土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『サマーウォーズ』の感想。

「大事なのは昔のように、人と人とが声をかけあってコミュニケーションをとること。」
『サマーウォーズ』より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。




 正直なところを言うと、別に何でもなかった感じ。世評では泣けるとか感動するとか言う類のコメントが多く見られるけど、別にさらっと見てしまったwあっさりだわぁ。。ずいぶんと作品のストーリーを簡略化させたようで、かなりシンプルな感じではあった。バーチャルの世界をあれほどにまでわかりやすく可視化したのも、ウケのいい理由なんだろうか。キーワードは細田監督のインタビューにもあるように「公共性」ってやつなんだろうねwにしても、かえって削り過ぎていて、味わいも損なっているように思える。。家族の絆だとかアナログで有機的な人間関係の重要性みたいなものを織り込んでストーリーに仕立ててはいるけれど、その主張を裏打ちするような具体的なできごとや物語がほとんど描かれていないのが痛いところだと思う。お題目ばかり先行しちゃった感じ。あからさまな心理描写のカットもあったし…。本筋では世界の危機を救うための電脳戦が繰り広げられているのに、どうして絆が大切だと言えるんだろうか。絆の大切さを訴えるならば、もう少しスポットをあてる部分が違ったんじゃないのかなぁ。。少しズレているようにも見えて、この内容で絆の大切さを言うっていうのは具体性の欠如から論理の飛躍があったと感じてしまった。ヒロインとの恋愛についても、単に幼心に侘助を好きでいたってだけで、主人公とはあんまりって感じ。可もなく不可もなくってところかな…。当然、作画や背景といった映像としてはマッドハウスのクオリティとして高いものだった。が…、如何せん、シナリオ面で少し難があったように感じてしまう。公共性って言えば聞こえはいいけど、要は大衆に迎合したってことでしょ?wアニメ史の中では、むしろ時代に逆行した感すらある。

■「よしみ」というアナログな人間関係

「ところで、私達になくてはならないもの。それはコミュニケーションです。OZではあらゆる言語が一瞬で飜訳されるので、世界中の人々と楽しく会話することができます。現在、コミュニティの数は400万。」

 あらゆる言語が一瞬で飜訳される…ってあるけど、無文字社会に対してはどう対処するんだろうね。。とか、へ理屈を言ってみるwとにかく、第一に冒頭部から「コミュニケーション」をキーワードとして取り上げてるわけだよね。と言っても、この作品で取り上げられている「コミュニケーション」って大きく二つのレベルに分かれると思う。ひとつはデジタルな意味でのコミュニケーション。このOZ上でのコミュニケーションがそれにあたるもので、実際に顔を付き合わせることなく、ネット上でのやり取りによって相手と会話をしたり意志の疎通を図ったりするもの。そして、もう一つがアナログな段階でのコミュニケーション。これは栄が言うところのコミュニケーションだね。

「大事なのは昔のように、人と人とが声をかけあってコミュニケーションをとること。」

 栄はこんなこと言っていてた。冒頭に出てきたコミュニケーションというキーワードを使ってはいるけど、OZ上でのものとは異質なものだよね…。だって、「人と人とが声をかけあう」っていうのはネット上じゃ無理でしょ。まぁ、比喩的な意味で取れば可能だろうけど。。それに、「昔のように」ってわけじゃないし。ってことで、この作品で言っている「コミュニケーション」には大きく二つの意味合いがあるものと考えたほうがいいと思う。

「ニュースでやってること、あれ、本当にお前さん?私には何が起こって誰が困っているのか、よくわからない。」

 実際に、栄はデジタルに発信されている情報に対して真偽のほどを疑っていた。情報があまりに錯綜しているから、それに対して疑うっていうのは大事な情報リテラシーでもある。それに、事態を打開するために、栄が電話帳を片手にあっちこっちに電話をかけているのも印象的だった。もはや電話帳だなんて過去の遺物にしか思えないよねw今となっては携帯電話にデジタルな情報として入っているから、あんなアナログな道具は必要ないもん。しかも、紙媒体の手紙や封筒なんかもたくさん描かれていて、ああいったアナログな人間関係を印象付けるような表現を行っていた。これこそ、いわゆる「よしみ」っていう発想なんだろうと思う。実際に顔を合わせて会話をしたり、過去の知己を頼って連絡をするっていうのは、どれも具体的な事象に基づいた行動になる。ネット上の具体性を欠いた事象をもとに関係を作るよりも、はるかに安定したものだよね。消防に所属している家族に対しても、一軒一軒訪問するよう指示を出していたし、やっぱりそういった顔を合わせての人間関係を大事にしていることがわかる。
 でも、最後の最後でラブマシーンを倒そうとして花札をやっているときに、全世界からアバターの提供があった。あれも感動的な場面として描かれていたし、ここにも人間の絆みたいなものの大切さを印象付けるような狙いがあったものと思われる。だけど、こっちの絆はデジタルなものでしょ?決して、栄の言っていた「よしみ」とは異なるものだった。それなのに、どうして感動的な場面に採用したのだろうか…。ちょっと不思議なんだよね。栄の言うアナログな絆としての「よしみ」を一方では作品の重要な要素として取り上げているのに、なんだかズレているようにも感じられる。

