土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『東京マグニチュード8.0』全11話の感想。

「本作品は首都圏での巨大地震発生を想定し、膨大なリサーチと検証に基づいて制作されたフィクションです。リアリティーを追求し、十分なシミュレーションを経てオリジナルストーリーを構築しておりますが、演出上、実際のものと描き方が異なる場合があります。」
『東京マグニチュード8.0』各話冒頭に流れるテロップより

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。


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 メディア芸術祭の長編アニメ部門において優秀賞を受賞されたということで、取り急ぎ切り捨てていたものを見直しましたwいやぁ、#03までは見ていたんだけど、あまりにヒドかったので切っちゃってたんですよ…。それが、なんとも優秀賞に選ばれちゃってるのを知って、何があったのかと気になって最後まで見た次第ですww結論から言えば、確かに後半部分は見るところがあったけど、アニメでドキュメンタリーちっくなものをやろうっていうのが無理だったと思う。どうしてもアニメは虚構性が強くなっちゃうから、何を描いてもフィクショナルになっちゃうのは自然な話。果敢に挑戦したっていうのは認められるけど、アニメの領分じゃなかったかな。。オチなんかはハリウッドの災害パニックものに任せればいいような流れだったし、結局は主人公の主観ですべてが語られてしまうから単なる内的世界の描写と受け止められてしまうし、キャラクターの顔の作画も途中で崩れかけてたし、受賞作にしては綻びがあちこちに溢れ過ぎていたと思う。リアリティーを追求したいのか、主人公の心の変遷を叙情的に語りたいのか、どっち付かずになった感じ。それに、現代の家族関係やら人付き合いの薄くなった社会とか、そこらへんも教訓めきながら描かれていたけど、あまりに露悪的だった。こういう作品が評価されてしまう社会っていうのも嫌な感じだなぁ。。っていうかさ、冒頭テロップの「リアリティー」と「フィクション」の共存をどう捉えるべきなのかが最後まで解らなかった。後半の展開からしてみれば、単純に「フィクションです」の一言だけでよかったと思う。

■なぜ死んだユウキを実体化させたのか

 これが最大の難点。いちおう、実際にユウキが死んだ段階で彼の死が確定するような表現が明示的に行われたけれども、その後、あまりにユウキが実体化したままずっと登場するもんだから、ユウキの死が事実なのか夢なのか、判断がつかないような状況になってしまっていた。たとえば、マリの目を映さないとか、カメラワークによってユウキを不自然に映さない場面があるとか、場面を切り替えるとユウキが見えなくなっているとか、ユウキの名前をマリが決して呼ばなくなったこととか、一連の表現はユウキの死が確定していることを表現していた。なのに、ミライの主観を視点に物語が語られたために、ユウキは実体として存在したままストーリーが進行していた。これって、彼女の視点で見える世界こそが絶対的なものであるとの錯覚を常に与えるから、ユウキの死が本当なのか嘘なのか、視聴者は常に迷ったままラストまで行くことになるんだよねぇ。。トリッキーなことを狙っているのは解るけど、ちょっと、ずるいと思う。やるのであれば、もっとマリ視点によって誰もいない空間に話しかけるミライを描いて欲しかった。まぁ、今回の一連のユウキ死亡に関する表現は諸刃の剣って感じだったかなぁ。どうも制作側の手のひらの上でしか解釈ができないってのが気に食わないww
 ミライ視点によってユウキが実体化して描かれることは、かえって作品世界を彼岸へと持ち込んでしまうことになる。前半はリアリティー追求と標榜するだけに確かに現実味を追いかけるような表現だったけど、死んでしまっているユウキが実体化しているだけに後半部はミライの内的世界としてしか受け止められなくなってしまった。だから、どこまでがミライの内的世界なのかが不分明になってしまって、最後に地震そのものも夢でした~とか言う「夢オチ」すら想定されてしまうような事態を引き起こしていた。ラストを見ないと消化不良を引き起こすような惹きつけ方って卑怯だよwいや、ビジネスだというのは解るんだけど、純粋に作品を見る場合にはね…。全後半で作風ががらりと変わっちゃうのも微妙な感じ。
 ユウキが実体化するっていうのはミライの精神的な防衛機制として理解はできる。だけど、いくつか不自然なところもあった。ユウキの通う小学校に着いたとき、なぜミライはユウキのクラスに辿りつくことができたのか。ユウキがミライの抱く幻影だとしても、ミライはユウキの教室がどのクラスなのか知らないはず。こればかりは不自然きわまりなかった。それに、ユウキが自らの死をミライに告白するっていうのも意味がわからない。ミライはユウキの死亡を受け入れたくないからこそ幻影を求めたんだろうから、そんな幻影が自らを否定するような発言を行うことは不自然。どうせなら、もっと自我が崩壊したミライを描いて欲しかった。変なところで大人しい表現に持っていこうとするところも好きになれない。とことん精神崩壊を起こしたミライを描いていれば、かなりの良作になったと思う。中途半端なんだよねぇ。。。

