土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『デュラララ!!』#16「相思相愛」の感想。

「言葉を使ったり、手を握ったり、抱き合ったり…。彼女も、愛を行動で表現したくなった。だけど、罪歌は妖刀だ。愛するにも身体がない。」
「だから、持ち主を操って…。」
「人を斬り続けた。何度も何度も何度も、自分の愛を確かめるために…。」
「愛を形にするために…。」
『デュラララ!!』#16「相思相愛」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。




 こうして、また新たな偏愛が生まれた…。って感じ?w初回から一貫しているのは一方的な恋愛感だよね。それを様々なパターンで表現しているところだと思う。それが誠二や波江だったり、新羅だったり、罪歌だったり、臨也だったりするだけで、意外とやっていることは同じなのかもしれない。違うのかもしれないw共通するのは相手の意志が存在しないっていうことなのかな?今回は罪歌の愛と杏里の依存体質について語られていたけれど、少し表現の不足しているところが見受けられて残念だった。それに、さすがに罪歌まで愛の話にしちゃうのは冗長でワンパターンで二度ネタな感じもするかなぁ。。

■中身のない罪歌の愛

「そもそも、なんで辻斬りと愛が関係あるんだ?罪歌ってのは、サディストなのか?」
「いや、嗜虐趣味とはちょっと違うんだ。罪歌の目的はね、人間を愛することさ。人間を愛して、愛して愛して、愛するうちに個人でなく、人間というひとつの種を愛してしまったんだよ。人類すべてを…。」
「わからない…、愛しているなら、どうして斬るんだ?」
「人間だって、人を愛したらいろいろな行動をして、愛を表現するよね?」
「行動?」
「言葉を使ったり、手を握ったり、抱き合ったり…。彼女も、愛を行動で表現したくなった。だけど、罪歌は妖刀だ。愛するにも身体がない。」
「だから、持ち主を操って…。」
「人を斬り続けた。何度も何度も何度も、自分の愛を確かめるために…。」
「愛を形にするために…。」

 人間という種を愛するっていう発想は臨也と同じなんだろうか。彼も「人間ラブ!」だなんて叫ぶくらいで人間観察を好んでるあたりからして、明らかに人間そのもののを愛していると考えていいと思う。
 臨也の場合はマゼンダとの一件もあって、彼がどんな人間の生態に興味を持って行動しているのかは描かれた。だから、臨也が人間のことを愛していると言うことの理由というか具体的な根拠は示されているんだよね。だけど、罪歌に関しては具体的に人間のどんなところに興味を持っているのかが描かれていない。ここがひとつの問題だと思う。今までの誠二や波江や新羅は少なくとも相手のどこに惹かれているのかといったことは語られてきた。なのに、罪歌に関しては相手を愛しているということが前提とされてしまっていて、何も具体的な描写が与えられていない。ただ単に罪歌の愛の中身もないまま、ただ単に相手を斬り付ける行為によって関係性の維持を図っているように見える。
 あるいは、それが罪歌の愛の本質なのかもしれない。まったく中身がないだけに、愛の事実を形作ることを目的にするから斬り付けるんじゃないだろうか。斬れば相手の関心を惹き付けることは可能だろうし、そこに相手と自分の関係性を無理にでも構築することができる。セリフの中では、罪歌が刀であるという物理的な要因によって人を斬る行為に理由を与えているけれど、それは少し短絡が過ぎるようにも思う。そもそも、刀に意志があるという時点でおかしいしwまぁ、デュラハンにしても罪歌にしても、こういった変な設定での愛を考えてるから何とも新鮮なんだか空論なんだか…。。
 っていうかさ、罪歌を杏里がずっと持っていたとしたら、どうやって贄川に感染したの?最初のほうで罪歌が登場してきていたけれど、あれは杏里がやっていたことなんだろうか。伏線は張られていたんだろうけど、追いかけるのも面倒だな。。なんだか、どうでもいいやw