■栄の体現している有機的な人間関係

「諦めなさんな、諦めないことが肝心だよ!
「これは、あんたにしかできないことなんだ。あんたならできる!できるって!!」

 この作品って栄と健二の対話が主軸になっている。栄は大家族の長としての立場であり、今となっては過去の遺物となった手紙や電話帳や黒電話を使いこなしている。それに対して、健二は都会育ちで一人っ子、父母は仕事で忙しく大勢と一緒に食事をしたこともなく、PCの扱いに慣れた典型的な現代っ子って感じ。この対立軸を中心に据えながら、物語が整理されていたように思う。
 そして、栄というのは常に「諦めるな」ということを言ってきた。そして、「あんたにはできる」っていう言葉も頻発していた。もちろん、誠二に対して言ったセリフでもあるけれど、黒電話で警視総監に電話しているときにも同様の表現は使っていた。基本的に、栄に与えられている役割っていうのは、アナログな人間関係としての「よしみ」の有効性を訴えることと、この「あんたにはできる」という他者を肯定することの大切さにあったんじゃないのかなぁ。。

「昔から、人の役に立てって、ばあちゃんに言われてきたもんでさぁ。」

 家族もこんなことを言っていた。ただ、「あんたならできる」っていうのは、ある意味では無責任だよねw栄は健二のことを何も知らないに等しいわけだし、それなのに「あんたならできる」って言われても、何もない。要は無条件での相手への信任であって、むしろ「できることを精一杯にやりなさい」ぐらいの意味合いになってくるように思う。それが「人の役に立て」っていう発想にもつながってくるんだろうし、自分のできることを他者のためにやりなさいというメッセージ性がそこには通底しているものと見られる。
 そう考えると、さっきのアナログな人間関係の良さっていうところともつながってくる。結局、他人との関係性を大事にしなさいってことなんだよね。自分が他者や社会に対してできることを精一杯にやることによって、他者との関係性を積極的に構築していくことを促しているし、あるいは顔と顔を突き合わせてのコミュニケーションであるとか、大勢で一緒に食事をすることの大切さとか、それらはすべて有機的なコミュニケーションの発達を示唆するものだった。一緒に食事をすることによって、そこで会話が生まれることになり、同じ食事を摂ることによって共同の意識も生まれるようになる。あるいは、顔と顔を突き合わせての会話っていうのは、相手の顔色が見えたり、相手の仕草や表情があったり、電子メールなんかでは決して情報として送られることのない、潜在的な情報の交換を同時にやっていることになる。直筆の手紙のやりとりでさえ、その人の筆跡や料紙や文体といったものに隠れた情報が含まれている。つまり、有機的なコミュニケーションっていうのは、そういった潜在的な情報交換の部分に多大な意味合いがあるっていうことなんだと思う。栄の人間性や主張っていうのは、おおよそそういった意味での人間関係の重要性を体現しているような面があった。情報化社会になって情報が身近にあふれるようになったけれど、アナログが独特に持っている情報の特質っていうのは忘れてはいけないってことなのかな。そういったメッセージ性を読み取った。
 けれど、この読解っていうのは少し強引なんだよねwちょっと敷衍しないと、こういった意味合いを読み取ることはできないと思う。だって、あんまり潜在的な情報の特質についての言及もなければ具体的な事象もないんだもん。いくら栄がそういった人間関係の構築を体現しているからといって、それが物語の中心に据えられていたわけではない。他のキャラクターが同じメッセージ性を共有していたわけでもない。どうしても、お題目を取って付けたような印象があるし、物語に対してあんまり溶け込んでいないんだよね。。最後まで主人公である健二が栄の体現していたことに気付いた節がなかったのが最大の要因なんだろうし、健二も「諦めちゃダメだ」みたいなことを言ってはいるけど、それは栄の言っていた意味とは違った意味合いに変換されてしまっていた。いろいろと惜しい。これも公共性を重視して、いろいろと簡略化してしまった弊害なんだろうか…。

■家族というシステムの機能

 家族がたくさん出てくるよねぇwwしかも、みんなおおらかだし。。家族っていうと、何かしら同じ雰囲気を持っているように思うけど、陣内家ってかなり資質がバラけてるんだよね。。そういった意味では、あまり家族らしくないというか、なんというか。職業だって、医者・漁師・警官・自衛官・消防士・水道局員・公務員・野球少年・ゲームオタクなどなど、幅広かった。でも、ライフラインを司る職業が多いんだけどねwちょっとご都合主義な感じ。OZの混乱を上手く演出するために、いいように配置したってところかな。だって、同じ家族でこれほどまでに幅広い人材を輩出するって、なかなか考えにくいんじゃないのかなぁ。。ちょっとリアリティに欠けるようには思う。
 とは言え、この作品の大事な部分っていうは「家族の絆」だったことは確かなはず。というより、家族に限らず「コミュニケーション」の大切さだね。大家族での宴会っていうのも、なかなか愉快な場面だった。あれだけ勢ぞろいして食事をするっていうのは、他のアニメの中でもあんまり見かけない光景だよね。健二が陣内家の屋敷を歩き回って「無駄に広いなぁ。」ってつぶやくのも印象的だった。甥や姪と一緒に大勢でお風呂に入る夏希とか、みんなで一緒に歯磨きをする光景とか、どれも大家族ならではの場面だった。そういう光景を意識的に演出している感じだよね。下ネタ好きなおじさんっていうのも、なんだかどこかで見たような光景だよw

