土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

『ノエイン もうひとりの君へ』全24話の感想。

「ラクリマの私も、笑ってたでしょ?」
『ノエイン もうひとりの君へ』#21「マボロシ」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。


------------------------------------------------------------

 アニメの王道を継ぐ作品って感じでしょうか。従来のアニメが作り上げてきたアニメの典型を踏襲しながらも、新たに量子論によってその世界観について再解釈を試みた感じです。なんてったって、交錯する未来と現在において、同一人物が互いに干渉しあうっていう設定が良かった。今まではタイムパラドックスだとかで無理筋とされてきた設定なのに、それを量子論によってなんとなく合理的っぽく筋を通したために可能になったんだよね。いやぁ、ハルカの「ラクリマの私も、笑ってたでしょ?」っていうセリフは地味ながら衝撃的なセリフでもあった。

■量子論による時空間転移の再解釈

 量子論が出てくる作品は他にもいろいろとある。見たことのある中では『ゼーガペイン』(2006)が最たるものかな?あれは量子データによって構築された世界を舞台にしていたと思うから、ガッチガチの量子論アニメだった。他にも『天元突破グレンラガン』(2007)でも多元宇宙っていう発想は出てきていたし、『BLUE DROP』(2007)でも明示されないながらも量子テレポート的な場面は出てきていた。そもそも、『マトリックス』(1999)の世界観の背景には量子論があっただろうし、おそらくは他の作品でも古くから垣間見られる発想だったんだと思う。それにしても、「デコヒーレンス」だとか意味わからない術語を多用していたのは、なかなか難解だったwもう少し説明オバサンの登場を増やしてもらわないと困るねww

「神はサイコロをころがさない。あなたみたいに、量子世界の不確定性を信じられない人が持ち出すたとえよ。」
「量子世界の不確定性?」
「あなたがサイコロ転がして、6が出たとするじゃない?」
「1のほうが好きだなぁ、赤いから。」
「じゃぁ、1でいいわ。1が出たとするでしょ?でも、5や4でも良かったわけじゃない?確率は一緒なんだから。その5が出た世界、4が出た世界があるとしたら?無数の世界があって、無数のあなたが、無数のサイコロを転がしてるの。」(#11「スレチガイ」)

「観察できないってことは、そのときに量子がどんな状態にあるのかわからない。つまり、無限の可能性が存在してしまうってことなの。たとえば、ある一つの量子がどこに存在するかを論理的に考えると、観測するまではあらゆる場所に存在している可能性があるのよ。」
「ものが見えないからって、どこにでもあるってのはなぁ…。」
「うぅん。存在するんじゃなくって、存在する可能性が無限にあるの。」(#11「スレチガイ」)

