土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『とある科学の超電磁砲』#12「AIMバースト」の感想。

「レベルアッパーを使った人たちって、本当に間違ってたのかなぁ…。結局、あの人たちの気持ちに気付いてあげられなかった、私たち能力者が今回の事件を招いた張本人なんじゃないかな?」
『とある科学の超電磁砲』#12「AIMバースト」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。


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 う~ん、油が乗ってるなぁ。。いい最終回でした…。いや、まだ終わってないけどww禁書目録は極めてライトノベルらしい「軽み」の目立つ展開ではあったけど、その反動のせいか、超電磁砲はキャラクターの内面を描きつつジュブナイル要素も盛り込んで安定した仕上がりを見せています。この変貌ぶりはなんだ?wいまさらながら、毎話の感想を書いていても良かったなぁと思ってます。ただ、「とある」シリーズへの入り方が超電磁砲の初回あたりから入ったので、こういうふうに化けるとは思ってなかった…。しかも、面白くなってきてから禁書目録を見たら、どうしようもない作品だったので、最初のころはいい印象を持ってなかったんです(^_^;)いやいや、ここまで見たら、そんな印象は吹き飛んで毎週欠かさず見るようになってますよ?ということで、遅ればせながら、一段落を迎えたところで感想を。

■能力者社会のジレンマ

 異能者の活躍や苦悩を描いてきた作品は今までも多くあった。というか、それが主流でもあった。だって、ヒーローとか主人公には他人にはない能力が与えられるっていうのが普通だし、そうでもしないと主人公としての資格を満たすことがなかった。明らかに人智を超えた能力を見せる異能者アニメとしては『BLOOD The Last Vampire』(2000)、『R.O.D』(2001)、『Witch Hunter ROBIN』(2002)、『BLOOD+』(2005)、『DERKER THAN BLACK 黒の契約者』(2007)なんかが挙げられるだろうけど、どれも能力を有する人間の苦悩なり生き様が描かれてきた。他にも、明らかな異能でなくとも、主人公に特殊な生い立ちや能力や資質を与えるのは至って普通の話。今回も御琴はレベル5のレールガンとして異能者の地位を欲しいままにしているし、禁書目録でも上条さんは異能者であった。やっぱり主人公スキルって大事だよねw
 そんな中、今回の話では無能力者の苦悩を描いたわけです。しかも、そういった無能力者の苦悩から生じた事件の発端が能力者にあるんだと結論付けるところがあるからスゴイ!伏線として数話前から佐天の無能力に由来する苦悩は描かれてきたけど、それを悪としなかった。一見すれば、能力者に憧れながらも努力をせずに「裏技」によって能力を獲得しようとした佐天たちには精神性から言って僻目や嫉妬があったとも言える。だけど、それは社会全体が彼女たちの存在を認めるようなゆるやかさを持っていなかったことも一因と考えられるし、御琴や黒子といった能力者はそれを否定しなかった。
 なんだか、今の世相を反映しているように思えちゃうなぁw実力社会の影で零落していく能力を持たない人々って感じ。努力すれば夢は叶うという幻想を持たせたり自己責任論を展開したりして不満を抑えてはいるけど、次第に膨れ上がる無能力者の勢いは止められなくなるんじゃなかろうか…。というより、ある一面では能力者としてブイブイ言わせたところで、他の分野では無能力と看做されるわけだから、言ってしまえば全員が無能力者の立場になる可能性だってある。分業化や細分化によって「○○の分野については誰々がスゴイ」っていうプロ意識がある一方で、専門以外については無能力であることは誰しも同じ状況となるため、全体的にこの類の苦悩を生み出して抱えてしまうシステムが潜在的にあるのではないかとも考えられる。あまりに専門分野にそれぞれが特化するようになるだけに、互いに専門外には無批判になる傾向があるだろうし、専門外に口出しをすると却って批判の対象になってしまう。そんなジレンマが形成されつつあるんじゃないだろうか。佐天は能力者としてはレベル0で無能力だったし、それが能力者社会の中では彼女に大きな劣等感を負わせることになった。そして、そういった人が多数に上ったところで不満の総体が実体化してAIMバーストとなった。佐天だって、能力以外の部分で特筆すべき資質を持ち合わせていたかもしれないけど、それを能力者社会の価値観は評価しなかった。どうも専門意識における優越感と専門外における劣等感は表裏一体のようで、誰しもがこういった劣等感を抱く可能性はある。実力社会として、能力のある者を優遇する価値観を共有している現状社会において、同様の不満というのは日々に蓄積されてるんじゃないのかなぁ。。専門的な知識や能力がなくっても認められるような価値観を共有できるシステムを醸成していかないと、どうやら不味いようにも思う。

■実体化した悪役としての総意

 意識の総体を実体化させたのって、初めてだったんじゃないのかな?社会集団において「大衆の総意」なり「意識の総体」なんてのを取り上げたのは『攻殻機動隊S.A.C.』(2002)だったし、『Serial experiments lain』(1998)、『妄想代理人』(2004)、『パプリカ』(2006)、『化物語』(2009)でもその性質は垣間見られた。要は、個々人の上位に無意識ながら集団的な意識が形成されているのではないかっていう発想で、主にインターネットの普及に伴った物理的身体を離れた意識体の形成が一因とも考えられる現象だと思う。しかしながら、そういった総意に言及はあっても、それが実体化して現れるっていうのは今回が初めてなのかもしれない。『攻殻機動隊S.A.C.』だって「大衆の総意」ってのは指摘があったし、それに依拠して行動する人物ってのは出てきた。アオイくんが典型だし、「笑い男」って存在そのものが大衆の総意を反映した存在だったのかもしれない。けれど、それは極めて抽象的な存在であって、大衆の総意を背景に行動することだって、単に総意に憑依されたようなものでしかなかった。一方、AIMバーストは総意が物理的な実体を伴って実際に登場したわけです。
 敵としては十分なのかな?不満やら社会の矛盾を突く存在を悪役にまわすっていうのは昔ながらの方法って感じ。でも、それが誰か奇矯な人物単体の発想したことではなくって、多くの人々が思っている総意を実体化したものだっていうところがスゴイ。これって、悪役になりうる能力者に対する嫉妬なり僻目を大多数の人が持っているってことでしょ?絶対的な正義ではなくって「それぞれ」に正義があるんだっていうのは『機動戦士ガンダム』(1979)なり『機動戦艦ナデシコ』(1996)で指摘があったけど、それぞれに「悪」が潜在的ながらもあるっていうのは目新しい気がする…。