「ここに来れて、すごく楽しかったです。うちは父が単身赴任中ですし、母も仕事が忙しくって、家ではたいてい一人です。大勢でご飯を食べたり、花札をやったり、こんなに賑やかなのは初めてっていうか…。」

 この健二のセリフが一番の典型的な場面だよねwっていうかさ、なんで冤罪で逮捕されようとしているときに、平然と辞去の挨拶をしているのさwwなんかお題目的なセリフと言い、取って付けたような感じだよねwわかりやすいからいいんだけど。。さっきの栄の「よしみ」に関わる表現にしても、なんだか表現が箇条書きみたいな作品だよね。これも公共性のためなのか…。

「家族同士、手を離さぬように。人生に負けないように。もし、辛いときや苦しいときがあっても、いつもと変わらず家族みんな揃ってご飯を食べること。一番、いけないことは、おなかが空いてることと、一人でいることだから。」

 ここでも取って付けたような遺言が来るんだよねwまぁ、家族の絆が大事なんですねって、見ている誰もが再確認できるようなセリフだった。やっぱり家族の絆の大切さを訴えるんだなぁって感じだし、「家族みんな揃ってご飯を食べる」として「揃って」と言うところも憎らしい。さっきの潜在的な情報を内包した有機的な人間関係の構築を促すんだよね。そういえば、「なんだっていいの、母さんが認めれば。うちはそうやって回ってるの。」って言うように、誰かの意志決定によって家族全体の規範が決まるっていうのも現在の家族の中では失われつつあるものなのかもしれない。とにかく、旧来の「家族」というシステムが持っていた機能について、再認識させるような場面があちこちに散りばめられていた。

■影の薄い健二

「僕は、まだ僕は自分に、自信が持てません。」
「あんたならできるよ。」

 では、ここからは少しキャラクターに焦点を当てながら話を進めましょう。まずは主人公の小磯健二くんから。彼って存在感ないよねw薄いキャラっていうか、「自分のキャラクターに自信が持てません」って感じだったw数学が得意っていう地味な設定とか、栄に押し切られて夏希を守ると約束してしまうところとか、夏希が侘助に引っ付いているにも関わらず鈍感っぽく何も動じてないところとか、どれもこれも引っ込み思案な感じだった。これって、本当に主人公だよね?w

「もちろん、健二さんはうちの立派な婿さんだ。私の目に狂いはないよ。陣内家の人間に半端な男はいらない。じゃなきゃ、家族や郷土を守れるものかい!」

 そんな健二のことを栄は認める。これもちょっと不思議だった。だって、出会ったときに健二が「夏希先輩とは高校の物理部で…」って暴露しちゃってるんだよ?しかも、その栄がいる夕食のときには「東大生で、旧家の出身で、あとアメリカ留学から帰ったばっかり」と言っている。栄には嘘だってバレバレだよねwなのに、栄は健二のことを認めている。ここらへんの理由の不明瞭だよね…。いや、確かに健二の肩肘張らない一途な奥ゆかしさに感じ入って認めただとか、いろいろと理由は想定できる。だけど、それが物語の中で語られない以上は何とも言えないんだよね。。むしろ、夏希の嘘に気付いた上で、それに乗ってあげているのだろうか。。。
 ただ、そんな健二は最後になると確かに栄の認めるような資質を示すことになるんだよね。つまり、家族や郷土を守る働きをしたっていうこと。彼は「まだ負けてない」とか言いながら、最後まで諦めることなくラブマシーンと戦っていた。これって、栄の言っていた「諦めないことが肝心」っていうこととリンクしてるんだよね。。でも、この発想が栄の影響を受けてのことなのか、そこらへんの心情の変化がほとんど描かれてないから微妙だけど…。これからお通夜をやるっていうときに、なぜか家族でもない部外者の健二が出しゃばってラブマシーンの撃退を提案するし、ここらへんの文脈もずいぶんと強引な感じがした。栄が死ぬ前日の最後に会話をしたのは、おそらく健二のはず。なのに、そこでの健二のリアクションが皆無なため、この場面での健二の心情を追いかけることができないんだよね。。ちょっと残念だなぁ。
 とにかく、そういった変遷をすべて考えずに言うならば、健二には栄と同じ発想を与えて体現させたっていうことだと思う。つまり、誰かの役に立つために積極的に働きかけていくことだとか、諦めずに最後まで戦うって言う姿勢は、栄の考え方と共通するものだと思う。栄と健二が二項対立の図式のように対比されているのは明白なんだけど、そこで健二が栄に触れ合って何が変わったのか、何を得たのか、そういった部分がほとんど省略されてしまっているように思う。栄の死後のリアクションの薄さは特にそうだった。もう少し丁寧に描いて欲しかったなぁ。。ってことで、主人公としては設定も引っ込み思案な上に、実際の行動についても省略の嵐で印象の薄いままだった。むしろ、主人公は栄だったんじゃないかと思ってしまうくらいだよw