 量子論的な多宇宙解釈については、こんな説明がされていました。映像ではシュレーディンガーの猫をモチーフにした解説がされていたけど、う~ん、よくわからなかったwいまだにシュレ猫については理解が及ばないんだな。。なんとなぁくでしかつかめないw確かに興味深い分野でもあるから食指が向けばやりたいんだけど、如何せん、量子論って信用ならない部分もあるのでなかなか…。感情って量子化できるのかとか、相互認識による存在の確定をどう考えるのかとか、現象と認識の存在についてどちらが先行するのかとか、いろいろと疑問は多い。
 とにかく、アニメで重要なのは「量子論」という、いかにも科学的に根拠のあり「そうな」理論を援用して、世界観を設定しているっていうところ。誰しも量子論の説明をされれば、なんとなぁくだけど納得できるというものですwそれまでのアニメは時空間転移と言えばタイムパラドックスが付きまとっていました。たとえば、『機動戦艦ナデシコ』(1996)がその典型。ナデシコでは時間移動は空間移動を伴うことを前提としたことで新たな知見を示したとも言えるし、それこそボソン粒子だとかフェルミオンだとかを援用して科学チックに世界観を構築していた。そんな流れは『トップをねらえ!』からあったものだし、トップの場合にはウラシマ効果について演出されていました。まぁ、『宇宙のステルヴィア』(2003)では「超ヒモ理論」が出てきていたし、こっち系のアニメってこの手の設定が大好きなんだよねw
 もとい、時間が一定の方向に同一軸の上を進んでいることを前提とした時空間転移を考えた場合には、どうしても「歴史を変えてしまう恐れ」というのが付きまといます。要は、同じ時間にいるはずのない存在が表れるわけだから、タイムスリップなんてのは昔からパラドックスが付き物だった。だけど、そこに量子論によって多宇宙解釈を持ち込んだことによって、同一の時空に同じ人物が二人存在しても問題ないことになった。『夏のあらし!』でそこらへんのパラドックスについてシュレ猫も援用しながら実験めいたストーリーを組んでいたけど、あれは昔のタイムスリップレベルでの話に留まってしまっていた。おそらく、『涼宮ハルヒの消失』なんかも、そういった古臭い時空間転移の発想でもって考えているんだろうなぁ。。まだまだ「タイムスリップ」と「タイムパラドックス」という昔ながらの虚構が生存して好まれているってわけです。とは言え、時代の先端はすでに量子論によって多世界・多宇宙という発想を持ち込んでいるっていうことです。
 でも、ノエインも昔ながらの発想から脱出できていない部分もあると思う。だって、過去とか現在とか未来って多宇宙解釈において有効なのか疑問。量子論では同一軸上に時間や空間が進行するっていうことを前提にしないと思われるからには、何を以て過去や未来と定義するのか曖昧になってくる。そもそも、無数に時空間が枝分かれしている段階で、カラスたちが現れたハルカたちの時空間がカラスたちの過去にあたる時空系列と同定できるのかは不明だと思う。その点、確かに本編でも「幻」という言葉を使って、カラスたちからしてみた虚数空間たるハルカたちの時空間を表現していた。でも、なぜか作中では現在とか未来とかっていう言葉が相変わらず使われている。どうも、中途半端というか、徹底してないんだよなぁ。。微妙に量子論が使えているのか使えていないのかがわからない。。専門家の人たちはどう見るんだろうか。もはや量子論の多宇宙解釈では「時」なんていう概念は使えないようにも思うんだけど…。もっと、何か一直線や枝分かれ的に時空が系列化されるのではなくって、銀河系のモデル図みたいに円盤型になるようなイメージを持ったほうが理解が早いような気がする。「過去⇔未来」っていうベクトルで考えるんじゃなくって、「中央⇔周縁」とか「集密⇔閑散」とかな感じ。う~ん、よくわからんww

■カラスの見る夢

 結局、ハルカたちが存在していた世界って、カラスが見た夢だったという可能性を否定できていないんだよね。カラスがラクリマから見たら虚数空間であるハルカたちの世界に対して、実際に自分の存在を飛ばして観察したからこそ、ハルカたちの世界の存在が確定した。となれば、カラスの視点を通して観察されただけに、カラスにとっての近似値の世界になるのは当然のような気もする。これって、カラスを中心に考えた場合の話。
 ただ、そこに大きな落とし穴がある。作中でも触れられていたように、最終的には主観による認識によって存在が確定するっていうだけじゃなくって、相互の認識関係によって存在が確定するものと思われる。そうなると、どっちが先行して存在していたのかわからないし、そんな考えは不毛な問いになるのかもしれない。結論から言えば、絶対的な観測者は存在しないってことなのかな?ラクリマの人々は絶対的な観測者っていうのを信じていて、だからこそ龍のトルクを追い求めていたんだと思う。そして、実際にハルカたちに会ったカラスやトビといった人々は相対的に観察することによって存在の保証を得ることができると気付いた…、というのがノエインの粗筋になるんだろうか。

