土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『デュラララ!!』#03「跳梁跋扈」の感想。

「この街は、異邦人であふれている。彼も、そして、彼女も、何かを探し、何かを求め、この街にやってくる。何かを変えようと、この街に…。」
『デュラララ!!』#03「跳梁跋扈」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。


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 イザヤ好きだなぁ。。はっちゃけてるんだけど、どこか言動にひとつの筋が通っているような雰囲気がある。臨也でイザヤって読むみたいだけど、どうすればそんな読み方ができるの?wそれがよくわからない…。今回はサイモンの声でのナレーションが入りました。こんな調子で行くのかな?結局、中心となる主人公が不在の物語を進めるには、一人称を超越した視点が必要になるんだろうね。。この作品では「他者」っていうものをしっかりと描こうとしているようだから、主観の一点張りになる一人称は避けようってことなんだろうか。。

■日常から非日常へと越境する人々=池袋に集まる異邦人

「変化を求め、この街にやって来る者たち。だが、そう簡単に変化など起こりはしない。場所は変わろうとも、そこにいるのは確実に昔のままの自分だ。」

「この街は、異邦人であふれている。何かを探し、何かを求め、この街にやってくる。何かを変えようと、この街に…。」

 異邦人って言ったって、みんな日本人じゃんw確かにサイモンたちは真に異邦人なんだろうけど。。じゃぁ、なんで池袋に来る人々を異邦人と呼ぶのか…。先に結論を言えば、池袋に来る人ってのは過去の自分や地元の自分を捨てて、ある意味では非日常の池袋という空間で新たな自己の発見を求めているってことなんだろうか。だから、異邦人、外国人。決して、彼ら池袋に寄り集まる人々っていうのは、池袋を地元としている人じゃないってことなんだろうね。。
 本当に池袋で生まれて池袋で育ったっていう人がいるのかは知らないけど、作中で描かれる登場人物たちは池袋に住むにしても土地の人間じゃないんだろう。。
 ミカドにしてもキダにしても、彼らは外から来て、池袋っていう幻想的かつ現実的な空間に新しい生活を求めている。彼らだって、もともとの地元で育ってきたことによって、その人格だって地元の人間たちの間で共有されることによって成り立っていると思う。同じ中学の友達なんかがいて、その人たちによって「ミカド」っていう人間存在の保障が与えられて、言ってしまえば彼の「キャラクター」だって地元の友達によって形成・共有されてきたと言ってもいいはず。ミカドの「らしさ」を観察するのは彼の地元の友達だったし、それが循環して却ってミカドの「らしさ」を規定することにもなる。そんな関係性が地元には成り立っているわけだから、地元を出るっていうことは少なからず「らしさ」がリセットされることになる。そもそも「らしさ」なんてのは自分の言動に由来するものなんだから、さほど自分を取り巻く環境が変わったからと言って大きく変化が起こるはずはない。あるいは、自分を観察する人間が変わったからといって、その客観的な認識の主体が変わることによるミカドの「らしさ」の理解・共有が変わるわけでもない。それこそ、セリフにもある「そこにいるのは確実に昔のままの自分だ。」っていう部分に当たるんだと思う。だけど、やはり環境が変われば、自分を観察する周囲の人間が変われば、ミカドがどのように認識されるのかも変わってくる。彼の言動だって、地元でのものと同じものであったとしても、地元の人間が感じ取るミカドの言動に対する意味合いと、池袋の人間が感じ取るミカドの言動に対する意味合いは少しく変わる。そうなると、池袋での新たな生活っていうのは「新たな自分」が形成される要因にもなり得る。そうなれば、もし自分を変えようと思っている人がいるとすれば、好都合ってわけだ。
 池袋とはそういった意味でも日常をかけ離れた空間として描かれている。前回までも、いわゆる「ネット上の虚構」として構築される「池袋」と現実に存在する「池袋」が交錯しながら、現実の池袋に想像上の池袋像が重ね合わさって認識されるっていう意味で「非日常」の空間として考えた。けれど、今回の話によって、それが自己存在の更新や再構築を行う場所として、従来の地元での「自分らしさ」や過去の「キャラクター」などを払拭ないしは作り直すことのできる場所として、池袋を捉えるような方向性が示された。地元や過去って、どちらかと言えば「日常」に類されるものでしょ?ルーティーンだもん。。それに対する池袋は、やっぱり非日常に位置付けられるものだよね。。そんな、「地元⇒池袋」「過去⇒未来」「日常⇒非日常」という関係性を見て取れば、彼ら池袋に寄り集まる人々を「異邦人」と呼ぶのはふさわしいのかもしれない。

■今日のイザヤ

「イジメ、かっこ悪い。実によくない。」
「オッサンには関係ねぇだろ!」
「あぁ。君たちがここで殴られようが、のたれ死のうが、関係ない。俺が君たちを殴っても、君たちがまだ23歳の俺をオッサンと呼ぼうが、君たちと俺の無関係は永遠だ。」
「は!?」
「人間って希薄だよね…。まぁ、俺に女の子を傷つける趣味はないけど、だから、女の子の携帯を踏み潰すことを趣味に…、するよ。あははははは、はははは…。」

 出会ってしまった以上は、永遠の無関係とはならないと思うんだけどなぁ。。きっと、携帯を踏み潰す彼の行動は彼女たちの記憶にかなり強く焼き付けられたと思うんだが…。しかも、彼は積極的に彼らのイジメを止めようと手を出してるわけでしょ?まったく希薄とは言えない状況じゃんwこれって、皮肉なの?逆に、無関係は成り立たないという事実を浮き彫りにするために、わざとこんな風に言ってるの?あんまり、そうは思えないんだけどなぁ。ちょっと、意味不明ながら筋の通ったようなセリフを言わせようと、無理している感じがしなくもない。。。
 女の子の携帯を踏み潰すっていうのは、四六時中携帯なしではコミュニケーションを取れない彼女たちにとってリアルにダメージを被ることだろうし、オカルトな意味でも携帯は彼女の形代みたいなもんなんだから、それを踏み潰すっていうのは本人の身体にも…なんて考えてしまうwまぁ、あれだけ異常に見える行動を取るっていうことが、彼女たちの気をそらす方法として有効性を持つのも確かであり、挑発行為としても最上なんだろうね。。



 殴っただけで服を脱がすとは…wいかに力持ちでも無理でしょ。。そんな暴力沙汰を前にミカドは園原の手をつないで逃げるんだけど、途中で逆に園原が手を引っ張って前を走るようになっていた。その入れ替わりが妙に好きだなぁw二人の微妙な関係性があの手を引っ張ることの入れ替わりに凝縮されているような気がして、面白かった。全体的に演出がいい感じ☆さて、次回はどんな話かな?なぜイザヤがミカドに興味を持ったのかっていう話が来るんだろうか。。楽しみだなぁ、、あぁ、楽しみだ!

テーマ:デュラララ!! - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2010/01/23(土) 02:34:49|
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