■健二を振り回す夏希

「ねぇ、バイトしない?」

 アバンの登場は衝撃的だったなぁwまさに「ツカミはオッケー」って感じ。後ろを振り向きながら「でも、二人じゃ多いかな。募集人員、一名なの。」っていう場面は確かに可愛かった。だけど、その衝撃的な登場から後は、至って影が薄かったw健二と言い、主役級のキャストは不遇だよねwwずっと侘助に引っ付いているし、栄を騙そうとバレバレの芝居を打つところも幼い感じがする。本当に「わがままで世間知らず」っていう感じだったなぁw健二を振り回しているあたり、まったくそうだった。

「来ないで。今、いっぱいいっぱいだから…。」

 そんな夏希に関しても、あんまり内面を丁寧に描かれたような印象は受けなかった。というか、ほとんど描かれなかったんじゃない?唯一、栄が死んだことを受けて泣いている場面だけは感情の露出があったけど、それもなんで泣いているのかは理由が不明瞭だった。それまでの行動の中でも、そんなに栄が大好きだというような表現はなかったし、むしろ侘助に対する接し方では栄とは異なる行動を取っていたくらいだった。そういった前提を考えてしまうと、なぜ栄の死でこれほど泣いているのか、その行動が浮いてしまっているように見える。もしかして、侘助が大好きだからこそ、侘助の行動によって栄が死んでしまい、家族の中で侘助の居場所が完全になくなってしまい、そういった状況に陥っていることを悲観しているのだろうか。。よくわからない。
 しかも、最後の最後で健二にキスをするでしょ?どうして彼女は健二のことを好きになったの!?いや、お約束っていうのはわかるし、健二が一生懸命になってラブマシーンと戦っているところを見て好きになったっていうシナリオだっていうのはわかる。だけど、それだけなんだよねw何も健二に対する想いがどう変わっただとか、具体的な描写がなかった。しかも、今まで健二のことをさんざんに振り回してきた夏希なだけに、このキスがどれだけの意味を持つのかわからない。単なる気分なんじゃない?もう、お決まりの路線としてオチをつけるためにキスをしたっていう感じ。もはや夏希というキャラクターである必要性がないんだよね。。内面が描かれない上は、健二と夏希の恋愛にはほとんど期待していなくって、ただ物語の規定路線として設定されていたっていうだけに感じる。

■甘えん坊の侘助

 小物臭がバリバリに漂ってくる侘助も、あんまり内面が描かれなかった意味不明なキャラクターでもある。基本的には栄に認めてもらおうとする行動原理があって、携帯電話のパスコードも栄の誕生日だった。なのに、最初の登場のときには「誰の?」とかいって栄の誕生日であることを知らないフリをするんだよね。単に捻くれているだけなのか…、とも思うけど、認めてもらいたいという欲求があるならば、なぜ誕生日を知らないフリをするんだろうか。。ちょっと無駄なセリフだったようにも思う。わざとらしい演出というか、筋が通らないセリフというか…。いくら甘えん坊の設定だからと言って、嘘をつかせる必要性をあんまり感じない。

「ばあちゃんなら、わかってくれるよな。今まで迷惑かけて、ごめんな。挽回しようとおもって、俺、頑張ったんだよ。このうちに、胸張って帰ってこれるようにさぁ。」

「これも、ばあちゃんのおかげさぁ。なんたって、ばあちゃんに貰った金のおかげで、独自開発できたんだから。」

 家族の前では「誰の?」と誕生日を知らないフリをして強がっているのに、他の場面では栄に振り向いてもらおうと必死に説明するんだよね。。しかも、自分の作ったラブマシーンのために大好きな栄が死ぬ遠因を作ってしまったわけだから、余計に心中は穏やかではないはず。なのに、そういった部分での内面描写は皆無だった。不自然にも傷をたくさんつけた車をすっ飛ばしてきて、ただ栄の隣でうなだれていただけ。それに、すぐに復帰してラブマシーンの解体に取り掛かる始末だよ。まったく味わいもへったくれもないよねw唯一、「帰ってくるんじゃなかった。」の一言に甘えん坊の哀愁を感じるくらいだった。

