土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『サクラ大戦』(TV)全25話の感想。

「お父様、私、立派に務め上げて見せますわ。華組の名にかけて。」
「見せてもらうぞ、お前の晴れ舞台。」
『サクラ大戦』#24「絆」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。


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 久しぶりに全話をぶっ通しで見ちゃいました。うん、上々の仕上がりって感じ?典型的とも言える作品の作りに安心感すら覚えますwサクラの表情が良かった。OPで桜の木の下で虚ろな表情をしながら空を仰いでいる場面がありますが、あのときの眼の描き方が解りやすい具体例だと思う。他にもアイリスを見るときの優しげな目線や悩んでいるときの眼などなど、キャラクターの表情が豊かで良かった。まさに役の通り、スミレが途中から主役のサクラを食ってしまっていましたが、全体的に各キャラクターにスポットをあてながら進行させるベタな展開に安定感を得て、無事に最終話を迎えた感じです。ただ最終話の落とし方は納得が行かないというか、あまりにベタベタ過ぎて不満が残らないわけではなかった。。

■裏付けのあるキャラクター群

 このアニメだってキャラクターっていうものを十二分に活用したものと言えます。まぁ、定義は難しいと思うけど、特徴的な部分として、髪の毛の色がキャラクターによって違っていたり、背の高さ、生い立ち、性格、言葉遣い、などなど、他のキャラクターと重ならないよう差別化を図っている点がキャラクターアニメとも呼ぶべき一群の作品に共通するところなんじゃないのかな?加えて、多くの場合には女の子が大量に出てきて、男の子が一人っていうパターンになる。いわゆるハーレム的な展開です。不思議と髪の毛の色がいろいろと使われている男がいっぱい出てくるアニメは少ないし、アニメが用意している女性特有の位相語に対して男の位相後は少ない。そういうのって、ガンダ○くらい…?w
 ただし、ここで言うキャラクターは、キャラクターそれぞれに個性を与えるというより、むしろ差別化に重点を置いている感じ。視聴者からしても自分の好きなキャラクターを選べる選り取り見取り方式だし、人間関係のあれやこれやを描くときにもそれだけ差別化されたキャラクターが多いほうが物語を作りやすいんだろうね。個性あるキャラクターを集めるっていう意味では『うる星やつら』が源流に位置するのかもしれないけど、最近のアニメを見てもわかるように、決してキャラクター=個性あるという意味ではないというのがアニメ的な「キャラクター」なのかもしれない。いや、アニメが個性の裏付けまで設定をきっちりと行ったキャラクターを出さない傾向にあるっていうだけなのかもしれない。
 そもそも、キャラクターには記号とか目印とか個性とか特徴とか文字とかっていう意味もあるように、他とは何か違った様相を示す意味を持っているようです。そこから、登場人物っていう意味も出てくる。まぁ演劇や文芸に関して言えば「登場人物」っていうのは必ず何かしら意味のある人物となる。通りすがりの人物であったとしても、何かしら作品世界に影響を持たせる―たとえば、ミュージカルで言えば通りすがりの人が踊り出すのは舞台という演劇空間を作るための出汁のようなものだし、アニメでも通りすがりのモブを描くっていうことはそれだけ世界観にリアリティーを持たせるなどの意味合いがある。登場人物っていうのは何かしら意図を以て作品に取り込まれるものだし、だからこそ不自然というか意図的に「登場しない人物」っていうのも出てきます。この間の『けいおん!』での「大人」がそうだった。実際、大人として物語に出てきたのは先生ただ一人でした。つまり、人物を登場させるっていうことは、それだけ作者の主観が反映されるものだし、登場させない省略の技法も背景には考えるべき要素としてあるということです。
 そう考えたときに、アニメのキャラクターに話を戻すと必ずしも個性を意図的に打ち出しているとは思えない例が増えてきている。単に他のキャラクターと差別化を図り、多くの場合はツンデレやお嬢様などといった典型的な要素を付与しているだけのように感じられます。それは「○○キャラ」なんていうふうに類別化して呼ばれている時点で明らか。キャラクターに与えられた個別の名前よりも○○キャラで括られてしまうことが、悲しいのかなんなのかwあくまでキャラクターには「記号」や「属性」としての設定しか与えず、細かな背景設定などは省略されます。解りやすいから『けいおん!』の唯の例を使うけど、彼女の場合は「天然」や「アホ毛」といった属性が与えられるけれども、一方では唯の個性にスポットをあてた話が独立して行われたわけではなかった。彼女は「天然」で「アホ毛」であることが大事であって、なぜ天然であるのか、天然であることの利害とは、といった物語は一切描かれることがない。それは他のキャラクターにも言えることで、もはやキャラクターに求められるのは記号性であって物語性はいらないのかもしれない。アニメが培ってきた「天然」キャラの上に成り立っているのが唯であって、そういった前提を踏まえたうえでの記号化であることは喜ばしいのかもしれないけれど、唯という固有名に鍵って語られる話ではないところが残念ではある。そういった意味で、キャラクターに物語を期待するのではなく、単なる記号性に作品の柱を委ねているアニメを「スナックアニメ」とでも呼んでみてはどうでしょうw近頃のアニメは手間隙をかけた手料理っていうよりも、簡単に軽く食べられるスナックって感じに近いからねwwう~ん、最近のアニメって乱暴にもひと括りにしちゃってごめんなさいww
 サクラ大戦のキャラクターには背景の物語が用意されています。マリアにしてもアイリスにしても生い立ちや人物背景といったものがあり、それぞれにスポットをあてた話を用意して具体的に説明される。まぁ、説明不足な面もあったし、カンナに至ってはなぜか描かれなかったけどwwでも、キャラクターが単に記号性だけを纏っているわけではなく、それぞれに固有の物語を与えているところが良かった。だからこそ安定感があったんだろうと思う。今ほどキャラクターの記号化が進んでいないところに好感を持ったんだろうか…w今様のアニメと比べてみると面白い比較材料であることは確かだと思いますww

■戦場と舞台の精神性

 戦いを舞台の延長と考えているところは面白かった。昔からある常套的な発想であるとは思うけれど、舞台に上がるときの精神性と戦場に赴くときのそれとを同一視した発想は斬新だった。あんまり詳しい説明がないから何とも言えないんだけど、支配人がサクラを主役に抜擢したときもそんな背景的な発想があったことは明らか。そもそも、なぜ戦闘集団たる華組が演劇を熱心にやっているのかっていうことからして不思議だしねwwそこのところを詳しく描いてくれればよかったんだけど、ちらっと見せるだけであまり語られない。そこらへんも、サクラ大戦がキャラクターアニメとしての薄さを感じる原因のひとつなんだろうとは思う。まぁ、「務め上げる」とか「演じる」っていうところに似ている点があるのかもしれない。何か予め決められた台本や戦略に沿って行動するところは共通しているし、もっと精神的な部分を言えば自身が役を演じたり戦闘を行ったりする「器」であるという点も共通するのかな?どちらにせよ、詳しい描写がなかったために難しいなぁ。



 カズマが隊長や司令として成長したと認める支配人たちの感覚っていうのも何か玄人っぽい発想を感じる。物語が単に画面の中だけに納まっていないところが作品の奥深さにつながっていていいのかもしれない。ま、印象に残ったのは何よりサクラの表情でしたw

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2009/11/22(日) 21:17:52|
  2. サクラ大戦
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