土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『電脳コイル』#08「夏祭り、そして果たし合い」の感想。

「都市伝説によると、メガネをかけたまま眠って、夢の中であっちに入り込んでしまった子どもがいたそうです。」
『電脳コイル』#08「夏祭り、そして果たし合い」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。




 普通はヒロインの浴衣姿って言うと可愛らしくて目立つもんだけど、ヤサコの浴衣は冴えない…wBGMで妙に強調しているけれど、別にって感じ。ようやくハラケンとヤサコのフラグも立ち、次第に物語の核心へと迫るキーワードが出始めた感じだったかな。都市伝説としての「あっち」やミチコさんの力やカンナ死亡の謎といった重要な要素が出てきて、次回はいよいよってところ。そんな本筋がある一方、甘酸っぱいような子どもの恋心も描いていて、なかなか密度の高い話だったかな。でも、ちょっとダイチの演技は臭かったかなぁw

■異界との境界を示す鳥居と階段

「都市伝説によると、メガネをかけたまま眠って、夢の中であっちに入り込んでしまった子どもがいたそうです。」

 今回は始まりがホラーだったよねwヤサコの目覚めとともに愉快なBGMが流れて戻ったけど…。黒い影に襲われるのも怖いし、どこからともなく聞こえてくる「ユウコ」の声も奇妙だし、いわゆる「あっち」が「あの世」と同じニュアンスの言葉であって、怖いところなんだという印象を与えるには十分だった。
 ヤサコが歩いている鳥居とか階段っていうのは何かの境目をつなぐものだよね。鳥居は日常生活を送る町と神聖な空間である山や森や神社との境目を区切るものだし、階段はこっち側からあっち側へと渡るための「はし」になる。古語では階段のことを「きざはし」って言うし、通常の橋と同じ性質のものなんだよね。安倍清明が式神を置いていたのは橋のたもとだし、川という向こう岸との境目を越えるためのものも橋だった。何が言いたいかと言うと、要は「はし」というのは此岸と彼岸とを渡るための道であり、同時に境目でもあるっていうこと。ヤサコが歩いていた鳥居のある階段っていうのは、こっち側からあっち側へと渡っていく過程を暗に示しているものと読み取るべきだと思う。このガジェットは他の場面でもしばしば使われていて、たとえば次回の話でハラケンが怪談を話すときに階段を下りると違う空間に移動してしまったという感じのことを言う。これも同じ趣向のものだよね。

■物語の伏線と構図

 ヤサコの夢の中では「ユウコ」と呼びかけられていたけれど、これもミスリードちっくな表現だよね。イサコだってユウコなわけだし、実は二人の夢がつながっていたとする後の話からすれば明らかにこの時点では誤解を導く表現ではある。4423というキーワードとともに、次第に物語の謎へと迫る感じがあった。
 それにしても、ハラケンもヒソヒソ声が聞こえてたよね…。ハラケンにもイマーゴの資質があったんだろうか。。この点は最後まで見ても何ら触れられないんじゃないのかなぁ。。ちょっと疑問には思った。今回の最後でクロがキューちゃんに消去されたときはびっくりだったよねwイリーガルがクロだってわかったのも、カンナとの関係から重要な話だったのに、あっけなくキューちゃんに消去されちゃったよw今回から三回分は本筋に関わる重要な回になると思う。
 イサコって小学校六年生だよね…。おばちゃんの監視を逃れながらイリーガルを捕獲するために、陽動作戦としてダイチたちに果し合いをやらせるだなんて、小学生の思いつく戦略じゃないでしょw
 そんなイサコはずっと前から誰かに電話しながら計画を進めているんだけど、この相手って猫目だよね…。ミチコさんやカンナの電脳ペットクロやイサコの夢や、いろいろと伏線を次第に張りつつ物語を進めるのが上手い。一方ではヤサコたちの学校生活を淡々と描きながら、裏ではヤサコやおばちゃんが戦っているっていう構図はなかなか楽しいと思う。

■作品に込められた風刺

「去年のように、皆さん自身が事故の原因になってしまうこともあります。特に、メガネに夢中の人。道路では、メガネを使用しないように。」
「やだわぁ、またメガネのせいにして…。」

 これってよく聞くゲームや漫画やアニメ批判と同じ感じだよねw暴力的な内容をこういったメディアで描くから、それに影響された現実の子どもたちが非行に走るんだっていうような言説があると思う。物語の中ではメガネに置き換えて語られているけど、なんだか同じ思考パターンだよね…。これと同じような話っていうのは#24「メガネを捨てる子供たち」でもあった。ヤサコがメガネを取り上げられて、メガネを通して体験したことが嘘であるのかどうか悩むシーンと重なる。大人はメガネのせいで子どもたちがケガをしたり精神的な苦痛を感じるようになったとしてメガネを取り上げて、その理由としてメガネで体験することがすべて手で触れることのできない虚構のまやかしであるということをあげていた。でも、そのメガネを通して感じた気持ちは嘘ではないという結論をヤサコが導き出して、メガネに対する肯定的な考え方を提示するというものだった。これも、そのまんまゲームや漫画と置き換えられる話だよね。
 この#24で語られるヤサコの結論は力強いものだったし、それだけに現実のゲームや漫画を嫌う言説に対する鋭い風刺になっていたと思う。これを穏やかな子ども向けアニメの顔してやってのけるんだから、スゴイよねw今回の話ではあまり深く取り上げられなかったけど、制作側がそんな意図を最初のころから持ち続けて取り組んでいたことがわかる部分だったと思う。

■ダイチの恋心

「私ね、呼び出せるの。ミチコさん…。」

 フミエのことが好きであることを自覚するダイチだったけど、イサコから果し合いを強要されていたこともあって悩むんだよねwヤサコは「ミチコさん」という怪しげな力でフミエたちを足蹴にできることをチラつかせて、ダイチが自分でフミエを倒すなら穏便に済ませることができるっていうことを言えば、そりゃぁダイチは自分でフミエを果し合いで打ち負かすしかなくなるよね。。好きだからこそ、フミエを負かさなければならない。そんな感覚をダイチが自分で悩みながら結論付けたあたりの葛藤はよかったと思う。だけど、こんな強要を小学校六年生が…wやっぱりイサコは陽動作戦のことと言い、あんまり小学生に見えないよね。。
 それに加えて、ハラケンとヤサコの関係を進めようとするカオリっていうのも面白かった。ヤサコはフミエとダイチの関係を見抜いて後押ししようとするんだけど、ハラケンとのことは無自覚なんだよね。。そこらへん、人のことは敏感なのに、自分のことになると鈍感になるヤサコがカオリ視点で描かれていたと思う。



 やっぱりおばちゃんは二十歳過ぎてるよね…。だって、マイコ先生が飲みすぎている場面に同席しているんでしょ?ってことは、やっぱりおばちゃんは高校生じゃないんだよ。。やっぱり女子高生の制服を日常生活で着るという変わった趣味を持った人なんだよ。。。おばちゃんと言い、サッチーの名前の由来と言い、ダイチが「あがり」をイサコに渡す場面と言い、本筋はしっかりと進めながら相変わらずコミカルな要素を忘れないのが電脳コイルだよねw次回は序盤で一番盛り上がる果し合いです☆

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2010/04/11(日) 01:00:00|
  2. 電脳コイル
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