■説明不足な贄川の愛

「付き合っていたなんてものじゃないわ。二人は愛し合っていたの。ただお互いに、それが確認し合えるだけで幸せだったわ。そう、いつまでも、いつまでも、いつまでも…。だけど、私はある日、拒絶されたの。私はタカシに愛を形にして示そうとしただけなのに…。」
「愛を形に…、どういうことですか?」
「私は拒絶されたの、タカシに。いいえ、それは怨んでないわ。だって、私はタカシのことを愛しているんですもの。」
「いいえ、あの…。」
「タカシが私を受け入れてくれなくても、もしも私以外のものを好きになっても、許せるわ。でもね、タカシに好きになられたそれ自体は許さないの、絶対に。」

 またもや愛が自己完結してるタイプだよねw誠二もそうだったし、波江もそうだったし、新羅もそうだった。まぁ、これを本当に愛と言っていいのかっていう議論は捨て置いて、とにかく一方向の相手が存在しない恋愛関係を取り上げることが多いわけだ。相手の意志とは関係なく、自分の中で相手に対する想いが強ければ恋愛関係が成立すると考える感じ。
 ただし、どうやら贄川に関しては双方向の恋愛関係が成立していたのかもしれない。相手の教師も贄川に好意を持っていたことは、今の杏里に対する接し方から想像すれば何となくわかる。だけど、そんな教師も贄川を使ってお金を稼ごうとしたりしたわけだから、その恋愛がお互いにどんな位置付けだったのかはわからないけどね…。贄川も口ではああ言っているけれど、単に自分の気持ちを裏切った教師に対する復讐の意味で付きまとっているのかもしれないし。
 とにかく、ストーカーを登場させるのは張間美香や誠二と重なってしまって、ネタとしての豊かさを失っているように思う。せめて、単なる罪歌ストーリへの足がかりで登場させるのではなく、もっと詳しく贄川と教師の物語を描いて差別化を図ってもらいたい。それに、他の罪歌の子どもたちが静ちゃんに執着している中で、どうして贄川だけは個性を保って教師と杏里に向かったんだろうか。ちょっと贄川を都合よく料理しすぎてるように思うなぁ。。

■常識的な静ちゃんの感受性

 あの罪歌の子どもたちって『とある魔術の禁書目録』の御坂ネットワークみたいな能力があるよねwだって、離れているのに意志を共有させることができるんでしょ?でも、なぜ同じ静ちゃんを愛そうとするんだろうか。罪歌の意志が優先されてのことなんだろうけど、贄川のように寄生先の意志が発現することだってあるんだと思う。なんだか、今のところあんまり罪歌というシステムが理解できないw
 罪歌の子どもたちが静ちゃんに付きまとう理由はよくわかった。彼を罪歌ネットワークの一員とすることができれば、その優秀な戦闘力からより多くの感染者を増やすことができるっていう寸法だ。要は多くの人間を斬りつけることができることになり、それだけ罪歌の愛のネットワークが広がるってことなんだねw
 そして、そんな罪歌の愛情表現に対して静ちゃんが喜ぶっていうのも笑ってしまったw自分では嫌いだった戦闘力を認めてくれる相手がいるのを喜ぶのはいいとして、その相手が罪歌という人外っていうところがまた…(^_^;)確かに自分の存在を認めてくれることは愛なんだろうけれど、どうなんだろうねぇ。。そういう意味では、静ちゃんこそ他人からの愛情表現を受け止める感受性を持つ稀有な登場人物なのかもしれない。他の誠二や美香や波江が自分の感情を相手に押し付けるだけのものであったのに対し、静ちゃんは相手の感情を自分の意志決定に関わらせることができている。意外にも静ちゃんこそ常識人なのかもしれないw

■杏里の依存体質

 目が赤く光って、女子高生で、刀を持って斬りかかる…。これって『BLOOD+』じゃないですかwと、思ってみたりする。でも、別に血を分けて自らの種族を増やすわけではないから、必ずしも同じとは言えない。扱っている内容も別物だからね。。ただ、確実に元ネタだって言われるだろうと思う。別に女子高生が刀を振るのは『BLOOD+』の専売特許ではないけれど、それに血と増殖行為と目の赤さが加わっているから、それだけ想定も容易になる。ここらへんはズルい気がするなぁ。下敷きにするなら完全に物語をトレースした上で新たな解釈を加えるべきだろうし、そうでなければ意識されないように表現を避けなければならないと思う。「主のある表現」っていうのは扱うのが難しい。