■キャラクター

 いやぁ、黒子がいい味出してるなぁw例によって、この作品もキャラクターの整理再統合を行っていたわけです。しかしながら、御琴・黒子・初春・佐天の掛け合いがよくできている。単にそれぞれが記号的にキャラクターの立ち位置を演じているわけではなくって、それぞれが互いに影響しあいながら心情の変化を見せるところが他と一線を画するところかな?これも以前のキャラクターを記号的に扱わなかった作品では当たり前のことなんだけど、ライトノベルをはじめとする作品には文脈やら心理描写があまり見られなくなっていた。それと言うも、心理描写って読解力が必要になるし、登場人物が悩んだり葛藤したりするのって見ていて気鬱になるからなのかもしれない。。けれど、そんな軽みを見せるキャラクター性を持ちながら、同時にキャラクターの成長を描いているところが素晴らしいというか、懐かしいというか、ほっとするところ。
 御琴の性格にしても、明らかにツンデレキャラとして描かれるものの、従来のツンデレみたいな個人的な関係性に留まるようなものではない。いわば、社会全体に対するツンデレ?「べっ、別にみんなを守ろうと思ってご奉仕してるわけじゃないんだからねっ!」って感じw壮大なツンデレ??そんな、学園都市全体を守ってしまうようなヒーローである御琴がツンデレであるっていうのも面白い設定だよねw

■軽みの扱い

「っていうか、一山超えたら水着回とか、安くない?」
「何をおっしゃいますの。お客様は神様ですのよ!?」

 『生徒会の一存』が初回にてパロディーをさらにメタで捉えたようなセリフを多く使っていたけど、それと同じようなセリフが次回予告にあった。水着回を中ほどに入れるのは、いわゆる「テコ入れ」ってやつかなw客引きの常套手段ってところです。要するに、お金を払ってくれるお客様のために水着を着させるわけで、作品としては別に本筋とは関係ないですよっていう感じ。最近は『生徒会の一存』や『にゃんこい!』のように、単にパロディーを取り入れるだけじゃなくって、パロディーしていることを自虐ネタっぽく扱うアニメも増えてきた。もう、客引きのために水着回を入れるっていうのは、制作側と客側の双方に共通の理解があることなの?この作品も例に拠ったところか…。
 なんていうか、次第にギャグやパロディーやキャラクター性といった要素による「軽み」を前面に押し出しつつ、本当にやりたいこと(ジュブナイルやら重苦しい心理描写やら人間ドラマやら思想性)を滑り込ませる手法になりつつあるのかな?以前はSFだのファンタジーだのを表向きの題材に選びながら、そうやっていたように思うけど。。超電磁砲を見ていると、ツンデレや変態といったキャラクター性を前面に出しながら、AIMバーストや無能力者の苦悩といった内容を作品の実として提示しているように思う。人目を惹くような娯楽的要素を前面に出しながら、ラストになると急に思想的な内容を増やすみたいな手法ってのはアニメの得意とするところだよねwただ、娯楽的な嗜好が時代とともに変わってきたというだけだね(^_^;)




 それにしても、サザエさんみたいな安定感がありますwとは言いすぎだけど、「とある」の世界を舞台にしながら、好きに自由にキャラクターを動かしている感じ。禁書目録がシチュエーションやキャラクターといった客引きに重点を置いたような方向性を持っていたのに対し、超電磁砲はキャラクターの内面を丁寧に描きながら成長を伴って文脈ある展開を示しているように思えます。AIMバーストは従来の作品が示した内容を進展させたものとして評価できるし、無能力者の苦悩を取り上げたことも斬新だった。当然ながら、ツンデレやら変態やら客引き要素は忘れずに、トータルバランスが優れた作品になっているんじゃないのかな?そういえば、冒頭で木山先生が叫んでましたけど、こんな感情的で自省的な少佐の声ってのも斬新でしたwあ、中の人の話です。。いやぁ、今回の記事はいい感じに仕上がった気がする、と、自画自賛してみるw


テーマ:とある科学の超電磁砲 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2009/12/30(水) 00:01:00|
  2. とある科学の超電磁砲
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

確かに僕もいい最終回だと思いました

この文章も分かりやすく丁寧でとても勉強になりました。
  1. 2010/01/01(金) 22:22:09 |
  2. URL |
  3. 藤川 #-
  4. [ 編集 ]

あけおめです

お久しぶりです☆

さて、「能力者社会のジレンマ」に補足を少し。今回の考えは一元的な価値観を共有していたらという仮定の話です。本編で言えば「能力」があるのかどうかっていう価値観。しかしながら、現状社会では決して価値観を一元的に提示しておらず、多様性を認めています。だけれども、たとえばグローバリゼーションなんてのは価値の一元化を求める性質が少なからずあるようですから、今回の指摘もまんざらではないかもしれません…。
  1. 2010/01/02(土) 17:04:10 |
  2. URL |
  3. 土星蜥蜴 #sFkuDBeA
  4. [ 編集 ]

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