「俺たちは子どものころ、時が過去から未来へ流れることは不変だと信じていた。」
「そうだね、昔はみんな無知だっただけだよ。」
「しかし、時間という概念は人間たちが思考した尺度でしかなく、真実は空間と連鎖変動する値でしかないと知った。時間も空間も常に変化し確定しないものだと知ったとき、人間は存在の意味を見失ったのではないのか。この時空も、ラクリマも、この俺も、ハルカも、すべて幻だったのかもしれない。」
「それは違うよ。観測することによって、存在は確定されるんだ。カラスはハルカを見つけた。だから、ハルカは存在する。そして、ハルカもカラスを見つけた。だから、カラスはここにいるんだよ。」(#15「シャングリラ」)

「お前達は混乱しているんだ。あれは、我々がシミュレーションした時空だ。龍のトルクも量子のスピンによるエネルギー体でしかない。あれが人間に思えるのは、我々の存在が干渉した結果でしかない。」
「でもねぇ、私という存在があの子をハルカと認識したのよ。あの子も私を認識してくれた、本当の名前で。」(#17「マヨイ」)

 互いに認識する関係が保たれるから相互に存在の保証を得ることができる。それが結論になるんだと思う。でも、この場合にはどっちが先行して存在していたのかといった問題が出てくるから、これはこれで問題がある感じ。ハルカたちの世界がカラスの見た夢や幻ではないのかという発想は、そのまま作中で否定されている。けど、そこから先の問題については棚上げな状態なんだよね…。

■太陽の色は何色なのか

 不思議なのは、なぜ人々は同様の概念を共有できるのかっていうこと。たとえ同じ現象を見ていても認識の段階で誤差が出るのは当然の話だし、にも関わらず、同一の概念を共有できているっていうのは不思議なんだな。そこらへんはイデア論とかの延長になってくるんだろうけど、なかなか難しい。たとえば、太陽の色なんてのは人によって違う。単に言語感覚的に表現を違えているだけではなくって、色立体なんかを持ち出して指差してもらったところで、多くの人が共通して同じ色を指すことは珍しいと思う。色弱なんかの場合には特に違う色を指すだろうけど、「太陽の色」という概念の上ではまったく問題を起こさないと思う。そうなった場合、「認識」とはなかなか厄介な発想になるんだよね。つまり、ハルカとユウは同じカラスを同時に観察していたとしても、それが果たして同一のカラスと認識したかどうかは不明っていうこと。同じ名前を与えて「カラス」という概念を共有した段階で、固有の認識段階で得た情報はかなりデフォルメされるかして共通概念に接近させられてしまうんだろうか。。相互認識とは言え、これもまた問題は多いと思う。

「ハルカちゃんは、博士の理論の実証例になるかもしれないです。量子的な不確定世界を確定させる現象は、人間の特異な量子的構造が原因となる。人の存在がすべてを確定させ、人は時空が重ね合わさってできている宇宙の根源であり、ネットワークの中心である。博士の理論ですよね。」(#12「マボロシ」)

 人間ってなんだろうねって至って抽象的な話になっちゃうけど、答えが出ないんだから仕方ないw認識したから存在するのか、存在しているから認識できるのか、そういったニワトリと卵どっちが先かっていう話とも絡んでくるから、なおさら問題は複雑になる。少なくとも、ノエインで扱っているのは頑張って量子論を取り入れようとしただけであって、何かしら積極的に科学的なアプローチを行っているというわけではないと思う。あくまで、作品世界を構築するためのガジェットとして量子論を持ち込んだだけであって、大事なのは量子論によってタイムパラドックスが解決された点にあるんだと思う。