「楽なんかじゃありませんよ、人に依存して生きるのも。寄生虫って、私もいい喩えだと思います。だけど、寄生しても追い出されないようにするために、どれだけのものを犠牲にしなきゃいけないか、わかりますか?」

 これは単なる屁理屈だよねw要は虎の意を借る狐でいるためには、自己を捨てて媚びなければならない。そんな生き方を楽だと見下されたから癪に障ったんだろうか。。でも、ここまで真面目に言い返すものでもないでしょwこう言ってしまうと、ただ自分を可愛そうに思っているだけで、悲劇のヒロインを演じているように見えてしまう。側に帝人がいなくてよかったねwあの空気を読まない人間は単刀直入にズバっと杏里の弱点を突くだろうよ。

「待って!!贄川先輩、もうやめてください。その刃物で人を傷つけるのは…。」
「どうやって逃げてきたの?」
「やめてください。」
「まぁいいわ、どうせまた誰かに助けてもらったんでしょ。でも、園原さん。あなたなんかに言われたくないわ。他人に寄生する生き方しか選べなかったような弱い人間に。」
「誰かに依存する生き方しかできなかったわけじゃないんです。そう生きることを選んだ、ただそれだけです。」
「ふんっ、屁理屈。」
「人が強いか弱いかなんて、生き方だけで決めて欲しくない!」
「ねぇ、園原さん。あなた人を愛したことってあるかしら?あなたには無理でしょうね。そんなあなたに、私がわかるわけない。」

 これって会話になってなくない?w贄川は「他人に寄生する生き方しか選べなかったような弱い人間」と杏里を言っているにも関わらず、杏里は「そう生きることを選んだ、ただそれだけです。」と返している。鸚鵡返しじゃないか!w反論になってないよ。贄川は杏里が独立して生きる道と依存して生きる道の選択肢を持っていたことはわかっているし、その上で依存の道を選んだ杏里の精神的な弱さを責めている。なのに、杏里は何を勘違いしたのか、自分には独立して生きる選択肢もあったことを強調した上で、ただ自分の意志で依存の道を選んだんだと主張するんだよね。論点がズレているような…。それとも、表現が曖昧なだけなのかな?贄川のセリフを「他人に寄生する生き方しか見つけられなかった」に改めれば、別に問題はないんだろうか。現行のセリフでは贄川も杏里が主体的に「選ぶ」行為を行ったと認識しているわけだから、これでは杏里の反論がズレてしまうんだよね。。なんだろう。屁理屈どころじゃないよw

「確かに、私は人を愛することができません。五年前のあの日から、人を愛するのが怖くて仕方なくなったんです。だから、他の何かに依存して生きてるんです。」

 自分から主体的に愛する行為に恐怖を感じるんだろうか。確かに、杏里の部屋で贄川と対峙しているときも、杏里は相手に無関心でいることを心がけるような場面があった。つまり、何か自分の意志で行動すると裏切られたときの気持ちが嫌だから、自分の意志を捨てて相手に自らの意志決定を委ねることになるんだろうか。それが自分の愛していた親との過去の記憶によってトラウマになっていて、今の杏里の資質を形作っているという設定のように思う。だとしたら、なおさら「どれだけのものを犠牲にしなきゃいけないか、わかりますか?」と主張することが虚しくなるよねw自己防衛のために自ら依存することを選んでいるわけなんだから、それを自分で憐れんだところでダメでしょw
 どうも今回の話は説明不足というか消化不良というか、表現が十分になされていないように思う。杏里にしても、贄川にしても、物語の広がりが感じられず単に罪歌という設定のもとに都合よく処理されてしまった感じ。今後の展開で補足はあるんだろうか。



 ついにアニメ本編でシズ×イザに言及することになるとは…wこれは確実にBL層を意識してのセリフだよね。しかも、それに対して画面上のキャラクターが総ツッコミを入れるとは、なんだか急にメタなギャグっぽくなっちゃったよね(^_^;)静ちゃんがグラサンを外したけど、あんまり素顔を正面切って描かなかったのが心残りだなぁ。。

テーマ:デュラララ!! - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2010/04/30(金) 05:51:25|
  2. デュラララ!!
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