土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『PERFECT BLUE』の感想。

「私は本物だよ。」
『PERFECT BLUE』より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。


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 よくストーリーが練りこまれた作品でした。劇中劇の構造を取りながら、首尾一貫して有機的な言葉の連環が作られているところは見事。最初の「あなた、誰なの?」という問いから最後の「私は本物だよ。」という答えが物語を密接な文脈のもとに収斂させ、上々の仕上がりといった感じです。ただし、いろいろと注文というか、不満はあるw

■未麻は本当にいたのか

 最後の「私は本物だよ。」っていうセリフがめちゃくちゃ不気味だった。おそらく作り手側は表現をなかば放棄しているようなところがあって、視聴者がそれぞれに勝手に考えてくださいってことなんだと思う。いくら他の場面と関連させて解釈しようとしたところで、決定的な結論っていうのは出せないしね。。そもそも、自分自身で自分を「本物」と言うところが不気味だし、それはまるで自分を演じていることを肯定するかのようにも受け止められる。アイドル時代の未麻から女優としての未麻へと成長したことを受け入れて自己肯定したセリフとも考えられるけど、劇中劇の凝った仕組みを用いながら複雑に人格の混濁を描いた上では説得力に欠ける。私案としてはストーカーが未麻の皮をかぶって成り切っているなんてシチュエーションを想定するけど、果たしてストーカーが実在したのかも曖昧に描かれるために微妙な感じ。結局は結論も出ずに不気味さだけが残るラストでした。
 ルミが精神異常をきたして入院していることから考えれば、ルミ自身もアイドルとしての未麻に執着していて、それを女優へと変貌していく未麻に強要しようとしていたとも考えられる。っていうことは、一連の事件の犯人がルミであって、ストーカーや「未麻の部屋」もルミによるものと考えることも可能なのかな?だけど、ストーカーの幻影を見たのは未麻本人だし、そこらへんは未麻自身にも妄想を抱えることを想定しなければならない。結局は、未麻のファンやルミや未麻本人といった様々な人の思考が妄想を通してリンクしてしまっている状態を考えないと筋が通らなくなっちゃうんだよね。。これって『妄想代理人』や『パプリカ』とまったく同じ構造を持つ。多くの人の思考がリンクしてしまうっていう仕組みであって、これは『うる星やつら ビューティフル・ドリーマー』で「たくさんの人が同じ夢を見たらどうなるのか」という思考実験と同じ背景を持つと言ってもいいかもしれない。

「私、生きてるのかなぁ。ひょっとして、私、あのとき、トラックにひかれて、それからずっと夢の中なのかも…。」

 未麻自身もこんなふうに「夢の中」への移入を感じているし、もしかしたらストーカーは共同幻想だったのかもしれない。そうなると、「幻影が憑代を見つけたとしたら?」という仮定はかなり斬新だったのかな?共同幻想を抱く集団が同一の幻影を見る場合、そこには何かしら憑代があると考えても不思議ではない。その憑代がアイドル時代の未麻だったのかな?ルミもルトーカーも未麻自身もアイドル時代の未麻に対して妄想を共有していたわけであって、そこに幻想が実体化するだけの観念的な空間を得ることができたんじゃないのか…な?どうも何を考えてもはっきりしないw
 もうちょっと「名付け」の発想を取り入れると話がすっきりしたのかもしれない。要は芸名と本名の使い分けを作品に盛り込めば、より「アイドルと女優との間で揺れ動く未麻」と「女優としての未麻を受け入れた未麻」の差を印象的に描くことができたと思う。下手に手の込んだ劇中劇の構造を使っただけに、「本当の未麻」と言われても未麻の実体を迷わせるよう作られてしまって「本当」なんて存在しないとも考えられてしまう。そこらへんを整理して表現されていれば、なおのこと良かった。
 「本当の未麻」とは存在しなかったとも考えられる。精神的に安定していなかった段階での未麻は未麻であって未麻でなかった。彼女はアイドルとしての未麻に成り代わって迫ってきたルミを殺したことによって、過去の自分と決別を果たして「本当の未麻」になったと言える。だけど、そんなこと言ったら「本当の未麻」は存在しなかったことになるんじゃない?ただ単に彼女は精神的に過去の自分との決別を果たして成長しただけであって、そこに本物も偽者も存在しない。過去のアイドルとしての未麻だって当時からしてみれば本物だし、今の自分だって本物となる。大事なのは自己肯定のもとに自分の今の人格を前向きに認められるようになったということであって、決して偽者との対比の上で「本物」を考えていたのではないところにある。それなのに、「本物の未麻」だとか「私は本物だよ。」とか言わせるから解りにくくなる。もしも「私は本物だよ。」というセリフを真正のセリフだとして考えた場合には、ラストに未麻の姿をしている未麻は本人ではないことになってしまう。いくら考えても答えは出ないねww