■フィクションとリアリティー

「本作品は首都圏での巨大地震発生を想定し、膨大なリサーチと検証に基づいて制作されたフィクションです。リアリティーを追求し、十分なシミュレーションを経てオリジナルストーリーを構築しておりますが、演出上、実際のものと描き方が異なる場合があります。」

 いや、フィクションの中でしか描かれないリアリティーってのもあると思う。というか、リアリティーの定義って難しいから触れたくないんだよねw哲学的な問題にもなってくるし、結論は出ないし。目の前に存在している人が実在しているのかどうかっていう問題ひとつを考えても、それが実際に存在しているのか自らの脳内で勝手に投影されている存在なのか証明は難しい。現実世界にもフィクショナルな存在は多いし、フィクションの中にもリアルは存在すると思う。
 フィクションとは、いわゆる「作り物語」っていうもの。虚構ってやつです。現実とは切り離された世界を構築して、そこで物語を展開させることになる。とは言え、現実世界から完全に隔絶した物語を作ることはできない。虚構の世界でも現実の世界にあるものごとの通念は確実に共有されているし、作者がそれまで現実世界で生きてきた文化的背景などを切り離して虚構を作ることは不可能。だからこそ、フィクションには現実社会へのフィードバックされるべき言説が盛り込まれることにもなるし、社会風刺や批判といったものが織り込まれることも多い。さらには、そんな虚構の世界とは言え、そこで登場する人物たちの心情の機微までをも虚構というには無理がある。やはり、どんな虚構の世界であっても登場人物たちの感じたことは現実と変わりないことだろうし、そこで描かれる恋愛模様や人間ドラマは舞台こと違えど現実と大差ないものになる。加えて、それを見て涙したり笑ったりする享受者の感覚は間違いなく現実のものである。そう考えると、フィクションの中にも「リアリティー」が存在するっていうのは確かなことなんだと思う。むしろ、現実の世界では多くの人の視点が複雑に絡まりあって現象の観察が行われるだけに真実の存在を比定することが難しいことになる。つまり、同じ現象を見ていても人によってはAと見えたりBと見えたり、主観によって受け止めは一定しないことになる。一方、物語は物語の登場人物によって視点が集約されることになるから、かえって現象を一定の観察のもとにまとめることができると思う。そうなると、虚構の世界で描かれる現象のほうが虚構性を少なくすることがあるのかもしれない。これって、単なる論理的な反復を行っているだけのような気も…w言っている自分で不安になりますww
 とにかく、フィクションとリアリティーは矛盾するような観念ではないということは確かだと思う。フィクションでしか描かれないリアリティーがあるんだろうし、古くから「虚実皮膜」とも言うわけで…。
 だからこそ、本来的にフィクションにはリアリティーっていうのは確実に存在するにも関わらず、それを冒頭で見せつけがましく断りを入れるのが違和感ありまくりなわけです。制作側がフィクションやリアリティーをどのように捉えているのかも解らないけど、それが作中で示されることもなかった。しかも、中途半端にドキュメンタリーちっくな要素とミライの主観的な内的表現とを混ぜこぜにやるもんだから、始末が悪い。冒頭のテロップは「この作品はフィクションです」くらいでよかっただろうし、「リアリティーを追求し…」なんていう文言は蛇足でしかなかったと思う。

■リアリティーの矛盾

 なぜフジテレビは倒壊しないのだろうか…w東京タワーは倒れるし、レインボーブリッジは崩壊するし、首都高は阪神大震災を彷彿とさせるような倒れ方をしていた。なのに、なぜフジテレビだけ…wリアリティーを追求するんじゃなかったんですか?それに、前半部では人の死や血の描写があんまり描かれなかったんだよね。。それも、どうかと思う。やっぱり、どうしても前後半の物語の描き方の違いに不自然さを覚えるなぁ。。後半のノリで前半も描いて、もっとミライの主観によって描いていれば一貫性があったものを…。変にリアリティーとか言って被災状況を描こうとするから具合が悪くなるんだろうなぁ。。やっぱりリアリティー云々って蛇足に思えて仕方ない。
 それと、一箇所だけ自虐ネタのような場面があって笑ってしまったwマリが三軒茶屋に行ったときに、あまりにニュースで伝えられていた内容と異なっている惨状に憤りを覚えた場面がそうでした。う~ん、これもリアリティー?まさに、自虐ネタ乙って感じwこれは矛盾ていうより、まさにリアリティーなのかもしれないww