■交錯する過去と未来

 そんなパラドックスの解決によって獲得されたのが、同一時空に同一人物が存在するっていう奇妙なシチュエーション。同じ時空にカラスとユウが同時に存在したり、会話したり…。こんなことって、量子論を取り入れてない昔ながらのタイムスリップだったら、あっという間にタイムパラドックスが起こって、たとえばカラスが透明になって消えそうになるっていうのが定石の展開だった。実際に『夏のあらし!』の場合には過去の自分と近付くと身体が透けてくるっていう設定だしねwなのに、ノエインでは堂々と会話したり触れたりできている。しかも、そんなシチュエーションを上手く生かした形で文藝性を獲得できているから、その点がノエインで最も評価されるべきポイントだと思う。

「よっ、お嬢ちゃん、元気でやってるか?」
「おじさん、誰?」
「まいったな、おじさんか…。あんまりイサミをいじめるなよ。やつはまだガキなんだ。許してやってくれ。そうでもないか、今でもガキか…。」(#11「スレチガイ」)

「ガキのころから変わらねぇなぁ、ユウ。」
「お前もだ、イサミ。」
「アイと会ったぜ。お前がこの時空に惹かれるわけがわかった気がしたよ。」(#11「スレチガイ」)

 フクロウがアイに遭遇する場面なんてのは、言いようもない郷愁というか奥ゆかしさがあったと思う。加えて、仲良さそうにしているユウとイサミを眺めながら、フクロウとカラスが対決前夜みたいな会話をするっていう裏腹な関係性も刺激的だった。他にも、#12「タタカイ」ではフクロウが死んだときに自然と涙を流すアイが描写されたり、#17「マヨイ」でもイサミとアイが仲良さそうにしている場面の直後に、フクロウの冥福を祈るアマミクが映されていた。この一連の現在と未来の同一人物たちが織り成す微妙な関係性が、すこぶる印象的に描かれていたように思う。

■統合思想を持つ悪役

 それにしても、オチは微妙だったんだなwラストスパートがかかっている部分は従来のアニメそのまんまだったこともあり、そこまで特筆するような場面はなかったように思う。いや、確かにラストは鳥肌が立ったし、良かった。けど、あの悪役たるノエインの言動は、あまりに手垢の付き過ぎたものだったと思う。

「人の存在が悲しみを生む。認識は誤解の始まりでもあるのだよ。だからね、人は認識することをやめ、個の存在を消し、集合と化した。」(#23「オワリ」)

「人はねぇ、この時空にただ存在するのではない。求める時空を人は認識することにより、その時空は存在する。絶対的観測者は、一人一人の人間なのだよ。だから、私は絶望した。すべての時空は不幸の連鎖から逃れられない。初めが悪かったのだ。だから、時空をシャングリラに統合し、無に帰る。無に帰れば、また初めから時空は生まれ、枝分かれて行き、新しい宇宙が生まれる。今度こそ、よき時空が生まれるだろう。」(#23「オワリ」)

 世界を一つの存在に同一化しようっていうのは悪役の常套手段だよねwそうすれば、悩みもなくなって、みんな同じ脳みそを共有するから戦いもなくなるって感じ。「無」への憧れって感じかな?非常に典型的。たとえば、『ガンソード』(2005)の鉤爪も同じ感じだったし、『交響詩篇エウレカセブン』(2005)も同じ発想があったように思う。これって、彼我の境界をなくすことで相対関係を無効化することが可能となり、結果として絶対的な存在へと昇華することができるっていう論理だと思う。だけど、やっぱり他者が存在した上での相対的な関係性が構築されないと安定した自己存在の保証を得ることはできないっていうのが最終的なオチの背景にある論理じゃないのかなぁ。。そういえば、彼我の境界で言えば『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)もそうだったねwどうも遡れないなぁ。。「無」への憧れってどこから発生したのか、ちょっと気になるところ。ファイナルファンタジーがそうだったっけ?う~ん、思いつかない。

