土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『ひぐらしのなく頃に』50話分の感想。

「もしもし、前原さん。今、そこに警官が向かっています。2~3分で到着しますから!前原さん、犯人は誰です。何人なんです!?」
「俺も、最初は…、人間が犯人なんだと思いまし…。だけど、やっぱり…、オヤシロさまってのは…、いるんだと思います。今…」
『ひぐらしのなく頃に』#04「鬼隠し編 其の四 歪」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。


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 新年あけましておめでとうございます。いやぁ、本年の一発目の感想は『ひぐらしのなく頃に』と『ひぐらしのなく頃に・解』ですwまさに年越しのタイミングには崇殺し編を見ながら、すくみ上がっていましたww怖いの苦手なので、いつまでも放って置いたこの作品…。とうとう覚悟を決めて見ることにしました。見てしまえば何のことはない…とは言いすぎだけど、後半からは半分笑いながら見てたような。。なぜって?そりゃぁ、ボロがたくさん出ていたからさ!!w寸評を言えば、前半は人の狂気や村における共同体意識の作り出す神っていうのが描かれていてよかったものの、後半でSFちっくな蛇足を行って、矛盾だらけの謎解き迷路を放置したまま終了って感じ。「村」という共同体の様子や殺人に関する狂気の心的背景などなど細かい部分では期待できるものもあったけど、後半に強まった客引き要素の臭さに消されてしまったようなものだった。ちょっと残念ではある。いつも通り、原作は見ないでアニメ単独での感想になりますので、その点はご了承ください。

■なぜ「ひぐらし」は流行ったのか

 まず理解ができない点がこれ。「ひぐらし」を見ていると、なんだか時代が一昔前のような気がしてなりません。いや、そもそも時代設定が昭和58年前後なわけだから、一昔前なのは当たり前。なんだけど、昭和58年ってこんなに昔だったの?まだまだ地方色を残している寒村って言ってしまうと失礼かもしれないけど、そんな村だからこその雰囲気なんだろうか。。しかしながら、その古さも単に物が古いとか風景が古いとか言うわけではない。彼ら登場人物の抱えている時代背景や発想が古いんだよねぇ。。たとえば、神社に祀られている「神」を信仰しているところ。しかも、その信仰が形骸などではなく、実際に生きた信仰だからなぁ。。加えて、呪いとか祟りとかも信じられているし。。町内の寄り合いがあって、御三家のような有力地主が発言権を大きく持っていて、園崎家のような家業が成り立っていて、市役所などの官庁に対しても融通の利かせられるような時代っていうと、昭和58年ってのはなかなか信じがたい。
 何より、村八分のような観念が暗黙のうちに成立してしまうような環境っていうのが一番信じられなかった。ラストのほうで明らかにされているけど、北条家に対するレッテルっていうのは「北条家の人間と話しているのを見られると不味い」という意識が暗黙のうちに全体に共有されていたからこそ、誰も実際に話しかける人がいなかった。しかし、実際には北条家に対する裏切り者意識っていうのも薄れてしまっていて、単に外聞のみによって北条家への嫌悪感が一人歩きしていた感じでもあった。こんな共同体に暗黙のうちに通念として成り立つ村八分が恐ろしいw現代では隣人との付き合いもめっきりなくなりつつあるなか、これって想像するに難しいところもあると思う。
 要は、神様にしても村八分にしても、何かしら「村」という単位の共同体の中で同一の観念なり思想が共有され、そこから逸脱するような行動を取った場合には村から疎外されてしまうという環境が描かれているということ。現代からは想像するだに難しい状況だろうと思うんだけど、なぜこういった設定が大衆に受け入れられたんだろうか…。圭一たちの友達関係にしても、あれほど年齢の差を超えて同じ学校に通う生徒が仲良くなるっていうのも、とても身近にあるとは思えない。
 でも、そのくせ登場人物の服装なんかは時代にそぐわないような服だったりするんだよね。特にレナの服装って何?wあんなの昭和58年になくね??まぁ、キャラクターについては圭一主人公のハーレム型を用いていることや、表情の描き方とか、擬音語を多用して可愛らしさを演出するあたりとか、客引きの要素を多く取り込んでいる向きがある。だから、服装に関してもそう考えればいいのかもしれない。すると、なおさら時代設定とキャラクターの間に違和感があるし、見る側の抱える時代背景と作中の時代背景との間にも大きな隔絶を感じる。
 そう考えると、受容する側に設定を理解するだけの時代背景がない以上、ああいった設定に奥行きを読み取ることはできないと思うんだよね…。特に今の10代の子どもたちが見ても、作中で描かれる「神様」の概念(三四の言う神様ではなく、特に前半で口にされるオヤシロ様のような神様―まさしく圭一が「オヤシロ様はいる」と言った段階での意識)とか村の共同体意識ってのは理解できないんんじゃないだろうか。。20代もキツイんじゃない?どうも、この作品が流行った背景がなかなかつかめない。
 それとも、自らが失った過去の時代を求めて見ていたってこと?それって、時代劇じゃんwあるいは、そういった時代背景などは無視して、純粋に客引き要素に釣られただけなんだろうか。。確かに挑戦的な謎解き要素を散りばめながら、エロゲ・SF・ホラー・サスペンス・ミリタリーなどなど様々なジャンルの要素をごった煮にしたような演出をしているものだから、それぞれの方面から反響はあるんだろうけど。どうも作品の内容で売ったというより、その刺激的な展開やら演出に踊らされたのではないかという気がする…。それはそれで、スゴいことだとは思うけど。。