■簡略化される物語世界

 結局、ここまで見てきたように、この作品はキャラクターの内面を描くことをほとんどせず、物語を展開させる上でも文脈をそれほど意識せずに「お約束」の規定路線を突っ走るようなコンセプトがあったと思われる。やっぱり「公共性」を意識してのことか、ちょっと難しいような内容は省略して、すべてわかりやすく整理して簡略に付した感じなんだろうか。。
 そもそも、OZという仮想世界をあそこまで簡略に可視化したことが象徴的だと思う。ラブマシーンがカズマの追跡を振り切ろうと邪魔をする場面だって、わかりやすく本だの建物だのが出っ張るという表現になっていた。本当なら、もっと電脳戦として複雑な過程を経ているはずなんだよねwだけど、それをわかりやすく記号化して、「邪魔している」っていう意味合いを伝えるために、簡略な表現を使っているように見えた。OZのセキュリティについても、大きな「鍵」に見立てていたことについて同じことが言えると思う。とにかく、電脳世界をわかりやすく見せるという意識があったんじゃないのかなぁ。
 そして、そういったコンセプトはプロットにも見られる。第一、あんなラブマシーンとかいう存在を悪の象徴のように一元化して描いている時点で、細々とした設定はすべて無視しているんだよね。。しかも、健二やカズマは正義の味方っていうわけだ。本当ならサイバーテロ対策のチームが動くはずだし、まさか高校生が事態を解決するようなことはあるわけがない。陣内家にあれだけのスペックのPC設備や電波状況や電源の確保といったものが可能になるのも、すべては正義の味方たる健二やカズマと悪の手先であるラブマシーンの対決を演出するためのご都合的な道具立てに過ぎない。すでに、家族の職業を設定する段階から、こういったシナリオを想定して決められていたことがわかる。つまり、わかりやすく善悪の対決を演出するために、細かい実際的な設定を無視して、描かれるべき戦いの動機とか背景も省略して、本当に簡潔な図式に物語を集約したっていうことだと思う。
 今まで確認してきたように、テーマとしている「コミュニケーション」についても、ただお題目を唱えるくらいになってしまっていた。ここらへんも、わかりやすさ重視って感じだよねwセリフですべて言ってしまえば、間違えようもなく理解できる。だけど、なぜコミュニケーションが大事なのかっていうことや、どうしてデジタルなコミュニケーションよりもアナログなコミュニケーションにこだわるのかといった部分は語られない。キャラクターの内面が描かれないのもそうだけど、どうやら文脈とか動機とか因果関係とか物語背景とか、そういったものは意図的に削ってしまっているように思う。
 ツッコミどころはいっぱいあった。不自然に取り上げられる小惑星探査機「あらわし」のニュースだって、すでに物語の前半の段階から後で墜落とか爆発とかするんだろうなっていう予感を漂わせていた。これも「わかりきった」伏線だったw序盤の九分間のアバンで、おおよその物語の前提を語りつくして、すぐに陣内家だけに物語世界の焦点を絞ってしまったことも簡略化のためだと思う。とは言え、夏希や健二たちがどのような学校生活を送っているのかといった細かい設定はすべて無視。健二のセリフにもあったように、大家族のつながりの大切さを訴えようとするも、特に健二が日常でどんな寂しい生活を送っているのかといった具体的な描写はなかった。もはや「口だけ」の世界だよねw暗号を解いたのは世界で55人もいたにも関わらず、なぜかラブマシーンは健二のアバターを盗んでいるっていうのも意味がわからない。ただ単に健二とラブマシーンを無理やりにでも対決させようとするご都合的な展開だった。しかも、健二は暗号の解読に失敗しているんでしょ?wそれに、犯人だと決まってもいないのに未成年である健二の写真が流出しているっていうのも、現実では有り得ない話だと思う。この展開だって、健二を犯人扱いさせるためのご都合でしかない。しかも、最終的にはOZのシステム障害として処理したわけでしょ?健二って釣り上げられただけじゃんww可愛そうに…。ラブマシーンの開発者が侘助っていうことを最初に聞いたときは笑っちゃったよwwなぜ狭い陣内家の中に正義の味方と悪の手先が同居して、物語を解決するための道具立てが揃っているのか。。すべてご都合。。本当なら、陣内家に収めることなく、家族とかの区切りを超えた他人としての設定に置いたはず。すべて陣内家のうちに収めたのは、物語をシンプルかつわかりやすい構造にするためだったと思われる。それにさぁ、最後に衛星が陣内家にだけ墜ちるっていうのも、物語にオチを付けるためのご都合でしょ?あの時点でラブマシーンに残されているアバターは二体だけなんだから、姿勢制御を管制することはできないはず。もはや、こういった自分で決めたルールさえも無視して、物語を収束させるために便宜的な展開へと持っていってしまっている。ラブマシーンの行動原理である知識欲だなんて、どこ吹く風だよww加えて、まさかの温泉オチwww
 すべては簡略な物語構造にするため、ご都合だろうと何だろうと、シンプルイズベストで容赦なくカットしたって感じだね。。問題はこういった作品が広く高い評価を受けるっていう受け手の問題になるんだろうか。。こんな茶番を喜んで見たところで、それは一過性の娯楽にしかならないはず。文化藝術のカテゴリーにおける作品としては認められるようなものじゃないよね。。これもまた「公共性」ゆえなんだろうか。。