■現代社会への風諭

「こんな世界、こわれちゃえばいいのに。」

 ミライは当初はそう思っていたようです。それが、見事、ラストでは素直ないい子に…。劇的ビフォーアフター的なMADを作ったら面白いんだろうなぁwwジュブナイルのような成長譚にしては前向きさがなくって微妙だけど、とにかく主人公の性格が変わったところでは変化があったのかもしれない。
 この作品って、冷めた家族関係やら人間関係に、利己的にしか行動しない無責任な大人とか、逆にボランティアとして親切に動く大人とか、やたらと教育的な要素がちりばめられていた。それが露悪的とも取れる要素でもあり、現代社会への風刺になるのかもしれない。最近は身近に感じることのなくなった人の死についても、かなり感傷的に描いていた。まぁ、全年齢的な内容とも言えるんだけど、それなら日曜の朝とかにでも放映すればよかったんじゃないのかな?ノイタミナ枠なんだからこそ、単なる露悪的な大人への批判としか思えなかったよw
 でも、ミライの悲観的な見方も含めて、そういった露悪的な部分は本筋とそこまで関係なかったんだよねw前半の、いわゆる「リアリティー」に付随するものとして登場しただけであって、後半部の本筋にあたる内容にはほとんど影響を与えるようなものがなかった。この点もリアリティー要素が蛇足と言わざるを得ないような部分。

■良かった表現

 こんなことばっかり言っているとバチがあたりそうなので、プラス思考に良かった表現をいくつか。
 まず一番良かったのは「イツキくん」視点によって徐々に語られていくミライの幻影ってところ。さっきも言ったように、ミライは自らの抱く幻影としてユウキを実体化させていたけど、それをイツキ視点によって次第にゆるやかに気付かせていくっていうのは、なかなか技巧的で良かった。
 もうひとつ、一番最後に、ミライが二段ベッドの下段に寝そべっているシーンで、ユウキを思い起こして上段の床を足で押し上げる場面。本来ならユウキがいるはずだから布団だのが置いてあるだろうけど、軽々と押し上げられてしまう。これってセリフによってユウキがいなくなったことを語るのではなく、行動によってユウキのいない虚無感を表している部分として非常に良かった。いやぁ、この場面だけは「おぉ~」て感嘆してしまったw

■鼻についた表現

 しかしながら、やはり鼻につく場面のほうが多いわけでwユウキは出来すぎるし、最後にユウキが消える場面で「ずっとここにいるよ…」とか言いながら胸に手をあてながら別れるっていうのは手垢の付きすぎた表現で辟易とした。それに、家族で揃って泣き始める場面なんかは、もう冷めて冷めて仕方なかった。こういうのはハリウッドあたりで量産されてるんだから、別にアニメでやらなくっていいでしょw娯楽としての涙を取り入れている時点で好感度はダウンしまくりですw

■なぜ優秀賞なのか

 さて、ここまで色々と感想を述べましたが、なぜ優秀賞になったのかという話。やっぱり信じられないw前後半での作風の違いや、取ってつけたような「リアリティー」要素とか、作画のブレとか、ミライ視点によるユウキの実体化とか、もろもろ綻びは多かったように思う。推薦作品だったら納得のしようもあるだろうけど、優秀賞ってのは納得できないなぁ。。
 おそらく、もし評価をするならば教育的な要素とか、全年齢的なところとか、社会風刺っぽく露悪的に描いている部分とか、従来にはないドキュメンタリーちっくな方法に挑戦したチャレンジ精神とか、そんなところになるんだと思う。実際に、露悪的と言えば、以前にも『河童のクゥと夏休み』が大賞に選ばれていたことがあった。こういう作風が好まれるのかなぁ?全年齢的な外面をしながら、内容は社会悪をこれでもかって織り交ぜて描いたような作品。
 こういった露悪的な作品が評価されるのって、文学的・文芸的にはいい傾向じゃないよね…。やっぱり文学とかは社会道徳なんかとは切り離した部分で評価されるべきだと思う。歴史的に見ても、『源氏物語』は道徳的には非常に問題があっても、その表現性の高さや美文といった面で評価が行われてきた。江戸時代にも源氏物語の評価に関する論争があって、「桜の木は愛でるものであって、薪として実用するものではない。」みたいな比喩でもって文学と道徳意識との切り離しを論じたものがあったと思う。
 にも関わらず、こういった露悪的な作品を評価する現代社会や芸術祭ってなんなんだろうね(^_^;)なんだか不安だよ…。



 やっぱり受賞は納得がいかないなぁ。。これが選ばれるくらいなら、『東のエデン』を推したほうがよかったと思う。もちろん「該当なし」が今回の選考結果の然るべき姿だとは思うけど…。最後まで見たことで、さらに贈賞理由がわからなくなったwさぁて、審査員のお歴々はどうやって理由付けをするんだろうねw

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2009/12/22(火) 00:29:39|
  2. 東京マグニチュード8.0
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