■台無しにされた狂気

 この作品の中で期待をかけていたのは、圭一や詩音といった狂気をおこした人々の背景にある観念だった。いやぁ、鬼隠し編のラストは本当に怖かったなぁwあのときは心底震え上がった感じだったwwそれに、詩音が様々な人々を手にかけていくところも、鬼気迫る描写で好きだった。だけど、残念なのは、そういった狂気を短絡してSFちっくに病気で片付けてしまったこと。これじゃぁ、単なるありふれたSFになっちゃうよ。。作中でも言っていたけど、この雛見沢症候群っていう設定は「まるでどこかのB級映画」だった。本当にそうだから自虐ネタにしか聞こえないよねw
 何を見ていたかと言うと、なぜ彼らはそういった行動をおこすのかっていう背景でした。まず、鬼隠し編の圭一で言えば、レナや魅音が狂気染みた行動を取りながら圭一を追い詰めていく様子ってのが良かった。狂気は伝染するんだねぇ。。圭一は彼女たちの背景に村の陰謀だのオヤシロ様だのを読み取って、彼女たちの殺人が正当化される中で行われることに恐怖を感じたんだろうか。圭一みたいな村に疑心を持つ人間は排除されて当然という観念が暗黙のうちに共有されているからこそ、レナと魅音の行動にはどこかしら正当化されう得る力を感じ取ることができた。これこそ、「オヤシロ様」と呼んでもいい現象だったのかもしれない。圭一は「オヤシロさまはいた」と言うけれど、それはレナや魅音たちが自分の意志で圭一を殺そうとしているわけではなく、彼女たちの背景に村の共同体としての意識があって、それが彼女達を揺り動かして殺人へと導いているという背景を含めて言っているものだと読み取るべきだったと思う。それこそ、治外法権のように村の中では日常の空間では通用しないルールが成り立っていて、その圭一からしたら意味不明かつ確実に運用されている権力構造に「神様」という像を結んで見たんだと思う。
 また、詩音の例で言えば、それは彼女がオヤシロ様の化身の如く振舞えた動機にあると思う。なぜ好きだった人々を軽々しくも殺すことができたのかと考えれば、やはり村という特殊かつ閉鎖的な空間において通用している「オヤシロ様」が背景にあったと考えるべきじゃないのかな?悟史を誰が殺したのかという復讐劇として彼女の殺人は始まったけど、それは途中から復讐としては行過ぎたものになっていく。もっと魅音や公良なんかと脅しをかけながら会話していれば、悟史が死んでいるという虚偽を見抜くことはできたろうに、次第に短絡して殺人を重ねていくところに人間の狂気があったように思う。なぜ彼女は殺人に走ったの?その動機は、もはや最後には悟史がいなくなったことへの復讐からは大きく離れていた。ここらへんの魅音の心理描写をもっと細かくやってくれれば、より一層よかったと思うんだけどなぁ。。
 なのに!!なのに、羽入とか言う新キャラクターでお気楽に「神様」の正体を片付け、死に方すらも雛見沢症候群に由来したリンパ線をかきむしる衝動によるものと考えてしまい、様々な狂気染みた殺人も症候群による疑心暗鬼に端を発するものだったと落としたところがダメだった。どうして、こんな蛇足を行ったんだろうか。。あのまま人間の狂気を描いていればよかったものを…。