■サマーウォーズの描く電脳世界

「ようこそ、OZの世界へ。OZは世界中の人々が集い、楽しむことができるインターネット上の仮想世界です。アクセスはお持ちのパソコン、携帯電話、テレビなどから簡単に行えます。」

 言われてみれば、確かに『サマーウォーズ』の描くネット上の仮想世界ってデジモンの延長だよねw仮想世界で自由にコミュニケーションができるだとか、公的な手続きもすべてできるとか、ビジネスやショッピングもすべてOZで行えるとか、こういった設定を聞いていると、デジモンよりも『攻殻機動隊』とか『Serial experiments lain』とか『電脳コイル』とか『カイバ』とか、そういった作品に連なるものかと思っていた。けど、ぜんぜん違ったw
 これら先行のネット社会を扱った作品では電脳世界を描くとともに、精神と身体の不一致などの問題を多くは扱ってきていた。攻殻で言えば電脳と義体の関係の話があるし、タチコマの自我の確立といった問題もあった。コイルで言えば、現実の身体に重ねられるネット上の情報っていうのを取り上げて、そのズレから起こるコイル現象っていうのを題材にしていた。カイバではチップによって簡単に身体を入れ替えることができる時代を扱っていた。どれも、現実の社会がネット社会として成長するにつれて感じている、現実の身体とネット上の精神との乖離を敏感に感じ取って作品に盛り込んでいる感じがする。
 その点、サマーウォーズのアバターも同じような臭いがしたんだよねぇ。。違ったけど…wアバターだって、現実の身体やアイデンティティーとは別に用意される仮想空間での「分身」であるんだから、実際の自分自身の心身とアバターが乖離するっていうことだって実際にはあるはずなんだよね。たとえば、カズマのアバターであるキングカズマがそうだった。彼は現実の世界ではイジメにあったりして貧弱な身体ではあるけど、ネット社会ではキングカズマとして一番強かった。これって、明らかな乖離だよねwこの例からもわかるように、ネット社会という仮想空間では現実の心身とは別な存在として自己が表出することが少なからずある。攻殻に代表される作品群はこういった乖離に取材して、それぞれが問題にアプローチしていったところもあった。だけど、やっぱりサマーウォーズは相手にしないんだねwすべては省略に付して、難しい問題なんて考えないってことなんだと思う。ってことで、従来のネット社会を扱った作品とは異なったものになってくるし、かえって新たな知見を示すことなく後退した感もある。
 というよりも、そういった今までのアニメが積み立ててきたアプローチなんて知らない人を視聴者として考えているんだろうね。だって、公共性だもんwアバターっていうのは今の社会を生きる学生なんかを始めとした人々には馴染みのあるものだろうし、それだけ親近感のあるものになると思う。ゲームをやったりプロフをやったり、なんにしてもアバターという分身を使いこなすことは現在の若者の基礎教養なのかもしれない。だけど、心身の不一致なんかは考えないだろうからねwネットとの接し方として、一番身近なものがアバターという考え方だったのかもしれない。