■実像と偶像の境界

「アイドルのイメージはもう息苦しいぃんや。」

 アイドルとはイデアから派生した言葉だったかな?もとから観念的に偶像として形成されるものであるとの発想が含まれていると思います。だからこそ、未麻は本当の自分の姿とアイドルとしての自分のイメージとのギャップに息苦しさを感じるわけです。決してアイドルとしてモニターに移る姿は彼女の実像を表すものではない。
 そんなアイドルのイメージを作るのは大衆です。多くの人々にアイドルとしての未麻の像が共有されるうちに、その姿は彼女の実像からは離れて勝手に「未麻」が想像されるようになる。実際に作品の中でも多くのファンの目にズームして映像を回す場面があってけど、それは大衆の視点によって捉えられる未麻っていうのを表現していたと受け止めていいと思う。そして、ストーカーが「未麻りんのフリしやがって!」とセリフを言うのも象徴的だった。やはりファンの間では「未麻」という偶像が形成されていて、彼女を追っかけるうちに実像と偶像の違いに気付きながら偶像であることを本人に強要することになります。ここも作品として筋の通らない部分。この実像と偶像の違いを描くのが自然だと思うんだけど、なぜか横道にそれて女優としての自分を受け入れるかどうかという未麻自身の問題として描いてしまっている。どっちのことを言いたいのかわからない。仮に両方を含意するにしても、曖昧すぎて消極的な表現としか受け止められないなぁ。。「相変わらずバカだね、パンピーは…。」というセリフがあることから、大衆の視線を意識して偶像たる未麻を考えていることは明らかなんだけど…、もう少し攻めた表現をして欲しいところ。まぁ、こういった大衆の性質を描いている点では、アニメの中でも先駆的な部類に入るのだろうか。。

■自己規定において不安を抱える現代人

「私、もう自分のことがわからない。」
「ねぇ、一秒前の自分と今の自分が、どうして同じ人間だってわかると思う?」
「え?」
「ただ記憶の連続性、それだけを頼りに私達は、一貫した自己同一性という幻想を作り上げている。」
「先生、私怖いんです。私の知らないところで、もう一人の私が勝手に…。」
「大丈夫。幻想が実体化するなんてあり得えないもの。」

 大衆からアイドルとしての偶像を強要されるっていうのは、なかなか興味深い視点かも。『化物語』でも集団において共有されている「空気」に従って自己のキャラクターを確定させるっていう現象を汲み取れたけど、それと共通する部分があると思う。どうも現代人は自己規定を行う場合に「社会集団における他者から見た自己の認識」と「自身が本来的に感じている自己」との間に乖離や齟齬を感じていて、それにどう向き合うのかといった問題を抱えているのだろうか。その典型がアイドルであろうし、それは身近な例として「キャラクター」とか「キャラを作る」といった言葉にも表れている。この作品でもアイドル未麻と女優未麻と本来的未麻の三者の間で自己規定の葛藤を描いていたし、それは「未麻の部屋」を見ていながら記載者に対して「あなた」と親しげに呼ぶあたりが典型的だと思う。また、ストーカーの彼が未麻に成り切って「未麻の部屋」を演出しているところは、大衆が本人にキャラクターを強要する典型としても受け止められた。
 結局、ここで言う「もう一人の自分」っていうのは二重人格とかい言う現実的に安易に納得できる設定によって解決されるものではなく、本来的な自己と社会から与えられる自己との葛藤なり矛盾を指摘するものとして受け止めるべきじゃないのかな?ポストモダンによって大きな物語の喪失が語られるけど、新たな段階として大衆の作り出す「空気」に支配される自己っていうのが提起できそうな、できないような。。

■現実と虚構の混濁

 相変わらずというか、今監督からしてみれば本作品が出発点みたいなもんなんだから原点にあたるんだろうけど。。『妄想代理人』や『パプリカ』と発想の根本が同じなんだよねwさっきも言ったように、多くの人の脳みそがつながって同じ夢を見ているような状況を作るっていう点では共通するし、夢と現実を混濁させながらどっちが本当の世界なのかわからないようにさせるところも似ている。主観を中心に描かれてしまうから、何がなんだかわからない、というか説明する気はないんだろうね。この作品には「客観」がほとんど存在しなかった。
 一番の要因は警察の介入がなかったことかな?あそこまで彼女を中心に殺人が起こっていたら、確実に警察は彼女の周辺を洗い出す。『妄想代理人』ではそこらへんの反省があったんだろうかw今回は淡々と他者の介入なくして語られてしまったため、どうしても夢と現実の混濁を描きながらも夢側に重点を置いてしまった。結果、現実に回帰することができないままラストを迎えることとなり、何がなんだかわからずじまい。やっぱり未完成としか言いようがないのかもしれない。



 今監督の作品ってそんなに一般人が出てこないですよねwちょっと妄想のしすぎというか、現実への立ち返りが手薄になっているような…。毎度のことながら結論やらオチのような部分がはっきりと描かれないため、どうも投げっぱなしのように思います。それは解釈の揺らぎをもたらして享受する側も楽しいんだろうけど、作品としては未完成になってしまうと思う。次回の作品はぐぐっと攻めて欲しいなぁww

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2009/12/16(水) 04:10:37|
  2. PERFECT BLUE
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

コメント

稚拙ですね
  1. 2013/09/22(日) 03:59:04 |
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  4. [ 編集 ]

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