■何気ない日常風景

 まぁ、ラストはそれほど特徴的でなかったとしても、そこに至るまでの過程が良かった。何気ない日常の風景や会話にセンスを感じますw脚本ってのはこうあるべきだよね。。最近のラノベはシチュエーションやストーリーの筋立てだけで物語を進めようとするから軽くなっちゃうんだよ。狙ってやってるんだろうけどwハルカとユウの微妙な心情の変化とか、アイとのケンカとか、親子関係とか、細かい部分だけど何か奥行きを感じさせる言動がちりばめられていた。こういった細かい作業こそが物語世界の安定を保証しているんだろうねw

■異能者アニメとしての

 思えば、ノエインってのは異能者ものとしての性質も持っている。簡単にまとめれば、SFに学園ものが少しばかり入り込んだ感じだと思う。加えて、異能者要素も考えたほうがいいかな?異能者ってのは魔法使ったり、奇跡を起こしたり、紙を自由に扱えたり、吸血鬼だったり、契約者だったりする感じwノエインでは量子的に改造された身体によって、プラズマを発生させたり腕から変なロープ状のものが伸びたり、いろいろと異能力を使っていた。あんまり表立って印象付けるような描き方はしてなかったけどね。。ただ、SFに異能者を登場させるっていうのも斬新だったかもしれない。普通はSFっていうと機械がメインになるから、超能力的な異能って出てこないことが多い。だけど、ノエインの場合は身体的な明らかな異能も、いわゆる「量子論的」に解決してしまうから、SF世界に異能者が共存できるのかもしれない。量子論って便利だよねww

■アニメらしい作画

 いやぁ、作画がよかった。最近はデジタルになって細かいながら味のない絵が増えてきたように思うけど、ノエインの絵は本当にアニメの特性を生かしたアニメらしい絵だったと思う。あんまり絵は詳しくないからわからないけど(^_^;)
 やっぱり松本憲生さんの作画ってスゴイね。。『NARUTO』とか『ストレンヂア-無皇刃譚-』でも見てきたけど、重力の感じと言い、動きの勢いと言い、とにかく惹き込まれた。。他の部分においても、割とデフォルメしたり部分的に特化させるような印象的な描き方を取り入れていたけど、それこそアニメがやるべき作画なんじゃないかとも思ったりする。アニメは意識的に省略することのできるメディアなんだから、別にリアルに描く必要はそこまでないんだよね。。たとえば、アトリの前髪は典型的だったかもw左向いても右向いても、前髪は後方に垂れるだよねwリアルに考えればありえない前髪だった。他にも涙とか口の形とか目の描き方とか、やっぱりアニメらしさを感じる。
 そういえば、『おジャ魔女ドレミ』の雰囲気を感じたのは気のせいだったんだろうか…。なぜかノエインの絵を見ていると、ときどきおジャ魔女っぽい絵になることがあるんだよねぇ。。作画の人が重なってるのかなぁ?他にも、シャングリラの遊撃艇ってグレンラガンにも出てきた?wグレンラガンのほうが後発になるんだけど、どっちも観音様をモチーフにしたデザインになってるんだよね。。何か関係があるのかなぁ。。。よくわからん。



 ハルカがめちゃくちゃ可愛かったw毎回の作画が変わってくるから顔が一定するわけじゃないけど、その反面、いろんなハルカの表情を見ることができて楽しかったなぁ。。確かに、人間の表情だって時により見る人間により見え方は変わってくると思う。実は、そんなハルカも本当に同一のハルカの連続体であるのかどうかは不確定だったりするんじゃないの?そこらへんも含めて、相互認識による存在の確定やら交錯する過去と現在と未来やら、いろいろ抜けはあるのは確かなわけで。これからのアニメでさらに再解釈するような作品が出てくればいいなぁ。。

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2009/12/24(木) 23:36:50|
  2. ノエイン もうひとりの君へ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

コメント

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
  1. 2014/03/07(金) 17:33:16 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

<%template_post\comment>


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://lizardofsuturn.blog40.fc2.com/tb.php/188-5b926121
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。