土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『BLUE DROP ~天使達の戯曲~』全13話の感想。

「フォルメって、不思議な存在ですね。」
「どうしたの?いきなり。」
「こんなにちっぽけで、か弱いくせに、コマンダーをすっかり変えてしまうなんて…。少し、妬けちゃいます。」
「変わったのは…、私だけじゃないわ。」
『BLUE DROP ~天使達の戯曲~』#12「Cosmos -美しい調和-」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。


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 やりたいことはわかるんだけど、如何せん脚本と演出の力量が不足していた、、のかな?ちょっと三流か四流の匂いがしたww後半でクラスが文化祭の出し物として取り組んでいた戯曲「オルレアンの少女」の内容とこの作品の話の展開とが二重に重なっていくところは良かった。これをやりたかったのかな?けど、主人公のマリが精神崩壊を起こしていると思えるほどコロコロと言動が変わったり、いらない表現にカットを割いて必要な描写を省略するという不自然さも多くあった。内容としてはいいものを持っているだけに、惜しい作品って感じでした。絵は空を描いてきたゴンゾの力によって、雲はもとより水蒸気爆発も迫力のあるものになっていた。戦艦ブルーのデザインもプロダクションI.Gの人がやっているためか、斬新ながらも合理性を感じさせる美しさを兼ね備えていたし。CGを多用しての映像っていうこともあり、そういった美術設定や映像面ではスゲーと思わせる場面も多かったかな。

■侵略者と戦う子どもたち

 宇宙アニメってなぜか子どもをメインに描くことが多い。それって宇宙に限らずアニメ全体の宿命というか命題なんだろうけど、まず第一にこの作品を見て想起されるのは『蒼穹のファフナー』(2004)だった。っていうか、あからさまに意識してるでしょ?w作品の外骨格は同じようなもんだし。それに、ほかにも『無限のリヴァイアス』(1999)は宇宙教習艦に取り残された子どもたちの話、『学園戦記ムリョウ』(2001)も中学生が日常の生活を営みながら侵略者と戦う話、『宇宙のステルヴィア』(2003)の人々は教官たちを除いて子どもだけ、『ゼーガペイン』(2006)は高校生が侵略を食い止めようとする話、『マクロスFrontire』(2008)も高校生、『鉄のラインバレル』(2008)も高校生。まぁ、ガンダムやマクロスだって主人公たちは未成熟さを残す人物造形だったしね。『トップをねらえ!』だって主人公たちは学生だった。宇宙アニメが一方では外洋たる外宇宙に出て行くアニメがあるのに対し、すでに侵略の手が地球に及んでいる状況で対抗する構図を持つものもある。比べてみると、古い宇宙アニメは外に出て行くのに、新しいほうのアニメは割と地球に残る傾向が強いのかもしれない。
 もとよりガンダムやマクロスがやったように戦艦の内部にコミュニティーを作ってそこで人間ドラマを展開するっていう手法が取られていて、それは『機動戦艦ナデシコ』以来ずっと踏襲されてきた内容でもあった。タコさん足の宇宙人だか宇宙怪獣だかわからない敵を前にして、とにかく戦いを通して青春群像を描くようなパターンっていうのも宇宙アニメの定番でした。だけど、、わざわざ宇宙に行く必要性も感じなくなってきたのかな?確かに戦艦内部に科学的には不自然極まりないコミュニティを形成するっていうのも手間だし、地球に残っていれば普通の街で宇宙人と戦うっていう自然な流れを持たせることも簡単にできる。かつて宇宙アニメが戦艦内部でやっていた人間ドラマの特徴を最大限に生かすようなかたちで、その戦艦内部を学校に移したって感じだろうか。思えばムリョウが濫觴にあたるのかもしれない。主人公たちが学校に通いながら侵略者と戦うっていう構図はムリョウにはじまり、その後もファフナー、ゼーガペイン、ラインバレルと受け継がれています。いや、リヴァイアスにこそ原型を求められる点はあるし、ステルヴィアも舞台が宇宙っていうだけで学校と同じ機能をファンデーションが持っていた。だって、ファンデーション対抗体育祭があるくらいなんだから…wそこらへんはムリョウでも体育祭をやっていた佐藤竜雄さんの流れなんだろうなぁ。
 それに、そいういった系譜からの流れを見れば、女性だけの惑星っていう設定も昔ながらっていう感じ。『ヴァンドレッド』(2000)も女性だけの惑星と男性だけの惑星が…ていう話だし、『GENESHAFT-ジーンシャフト-』(2001)は登場人物のほとんどが女性で男性の個体数は管理されるっていう世界観だった。まぁ、単にハーレム的な要素を作るための方便なんだろうけど、この点においても今までの作品で作り上げられてきた前例を踏まえていると言える。
 結局、このブルードロップもそんな系譜の流れにがっちりとはまり込んだ作品であり、随所にその影響を感じさせる作りになっていた。やっぱりファフナーが一番似ている…wなぜ戦うのが大人じゃなくって子どもなのか、、、っていうのは「アニメだから!」としか答えられないんだけど、まぁ、ジュブナイルこそアニメの命題っていう感じは少なからずある。とにかく、ファフナーも侵略者と戦いながら学園生活を送るっていう設定だったし、第一、竜宮島という離れ小島を舞台にしている点もブルードロップと共通していた。どちらも校長先生の声が同じジョージだったしねwwっていうか、上にあげた宇宙アニメのほとんどを踏まえているって言ってもいいくらい多彩に宇宙アニメしていた。
 中でもエカリルが「せめて学園祭が終わるまで…」とアルメの地球侵略を止める目的を演劇の上演に求めていたところは驚きだった。というか、新しかった。それこそ、エクリルは戯曲「オルレアンの少女」の成功を目的に取り組む学生の姿を見て「デカルチャー」だったんだろうけど、まさかアルメとフォルメの戦争を身を挺してまで止めようとした動機が演劇にあったとは…w衝撃的だwwでも、それこそ宇宙アニメが培ってきた侵略者と戦う子どもたちっていう構図を特化させたようなものでもある。戦闘の悲惨さや悲劇性を片方には用意しておきながら、一方では日常の学園生活があるからこそ文化祭や体育祭といった平穏な活動の様子が浮かび上がって見えてくると思う。そういった仕組みを活用した筋立てだったと思う。

