土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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アニメというメディアの特徴っぽいもの

 ツイッターを始めて、はや一週間が過ぎた。いまだに知り合いをフォローするだけの情報がないけれど、有名なアニメ監督なんかをフォローしていると面白い。こういうのを「私淑」するって言うんだろうなぁ。。ネットを介して私淑できる時代が来るとは、すごいねwwやっぱりアニメの受け手の見る視点と、プロの見る視点っていうのはずいぶん違うもんだなぁと思う。それにしても、作画術やディレクション術や制作のあれこれに関する言及はあっても、今のところ作品そのものの内容に踏み込むような話を見ない。制作者は制作者であって、批評家ではないってことなんだろうか…。そりゃぁ、作画の方法や意図にも思想性を汲み取ることは十分に可能なんだろうけど、やっぱりシナリオやセリフといった中身に対する意識は重要だと思うんだな…。そこんとこ、どうなんだろ。ってことで、今回はアニメというメディアの特徴について考えます。




 アニメの特徴と言っても、いろんな面にわかれると思う。まずは、大きく内容的な側面・伝播の方法に関する面の二つに分けて考えてみる。
 内容的な面で言えば、その特徴は記号性(キャラクター)と虚構性(ファンタジー)の二点に集約できると思う。よくアニメの王道と言われるものは「宇宙・ロボット・ジュブナル(青少年の成長譚)」の三点なんだろうけど、それも崩れかけてるとは言えまだまだ本質を突いた見方のように感じる。。
 もちろん、アニメって実写ではないw特撮でもない。。まぁ、演出上でそういった要素を取り入れることはあるだろうし、一概には言えない部分はあるけれども、おおむねでは絵を描いて作品にしている。その過程の中では様々な要素が省略され、いわゆる「キャラクター」が作られることになる。そのキャラクターには産毛も生えてなければ、目の大きさも実際の人間とは程遠いwそれも、アニメーターが意図的に描いているものであって、デフォルメが行われた結果として出てくるものだろうと思う。アニメの映像の中では意図しない表現とはイコール描かない表現になってしまうため、描かれていることはすべてが意図されたものとなる。また、実写とは違って一度はアニメーターの脳内フィルターを経由しているため、そういった意味でも映像は主観的な認識に寄りがちなものとなる。そんなこんなで、アニメの映像は何かしら必ず省略(デフォルメ)を受けるわけで、その表現は輪郭の線の太さから構図に至るまで何かしらの意味合いを帯びることになる。その際には、不必要あるいは認識下にない情報がカットされるだけに記号化と呼んでもいいような事態が起こっているし、それだけ実写とは異なるデフォルメされた世界となるだけに虚構性と結びつきが強くなるのも自然だろうと思う。
 シナリオの面から言っても、SFの要素がアニメと深い親和性を示していたことからも、虚構性との密接な結びつきを示すことができると思う。実写とは違って、頭の中に描いた映像を引き出すことができるとあって、それだけシナリオに関する制約は少ないと思われる。いや、実写のほうが俳優の表情に関しては絶対的に豊かな表現を可能とするだろうし、アニメはアニメなりの制約もあるのは間違いない。けれど、その特徴を大いに生かしたジャンルとして宇宙やタイムスリップや人を乗せるようなロボットを登場させることが可能だろうし、大規模なCG加工を必要とせずにより安価に仕上げることも可能だろうと思う。アニメの王道として宇宙が挙げられるのも、必然的なことなんじゃないのかなぁ。。
 それは受け手をどのように想定しているのかという面からも同様のことを指摘することができると思う。基本的にアニメは子どもを対象にして作られてきた経緯がある。そのため、子どもが感情移入しやすいように登場人物も同年代になってくるだろうし、教養的な面を醸し出すためにもその成長譚を取り入れるのは当然の帰結と言える。『十五少年漂流記』なんかのジュブナイルがモデルになるっていうのも肯ける。SFと言えば現実から離れたオーバーテクノロジーが出てくるのは絶対だし、それはファンタジーとして異世界や近未来といった世界を背景に要求することになる。結果、宇宙を虚構空間としてアニメは開拓してきたし、それだけの歴史があるからこそ王道にもなりえるんだと思う。ロボットはその宇宙を航行するには必ずと言っていいほど必要な要素になってくるし、さきほどのジュブナイルと合わせれば磐石というわけだ。
