土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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アニメ×典故表現

 2010年のうちに『宇宙ショーへようこそ』という作品が公開されるそうです。監督は『かみちゅ!』や『R.O.D』シリーズを手がけた舛成孝二さん、脚本は『かんなぎ』や『バンブーブレード』や『R.O.D』の倉田英之さん、制作は『かんなぎ』に『鉄腕バーディー』などのあるA-1Picturesです。なかなか期待できそうな…wトレーラーを見てみたんですけど、映像はさすがっていう感じでした。なんだけど…、田舎と宇宙っていう対立軸が、『サマー・ウォーズ』の田舎とネット世界っていう構図に微妙ながら重なっているように思えて、少し不安に(^_^;)実際に見てみないと何とも言えないけどねw倉田さんの脚本が好きなので、期待を膨らませて見ようと思います。。いつ見られるのかな?w




 定義はそれぞれあると思うけど、パクリだのパロディーだのオマージュだのとあって、それはどれも先行の作品を下敷きにして新しく作品を構築するっていう点では共通していると思う。細かい部分での定義はわからないけれど、パクリは元ネタからの改変を行わずに単純にそのまま流用したっていう感じで、パロディーは元ネタを下敷きにしながら滑稽味を主として翻案する感じで、オマージュは先行の尊敬する作品を踏まえた表現を自分の作品に取り入れる感じかな。。オマージュっていうと少しかっこよく聞こえるかもしれないねwあんまりパロディーとやってることは変わらないように思うけど…。まぁ、どれも作り手・受け手の両者に共通の理解がないと成立しない手法だし、受け手も理解できるからこそ下敷きにした内容の意味合いが生まれてくることになる。
 しばしば、パクリっていうのは批難の対象になる。だって、他人のアイデアを模倣しただけなんだもんね(^_^;)だけど、それに便乗してかパロディーやオマージュまで批難されることがあるみたいだけど、それはお門違いだと思う。こういった作品形式は文学の上でも古くから存在するものだし、先行の作品を踏まえながら、新たに自己流に様々な要素を付け加えつつ、内容に更新性を持たせることは、それはそれで独自性のあるものになる。元ネタを理解できる前提で作っているわけだから、むしろ先行の作品と何が同じで何が違うのかが明確になり、相手に対して自分ならどう物語を展開させるかといった様相も出てくるから、それだけ面白みも出てくるんじゃないのかなぁ。。パロディーの場合は単に滑稽味に終止するだけだろうから、それは別だけど…。具体的な作品で言えば、『ハヤテのごとく!』『銀魂』『アベノ橋魔法☆商店街』『ぱにぽにだっしゅ!』なんかがパロディー作品で、『COWBOY BEBOP』『機動戦艦ナデシコ』『交響詩篇エウレカセブン』『イヴの時間』なんかはオマージュの部類に入ると思う。
 とにかく、アニメが有機的な作品内容の連環構造を持つようになったことは喜ばしいことだと思う。ただの作品単体で内容が収束してしまうわけではなく、それが受容され展開されて新たな作品へとつながっていく過程は、文化としての可能性の広がりを感じるかな。。ただし、やっぱりパロディーやオマージュっていうのはオリジナリティーで言えば積極的に評価されるようなものではないと思う。元ネタがないと作品が成立しないっていうのも作品の不完全性を否定することはできないからね。
 では、典故表現とはどうなのか。先行の作品を踏まえて自らの作品での内容を構成する点では何も変わらない。けれど、その利用の方法という点ではだいぶ違ってくる。いわば、パロディーやオマージュは駄洒落的なものであって、ただ踏まえただけで、その踏まえた内容が自らの作品に有機的な意味合いを与えることはなかった。一方、典故と言えば駄洒落ではなく和歌の掛詞に近い。踏まえるだけに留まらず、その踏まえた内容が自らの作品内容に深く意味合いを与え、その典故表現が作品に対して重層性をもたらすことになる。たった一言だけ、先行の作品を踏まえた典故表現を盛り込むだけで、その相手方の作品で示された内容を自らの作品に収斂することになり、その土台の上に自らの表現性を確立することになる。よく『源氏物語』の桐壺巻に「長恨歌」が踏まえられているっていう話があって、教科書の中ではそれが典故表現の代名詞的なものになっているのかもしれない。掛詞で言えば小野小町の「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」が代表的なのかな?たった三十一字の中に、掛詞を用いたことによって二重の世界観が広がっていてスゴイと思うよ。。まぁ、掛詞はまったく典故表現とは関係ないんだけど、そんな表現の重層性こそ典故の持つ手法としての可能性だと言えると思う。
 アニメで典故表現やったらどうなるんだろうね…wあれだけパロディーやオマージュを堂々とやってるんだから、別にやるだけなら問題はないと思うんだけど。。すでにアニメの歴史もだいぶ長くなってきたと思う。『宇宙戦艦ヤマト』や『鉄人28号』や『鉄腕アトム』といった類の作品は、「古典」と呼ばれるような年季も感じる。そういった古典で示された故実をただ上っ面だけ現代の作品に取り入れるのではなくって、それを自らの作品に取り入れて作品世界の拡張や表現の重層性を持たせることに目的を持って制作するとどうなるんだろうねwまだまだアニメの表現性には可能性があるように思います。

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2010/02/23(火) 00:01:00|
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