土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『妄想代理人』全13話の感想。

「あなたは私の心の隙間に付け入り、ここへ現れた。私を殺すために。偽りの救済を与えるために。けれども、もう惑わされません。死んでしまいたいなどと、二度と考えたりしません。」
『妄想代理人』#11「進入禁止」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。


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 パプリカ見れば十分でした。主題とするテーマみたいなものは少し違うけれども、世界観や発想の根本にあたる部分はほとんどパプリカと同じ。登場人物だって重なるものが多いし、登場人物が同じ妄想を共有するっていう部分はパプリカに共通する。13話かけて長々とやってしまっただけ、むしろ冗長緩慢になってしまってパプリカよりも劣るのかな?却って、パプリカに比べて内容を料理せず剥き身で晒してしまった感じがする。現代社会の抱える精神的な病を具現化したような展開だったし、それを多くの人間が共有して同じ妄想を抱いているという不思議さは強く印象に残った。けれど、もうちょっとオブラートに包むべきというか、単に主張をセリフに載せるのではなく物語の流れの中で語って欲しかったなぁ。。っていうことで、いろいろとパプリカのほうがスマートにまとまっていたと思う。とは言え、今監督のやりたいことを理解するには手っ取り早いし、パプリカを理解するにも一助となるのは確かなこと。特に最終回で都会を破壊する場面が描かれたことはパプリカにも共通することで、そこにもやっぱり意味があったんだと気付かされたように思います。

■共同幻想としての「少年バット」

 初回の初めの場面で言い訳ばかりする現代人が描かれていたっていうのが、この作品を象徴するようなものでした。っていうか、あれで全て?w何かしら必死になって頑張ろうとするんだけど、どこかで直面している問題から逃げたいという潜在的な意識は誰しも持つものだと思います。そこで、人は方便を使って逃れようとする。その場合、自分から逃げたのではなく、何か自分とは関係のない部分に原因を求めて「仕方なく」問題を解決できなくなってしまうという状況を作ります。表向きは仕方ないってことになるけど、本人の内面的な問題としては自分から進んで逃げたも同然。そういった人間の弱みみたいなものをテーマに扱ったのがこの作品なのかな?
 そして、そういった「逃げるための口実」として発案されたのが「少年バット」という都市伝説的な存在であり、それは多くの人に共有される妄想であったということです。だから、みんな都合の悪いことがあると「少年バットが来てくれないかなぁ」と言ってみたり、少年バットが来てくれたことを喜んだりすることになるわけです。そこらへんが滑稽味を以て描かれていたところは面白かった。それに、そういった「逃げるための口実」を実際に見える形で具現化したところも発想の勝利って感じなのかな?結局、この作品は「逃げたい」という意識に救済をもたらす「口実」としての現象に「少年バット」と名付けたことが最大の特徴であり、そこに救いを求めてしまう多くの人々の正直な気持ちが描かれるところに一番のドラマがあった。

■弱者であることの安心感

 被害者って強いですよねw一面を捉えれば被害者って敗者とか弱者と同義になります。被害を受けるってことは自身が被害を撥ね退けるだけの強さを持っていなかったってことだし、一時的にでも社会的・身体的に損害を蒙ることはマイナスの要因しかもたらしません。だけど、そういった被害者たる弱者に安住の地を求めるっていう発想や、逆に被害者のほうが社会的に強者になることがあるから不思議。これって、ちょっとした矛盾だよねw
 まぁ、被害者が強者になれるっていうのは、それだけ社会的なルールが整っているからこその話であって、無法地帯では弱者は弱者のままってことに。。そっちのほうが原始的で解りやすいんだけど、幸か不幸か現代では被害者の立場ってものが保障されているために、被害者になったからこそ発生する権利や立場ってものがあります。だから、少年バットの被害に合うってことは、それだけ自身の立場を上手くやり繰りするための口実を手に入れることにもつながる。鷺月子が新キャラの考案に行き詰まっていたことから逃げるために、少年バットに襲われたという口実に頼ったこともそういった背景を想定するべきじゃないのかな?そして、この作品では「口実」を悪であるかのように描きます。っていうか、少年バットを倒す結末を用意していることからして、「逃げるための口実」っていうものを良くは描いていない。猪狩の奥さんが言っていたように、少年バットにすがって現実から目を背けて逃げようとする行為を否定します。
 だけど、それがこの作品の浅い部分。少年バットを倒すなんていう安直で短絡的な結末を用意してしまったところが残念なところでもあった。「逃げるための口実」っていうのは自己防衛機制としても認められるべき発想なんじゃないのかな?それがなかったら、いろいろと精神的に追い詰められちゃって破綻するしかないじゃんwまるで逃げないで立ち向かうことを正義のように描いているけれども、それは単なる理想でしかない。なぜ多くの人間が少年バットに頼るのかという現象に目を向けるべきであって、少年バットを悪であると断言することなんて誰でもできる安易過ぎる結末だった。したがって、この作品は問題提起はするものの、最終的な答えを出さないままで終わってしまった感じ。最後は少年バットを倒すのではなく、その存在を認めた上で上手く少年バットと共存するような方法を考えたほうが良かったんじゃないのかな?逃げることを封じてしまった人間がどうやって生きていくっていうの??中途半端な理想論を掲げてオチを付けようととするあたり、ちょっといただけない。

■結末に用意された破壊と再生

 最後は意味不明ながら、みんな溶けて黒い物体としてまとまっちゃいますwこれはパプリカのラストでも描かれていたこと。パプリカでは夢の世界と現実が混濁してしまい、合わせて他者との意識が共有される状況がDCミニという機械の設定のもとに展開させていたから筋道は通っていた。だけど、今回の話では人が溶けて融合しちゃうことの背景が説明されないんだよねwそりゃぁ、誰もが少年バットを生み出す精神性を共有していたし、だからこそ少年バット事件が頻発したんだろうとは思う。けれど、そのために全員が黒い物体に溶けてしまうのは意味がわからなかった。
 まぁ、とにかく破壊したかったからなのかな?wwとりあえず、人々を溶かしてぐちゃぐちゃに混ぜて、ビルや道路も破壊して、とにかくリセットしたかったんだと思う。パプリカのラストも同じだったしね。何か現代社会の抱える病みたいなものを描いてきたわけだから、それに嫌気がさしちゃったんでしょwだからリセットしたくなった。壊してしまえば、次は再生が始まります。だから、もう一度やり直す意味で、結末の部分では破壊が描かれる。そうでも考えないと、なぜ結末で破壊を描くのか理解できないんだもん。今から思えば、パプリカのラストもそうやって考えればよかったのかもしれない。



 初回の言い訳オンパレードな時点でオチが透けて見えていたんですねw逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、、結局、自分から進んで立ち向かうことを理想として掲げることは碇シンジから進んでいません。アムロは悩めるクヨクヨした現実的なヒーローだった。シンジは自分の手で獲得したものこそ信じるべき存在になると示した。…それから有名な主人公って出てきたかな?「お前を信じるオレを信じろ」として相互な信頼関係を示したアニキが次なの?wそろそろ、アニメは新しい主人公を考えないといけないんだろうなぁ。

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2009/12/03(木) 02:55:35|
  2. 妄想代理人
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