う。修羅の道に入ったのなら燃やしたほうがいいのかな?wヴィレッタにしても声変わりしちゃったしね(^_^;)次回はルルーシュとスザクの友情ごっこですww

テーマ:コードギアス 反逆のルルージュR2 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2009/10/15(木) 02:34:45|
  2. コードギアス 反逆のルルーシュ
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