■重層的に描かれる戯曲と本編

 ナデシコでもゲキ・ガンガーと本編の内容をシンクロさせて進めるっていう手法が取られていて、それとほぼ同様の手法と言える。ブルードロップでは劇中のマリとエクリルの関係性と本編での関係性とがシンクロしていて、妙に心情をキレイに描き出していた。 特に最終話のマリとエクリルの別れの場面で劇中のセリフを互いに言い合いながら最後を見送るっていうのは、なかなか美文的な表現だったなぁ。そして、そんな光景を見ながらオペレーターのツバエルが言った冒頭に掲げたセリフっていうのがこの作品でのベストなセリフでした。

■異星人の視点

 もうすぐ書き上げるつもりの…w「」つくられた人間」考でも取り上げていますけど、宇宙アニメでは遺伝的に操作して生み出された無感情性の強いキャラクターがしばしば登場します。ホシノ・ルリ…『機動戦艦ナデシコ』(1996)、ベアトリーチェ・ラティオ…『ジーンシャフト』(2001)、エウレカ…『交響詩篇エウレカセブン』(2005)、キース・アニアン…『地球へ…』(2007、ただし原作は1977)、ニア・テッペリン…『天元突破グレンラガン』(2007)なんかが具体例。その系譜に位置するわけではないけれど、エカリルやツバエルがフォルメたちを見ながらフォルメの良さを客観的に感じ取るっていう構図としては似たようなものがあります。それはマクロスのゼントラーディに近くもあるし、まぁ常套的な設定なんでしょう。
 ただし、今回はあんまり異星人っぽくなかった、というか客観的ではなかった。効果的にこの仕組みを使いこなせなかった感じ。だって、エカリルがほとんど地球人なんだもんwそもそもエカリルが笑うようになったっていう描写だって、ほとんど経緯が省略されちゃっているから、何の脉絡もなく笑っているように見える。そもそもエカリルの無感情な部分があまり描かれないから、変化していると言われても具体的な描写がないから納得できない部分が残っちゃうんだよね。フォルメをバカにする風潮っていうのはツバエルの言動からも読み取れるけど、じゃぁ、アルメと比べてフォルメは何がすごいのかっていうのが描かれなかった。エカリルを変えてしまったというけど、変わった部分を精密に描かないから何を言っているのかわからないしwどうも先の客観的な視点を獲得するための異星人としての視点っていう仕組みを、形の上だけで踏襲したような空虚な表現だったように思う。

■稚拙な脚本・演出

 マリの言動が揺れまくりなんだよね。。エクリルに首を絞められておきながら、なぜ次の日には単なるケンカで済ませて、しかもお互いに気になっている関係なんだっていう展開に持っていけるの?まったく理解できない。マリが怒っているのかと思えば、次の場面では頬を染めて恥ずかしがっているし、、なんだかマリにいくつも人格があるんじゃないかと思うくらいブレがあった。第一、怒るって言っても脉絡も描かれずに怒るから、単なるヒステリーにしか見えなくって見苦しさもあった。
 とにかく、エクリルとマリの心情の描写がお粗末過ぎて、付いていけなかった。それに、エクリルに反発するマリを非難するエクリル親衛隊のかしまし三人娘の登場場面も痛々しい。あのノリって不必要でしょwあんな無駄なセリフを言わせるぐらいだったら、もっとマリとエクリルの言動に説明を与えるようなカットを入れて欲しかった。セリフの配置もカットのきり方も、スムーズに流れていなかった。
 っていうか、最初の場面でエクリルがマリの首を絞めていたのはなんでなの?最後まで見ても理解できなかった。完全に浮いている表現なんだよね。。もう何を言わせて何をやらせたいのか、脚本崩壊や演出崩壊とでも言うべき現象が起こっているとしか思えない。毎回毎回、突っ込みたくなる崩壊部分がしっかりと用意されていて、そういった意味では面白かったよwwただただ、残念な感じです。



 この作品のOPって透明感あって好きなんですよ。絵もキレイだし。。エクリルの声の演技も良かったし、いろいろと本当に惜しい作品だと思います。っていうか、マリが叫ぶとしんちゃんの声を思い出すから笑っちゃったwしーぽんは脇役で何気なく出てきているし、「スーパープロトン砲」すらまともに言えないキャラの声やってた人がブルーのオペレーターだし…w声の面でも突っ込みどころは満載でしたww久しぶりに宇宙アニメらしい宇宙アニメを見てスッキリしたっていうのも事実だね(^_^;)

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2009/11/24(火) 00:01:00|
  2. BLUE DROP ~天使達の戯曲~
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