「あなたの個人情報は、OZの世界一高度なセキュリティによって厳重に守られます。リラックスして、この世界を楽しみましょう。」

 だけど、そんな簡略化された口当たりのいいネット上の仮想空間にも矛盾がないわけでもない。アバターっていうのは本質的に、リアル世界の個人とネット世界のアバターの一致を嫌う。というか、個人が特定されることを極端に避ける。それは個人情報の漏洩にもつながるし、今回の事件でも問題になっていたアカウントの「乗っ取り」によるテロを防ぐことが目的だろうと思う。あくまでアバターは分身であって、身代わりでしかない。にも関わらず、そんな分身にリアル世界の個人と同じ権限を与えてしまっていることが不味い。というか、個人の特定を嫌っているのに、どうして個人と同じ権限を持たせるの?そこらへんが制度設計として大きな矛盾を抱えている部分なんだと思う。公的な手続きなんていうのは、リアル世界においても免許証の提示だとか本人確認にずいぶんと手間をかける。ってことは、ネット上で公的な手続きをするにはそれ以上の本人確認が必要になるってことでしょ?ってことは、アバターに付属する情報は非常に細やかで重要なデータであるってことじゃん。分身どころじゃなくって、それは本人そのものと同じことになる。なのに、「分身」だって言い張ることの矛盾がある。すでに、システム的に成り立たないし、センスがない。ここらへんもご都合的にOZというネット社会があつらえられたということだと思う。
 もう一点、大きな欠陥がある。それは、デジタル世界に完全に移行・依存しているっていう暗黙の大前提を作ってしまっているところにある。いちおう時間軸の設定としては2010年の夏を想定しているみたいだけど、あんなネット世界が混乱しただけで60キロの渋滞が起こったり水道管の圧力調整ができなかったりするようなことは有り得ないでしょ。というか、そんなにネットに依存したような社会にはいまだになっていないし、システム設計としてこんなに欠陥のあるものには絶対にならないはず。だけど、誰もがアバターを持っているかのようで、OZの利用者は携帯の利用者と同じくらいまで普及しているっていうことになっている。しかも、世界観として「お~いお茶」とか新幹線とかサッポロの生ビールとか、現実に存在するものをそのまま出すことによって、非常に現実世界に近い物語世界であることを演出している。ってことは、なんだろね。。ネットに依存している社会っていうのを現実味を持たせようってことなんだろうか。そもそも、ネット上において公的な手続きが行えるほどの環境整備は無理だろうし、ネット社会に依存するような状況にはまだまだならない。
 これらの欠陥や矛盾は何を目的に発生しているのかと言えば、おそらくは「よしみ」だとか有機的な人間関係といった「栄」というキャラクターに象徴される「アナログ」の有効性を描くための方便なんじゃないだろうか。これだけデジタルに頼っているという社会を描けば、必然的にアナログとの対比関係が鮮明になって、栄の言う人間関係の重要性みたいなものが強調されることになる。狙いとしては成功ってことなんだろうか。。だけど、実際にはこんなにネットに依存しているわけじゃないから、何言ってるの?っていう感じにはなるんだよね。。ご都合的にネット社会への依存を大前提にしている点は、新幹線やお茶やお酒といった小物を現実と同じものを使っている中で、ひときわ違和感を覚えるところだと思う。何がしたいんだろうね。。
 他にも気になるところはたくさんある。ラブマシーンによって「あたり判定」がすべてのフィールドで有効になったって言うけど、ショッピングやビジネスをやる空間でアバターに対して攻撃を行うことの意味がわからないwそれってさ、単にアバターを乗っ取るためのラブマシーンからの攻撃をゲームちっくに言い換えただけでしょ?これも「わかりやすく」するための便宜的な表現っていう感じがする。最初にラブマシーンと接触したときは弱かったんだから、あの時点でしっかりと取り押さえておけば問題は大きくならなかった。だけど、物語を楽しくするために、ラブマシーンには逃げてもらわなきゃいけないって感じw公的手続きを可能とするほどのシステムならば、サイバーテロ対策だって強化されなければいけないはずなのに、そういった面での話は一切なかった。人のアカウントを盗んで行政を混乱させることができるっていうのも、システムとして致命的な脆弱性を孕んでいると言わざるを得ない。ここらへん、まったくリアルじゃない。
 ごくごく一般的な視聴者を想定して、電脳世界なんかにも馴染みのない初心者を相手に考えているんだろうね。わかりやすいのはいいけど、それほど作品としての意味合いはないよね。今までのアニメが考えてきたネットの問題とは切り離して考えなければならないし、かと言って新たなネット社会の問題点を指摘したわけでもない。非常にわかりやすくって口当たりもいいんだけど、味気ないよね…。

■演出面での気になるところ

 基本的にはアニメを見ている視聴者の生活している現実社会と非常に近しい世界として物語世界を設定しているように思う。実在する小物が多く出てきているし、地名や場所も実際に存在するものが多いらしい。
 特に気になった演出は、最初に健二が暗号を解いているときの時間経過の表現かなぁ。。しだいに背景の山が白んできて、朝顔が花を開かせていく場面が描かれていた。あれで時間の経過を表現するっていうのは、なかなか洒落た感じだったと思う。それに、栄が死んだあとの家族の光景を長セルで横にカメラを移動させたところも良かった。家族みんなの背中が映っていて、絵巻物を見ているような感覚でキャラクターの内面を想像することができたと思う。あれは日本的な右から左へと読んでいく文化の表れだよね。。まさに絵巻物だった。他にも、野球の試合と陣内家での出来事が微妙ながらリンクしているところも面白かったなぁ。でもさ、最後に栄の遺影が笑ったのは逆に恐かったよw健二と夏希がキスする前は口を閉じた笑顔だったのに、最後の場面では口を大きく開けて笑ってたでしょ?わかるけどさぁ、恐いよww
 健二が暗算でOZのセキュリティ暗号を解読する場面で鼻血を流していた。あれって、それだけ脳みそをフル回転させていますよ~ってことだよね?この表現って『攻殻機動隊S.A.C.』の#11「亜成虫の森で」に出てくる法務省管轄の授産施設での一場面で同じような表現があった。パソコン見ながら眼が踊っていて、鼻血を出すような場面。これをもとにしているのかはわからないけど、表現としては似ているよね。。だって、そもそも脳みそフル回転のときに鼻血を出すっていう一連の表現は何か由来がないと出てこないでしょ?攻殻を元ネタにしないでも、何かしら元ネタがあることは間違いないはず。