 ただし、そういった風潮も変わりつつある。第一に視聴者層を子どもに限定しなくなったのが大きいんだろうか。。もはやジュブナイルばかりがアニメの主流じゃなくなってきた。虚構の世界ばかりに頼ることなく、現実社会を風刺するものあり、現実の世界を淡々と描くものあり、宇宙以外の空間に虚構を発見・構築するものあり、様々にアプローチがなされているのが最近のアニメの現状のように感じる。ラノベ原作の採用が物語っているシナリオの省略・記号化というのも、アニメが本来的に持ち合わせている資質がそうさせたのだろうか…。これも必然なのだろうかと思うと、こればかりは残念な気もする。ここまで内容的な面でのアニメの特徴をまとめてみたけれど、とにかく今後は視聴者層の視聴形態の変化の二点から、アニメはそのありようを見つめなおすことが求められているのだろうと思う。
 その視聴形態について、第二に伝播の方法に関する面を考えたい。劇場版アニメはさておき、アニメ文化の中心というか日常を担うのはテレビアニメとなる。その制作のクオリティのことを言えば劇場版のほうがよっぽど上質なものを作ることになるだろうし、そのほうが作品としてはよりよいものが作られる…はずだろうと思う。けれど、作品の伝播や文化的な共有状況のありようから言えば、テレビアニメのほうが圧倒的に中心に位置するものと思う。そもそも、テレビはその環境があればスイッチを入れれば誰でもアニメを見ることができる。それは映画館に足を運ぶという主体的な意志と行動も必要ないし、たまたまスイッチを入れてやっていた番組という可能性を考えれば極めて受動的なメディアとなる。そのため、より広範は視聴者を獲得する可能性を秘めてはいるし、環境さえ整えばほぼ無料で見ることができるとあれば、その日常性は格段に上がる。それは映画のような客層にスポットをあてた宣伝の打ち方から視聴者へアプローチすることがいささか難しいことになるだろうし、F2やティーンやといったマーケティングの方法によって視聴者を想定することはできても限定することは不可能となる。お金がかからない、誰でもスイッチひとつで見られる、そんな怠惰な環境を持つアニメは視聴者を差別せずに広く伝播させる可能性を持つものと思う。
 これは可能性であって、実際がどうかは知らないwまぁ、映画よりも日常性が高いっていうのは確実だろうね。そもそも、映画っていうのは映画館そのものが非日常の空間として娯楽を提供するアミューズメントなんだから、本質的に日常と非日常の住み分けが明快なメディアになる。けれど、テレビアニメって日常空間で自由気ままに見ることができるじゃん。映画のレンタルもそうなっちゃうんだけど、、そういった伝播の形式の違いっていうのは大きいな特徴としてよく考えたほうがいいと思う。それにしても、そんな日常性にありふれたテレビアニメで宇宙に行ったり異世界に飛んだりと虚構バリバリの内容を展開しているっていうのは笑えるよねw
 おおまかに特徴と言えば、こんなことを想定できるだろうか…。今もかつても実写に憧れて実写の知識を持つ人がアニメを作る経緯があるようだけれど、最近はアニメを見て育った人がアニメを作るようになってきていると思う。そんな自己内循環を開始したアニメには将来性もあるように感じるんだけど…、これからどうなるんだろうか。。テレビアニメの飽和状態や動画職の枯渇やアニメーターの労働環境の悪さや、いろいろ問題はあるように見受けられる。向こう十年くらいがアニメ業界の踏ん張りどころなんだろうか。。まだまだ対岸の火事だね…w



 ツイッターを見ていると、簡潔な文章を心がけないといけないなぁと思い知らされるwいつもブログだと冗長になりがちなので、少しは見習わないと…。

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2010/04/21(水) 03:03:21|
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