■様々な未解決部分と客引き展開

 まぁ、全体的に客引き要素ばかりが目立ってしまい、もっと突っ込むべき心理描写や背景設定が省略され気味だったのが痛かった。本当に前半部分の「狂気」は秀逸だったんだけどなぁ。。失速w加えて、後半からは軽々しく解決を行うもんだから、前半部に泥を塗ったようなもんだよね。。
 そして、その客引き要素としての部分にもいろいろと矛盾なり未解決部分があったように思う。どうも謎だけはみっちりと仕込んでいるというか、解決できる見込みもないのに不思議要素を出して事態を無意味に複雑にしていた。それすらも客引き要素なんだろうなぁ。。
 たとえば、綿流し編の最後に圭一の病室にて圭一の手をつかんだ魅音なのか詩音なのかわからない人物は何なの?後半見たところで、納得の行くような説明が与えられることがなかった。あの時点で圭一が雛見沢症候群を発症していて、被害妄想の拡大から彼女の幻影を見たとも考えられるけど、それって好意的過ぎるよねwあの病室にあの時点で彼女がいることは、それこそ本当のホラーになってしまう。
 それに、そもそもパラレルワールドな展開をしていたけど、その設定はどうなってるの?メディアミックス込みの作品群だから、他の作品で設定の解説があるのかもしれない。けれど、同一の作品の中で設定が自己循環するような完成度を持たないっていうのは、作品として未完成と言われても仕方ないよね…。何度も同じ世界を繰り返すっていう設定がどういった発想のもとに行われているのかまったく理解できなかった。おそらく、ゲームをやるときのルート選択が原案だったんじゃないのかな?あるタイミングでこの行動を取ると、こういったルートが導かれてひとつのエンディングを迎える。そして、また別のルートを攻略するためにセーブデータからもう一度他の選択を行ってゲームを進める。これを展開図のように各編に散りばめたのが、今回のアニメの構成だったんじゃない?こう考えると、符号するところも多くあると思う。だけど、やっぱり納得できないなぁw時間軸について、そういったゲームのルート攻略を背景に宛がって考えたところで、大きな矛盾を感じるところがあった。『ひぐらしのなく頃に・解』の初回「ハジマリ」って、どんな位置付けになるの?大人のレナが出てきたり、部分的に大人になった梨花が出てくるけど、なぜか赤坂たちは雛見沢での真実を知らなかった。ラストまで見ていれば、赤坂たちの助力もあって無事に雛見沢村での事件を解決して梨花たちが時間を正しく進めることができたことがわかる。だとしたら、大人の彼女たちのいる世界っていうのは、そういった世界の延長になるんじゃないの?さらには、梨花も言っていたように、もはや時間を元に戻せるような状況にはなく、あれが「最後の世界」だったわけだから、間違いなく赤坂たちは雛見沢での事件の真相を知っていないとおかしいはずなんだけど…。どうして?
 いろいろとわけが解りませんw雛見沢症候群だって、人間の思想を操作するみたいな設定が与えられていたみたいだけど、そんな大げさに「思想」と呼べるようなものが操作されるようなことは実際にはなかった。ただ単に凶暴になって、どうしてか怪力になるんでしょ?w身体的な能力まで上がるみたいだからスゴイよねwwメディアミックス作品をすべて買ってみれば、いろいろと謎は解けるのかもしれないけど、それでも解けない部分は多いんだろうね…。きっと謎を出すだけ出して購買意欲だけ掻き立てるっていうのが狙いなんだろうと思う。だって、この作品の後半部がそうだったじゃんw踊らされるような可能性が濃厚な中で、そんな行動は取れませんw

■寄せ集め展開

 さっきも言ったように、この作品ってホラーを基調にしてはいるけど、後半はまったくのSFに変わっちゃうし、エロゲや刑事モノやミリタリー要素も多く入っていた。だから、一つの作品のようでいて、まったく統一感がないんだよねw特にホラーだったものが急に安っぽいSFに宗旨替えしてしまったところが驚きだった。。前半を見ている限りでは、『神霊狩』とも共通する雰囲気があったし、それなりに神秘的な事象について描いていたと思う。後半は…、もう言わないよwいろいろな要素を取り入れるっていうのは、他のアニメでもよくやる手法だし、パロディーによって様々なアニメ作品を下敷きにしながら作品を作る今から考えれば、要素の寄せ集めっていうのもひとつの方法なのかも知れない。けれど、これもまた客引きのための方法でしかないように思えてならないよねw

■裏付けのない「お題目」

 そして、気に入らなかったのは「仲間」とか「運命」っていう本当なら重苦しい言葉であるはずのものを、軽々しくカッコいい感じのセリフとして何回も使っていたところなんだよね。「仲間だったら裏切るはずがない」とか「仲間だから信じる」とか「運命を打ち破る」とか、簡単にカッコよく言ってくれるけど、そういった言葉を裏付けるだけの行動が伴ってないんだよね。よくあるラノベの「意味ありげ」ってやつと同類だw圭一が他の女の子たちを守ろうという動機も、レナが雛見沢症候群から立ち直ったきっかけも、どれもこれも脈絡を持たずに心情の変化に何の説明も与えないような裏付けのないものだった。浮付いちゃって仕方ない…。もっと地に足の着いた表現をして欲しいよね。。っていうより、キャラクターの設定からして軽いわけだから、それも仕方ないんだろうか。。内容が内容なだけに、もう少し真面目なキャラクター作りをやっていれば、ずいぶん見違えるような作品になったと思うんだけどなぁ。。。ただし、その場合には売れないだろうけどねww



 さぁて、ぶつくさ文句ばかり並べ立てましたが、それも評判がいい作品だったからこそです。こんな作品を世間は評価しているの?っていう虚脱感。自分の感覚がズレているだけなのかもしれないけどね(^_^;)そんな寂しさを感じつつ、ほとんど目に触れないような場所でひっそりとアニメの感想を書き続けますw

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2010/01/04(月) 00:01:00|
  2. ひぐらしのなく頃に
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