■背景とキャラクターのマッチング

 いやぁ、映像は素晴らしかった。東京駅地下の銀の鈴で待ち合わせているとき、モブの姿が床に映っている場面なんてのは鳥肌が立っちゃったよw新幹線の外観とか座席の質感っていうのもリアルだったし、2Dなキャラクターと3Dちっくな背景とが違和感なくいい感じでマッチしていたと思う。それに、陣内家に行くときのバスの揺れ方がすごかった。背景が後ろへと流れていくのもすごかったし、カーブを曲がるときの遠心力が絵に表現されていて良かった。栄を取り巻く肘掛とか文机とかの小物にも意匠を感じるし、蚊帳なんてのも描かれていて好感を持てた。
 その一方、キャラクターの扱いは非常にアニメちっくな感じだった。夏希に手を握られて、健二の身体が真っ赤になるところとか、頬を赤く丸く染めるところとか、口をタコみたいに出すところとか、ショックを受けたときに顔が青ざめるところとか。。背景美術は細やかに丁寧にリアルに描かれているけれど、キャラクターの動きなんかはアニメちっくにデフォルメされたものが多かった。
 なんていうんだろう、そこらへんの背景とキャラクターの絵的な性質のマッチングが上手かったと思う。変に背景が3Dチックでリアルにやってもキャラクターが浮くだけだし、キャラクターをリアルに描き過ぎてもアニメ的な表現から離れてしまう部分があって、そこらへんのバランス感覚が良かったんじゃないのかなぁ。。絵のことはほとんどわからないけど、とにかくキレイだったと思う。

■文化庁メディア芸術祭の大賞を受賞

Q,作品に対して、最も重視されているところはどこですか?
A,映画は公共のものである、という点です。
Q,今後どのような作品を創作していこうと考えていますか?
A,公共性と普遍性を持った映画を制作していこうと考えています。
Q,あなたにとって「創作する」ということは何でしょうか?
A,映画は公共のものであり、監督としてその僕(しもべ)に徹する、ということです。

 さんざん今まで「公共性」っていうキーワードを繰り返してきたけど、これは細田監督が文化庁メディア芸術祭受賞のコメントとして記載のあるものなんだよね。まぁまぁ、ずいぶんと「公共性」ってのを意識しているんですねw三回もこの詞を使ってるよwよほど気にしていたんだろうか。。確かに、エンドクレジットを見ていると文化庁からか助成金をもらっているみたいだから、何か制約でもあったんだろうか。。。ここまで公共、公共、公共って繰り返されると、かえって皮肉めいて聞こえるよねw
 そして、審査員による贈賞理由も記載されていたので転載します。

実に欲張りな作品である。一般的に作家がほしいと思う要素は製作の過程で摩耗していく。理想と現実とがせめぎあった結果、ほしかった物の多くは消失し、わずかに残ったとしても変質の憂き目にあうのだ。その現実にあらがう術といえばほしい要素を増やす以外にはない。本作も酉の市の熊手のような満艦飾のメインビジュアル同様の常識的な物量を凌駕する要素で過剰に彩られている。しかし、それらはすべて相互作用と緻密な計算に基づいてひとつの無駄もない。最終的に観客に届くであろう、地方都市の大家族とネット社会という対比構造のように二極化することで、認識の複雑化を巧妙に避けている点も実に計算高い。業ともいえる過剰な情報量を制御し、観客と共有できる作家の術とそれを支持し完成に導いた製作者チームの成果は、間違いなく本年度においてすべての表現ジャンルを超えて、トップを走るレベルに達していると断言しよう。

 確かに「ひとつの無駄もない」し、対比構造による認識の複雑化を避けるっていうは、その通りだと思う。けどさ、いろんなものを削ったから実現できたことであって、むしろ味気ないことになってるように思うんだよねぇ。。この作品を見て、誰もが自身の理解のもとに物語の真意を掴むことができる、そんな簡潔明快なメッセージ性があることは認められることだとは思う。だけど、そういった側面を打ち出すために、物語の背景に密やかに隠されるべきリアリティを反映させた複雑かつ重厚な意味合いは失われている。登場人物の行動原理や人間関係を細やかに彩るはずの動機や因果関係は簡潔明快な公共性のもとに省略に付され、それと同時に「コミュニケーション」の大切さが何の脈絡もなく声高に叫ばれているような感じがする。受賞には相当する作品だと思うけど、大賞と言うには少しねぇwあまりに公共性を重視するばかりに、作品としての持ち味が損なわれているように思う。こんな娯楽作品を「藝術」として認定するっていうのかい?より一層、堕ちたもんだねってバカにされそうな気がするよ…。あ、そもそもアニメなんて藝術でも文化でもない、どん底の三下の娯楽作品だって前提があるなら仕方ないのか…w悲しいことだ。。



 OZの守り主のジョンとヨーコって、ジョン・レノンと小野ヨーコのこと?w真田の名を伏せて陣内にしたことと言い、こういうところは現実とのリンクを少し絶つんだよね。。なんだか、久しぶりに花札やりたくなってきたなぁ。ハンゲームにでも行こうかな…w

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2010/03/29(月) 00:01:00|
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