土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『機動戦士ガンダム00』全50話の感想。

「刹那…、なぜなの、なぜあなたはまた戦おうとしているの?」
「それしかできないからだ。」
「嘘よ!戦いのない生き方なんて、いくらでもあるじゃない。」
「それが、思いつかない…。だから、俺の願いは戦いでしか叶えられない。」
「そんなの…、そんなの悲しすぎるわ。」
「なぜ泣く…?」
「あなたが泣かないからよ…。」
『機動戦士ガンダム00 2nd Seoson』#03「アレルヤ奪還作戦」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。




 あんまりガンダムらしくないガンダムだった。いや、それは誉め言葉としての意味で、従来のガンダム的な要素を引き継ぎつつも、引き裂かれる恋愛と際限のない憎しみの連鎖を物語の中で上手く取り上げていたと思う。宇宙を舞台にした他のアニメのモチーフを取り入れながら、それをガンダム上に再構築したところも良かった。ただ、スメラギ・李・ノリエガがお酒を飲まなくなったあたりから、ちょっとつまらなくなってきたかなwベタな部分が目立ってきて先読みが容易になったし、戦闘シーンばかりでそれほど内面の描写も多くなくなった。ちょっと説教くさくなったところもあるし、話が逸れていった部分もあった。まぁ、佳境に入ったことで仕方ない部分もあるんだけど…。とは言え、前半はかなり面白かった印象が強い。主人公の刹那を中心としたガンダム・マイスター四人それぞれの物語が緻密に組み込まれて見応えがあったし、何より、戦争を戦争で解決するという矛盾を抱え込みながら、戦争を機軸にして登場人物の関係性と内面が有機的に連環して語られたことが良かった。セリフの表現性が高く、脚本に凄まじい情熱と愛を感じたよwう~ん、ファースト以来のガンダムなるものを好んでいる人はあんまり好きじゃないかもね。

■様々なドラマを見事にまとめたダブルオー

「刹那…、なぜなの、なぜあなたはまた戦おうとしているの?」
「それしかできないからだ。」
「嘘よ!戦いのない生き方なんて、いくらでもあるじゃない。」
「それが、思いつかない…。だから、俺の願いは戦いでしか叶えられない。」
「そんなの…、そんなの悲しすぎるわ。」
「なぜ泣く…?」
「あなたが泣かないからよ…。」

 実はマリナが最も感情豊かでオリジナリティのあるキャラクターだったのかもしれない。というか、ヒロインだし…wこの場面で最後に「あなたが泣かないからよ…。」と言ったときには背筋がゾクゾクしたよwこれは素晴らしい表現だった。
 今回の物語は平和と戦争を大きなテーマとして選んでいた。それも、ファーストガンダムのように過去の大戦をモチーフにするわけではなく、エネルギー資源の分配を発端とする非常にリアルな戦争背景を選択していたように思う。その中で、刹那は子どものころから戦争の中に身を置いて、自らの手で親を殺したり友達の死を目の当たりにしたり、常に戦いのある人生を送ってきた。それに対して、マリナは子どものころからピアノを習っているなど普通の家庭に育ってきたわけで、アザディスタンの皇女になったとは言え平和を享受する側の人間だった。この対象的な二人の対話を用意したことは、物語の構図とともにキレイな対象構造を導くことになったと思う。
 そんな中で、マリナは刹那が戦争することを嘆くのでもなく、戦争という方法でしか平和が導かれないということに憤るのでもなく、刹那が戦争をするという生き方しか知らないこと自体を悲しむというのがスゴイ。つまり、刹那が「俺の願いは戦いでしか叶えられない。」と戦い以外の方法を思いつかないことから、マリナは平和な生活を知らない刹那の生い立ちを通して戦争の悲惨さを読み取ったんだと思う。刹那からしてみれば、なぜマリナが泣くのかはわからないんだろうね。そんな刹那の感受性に対して、マリナは言いようもない悲しみを感じたのかな。そこらへんのやり取りが、言葉で語られることなく濃密に表現されていたことが良かった。いやぁ、「あなたが泣かないから泣くんだ」っていう表現はスゴイと思うwこれって、私とあなたでは感受性が違うんだねっていうことを如実に物語るものだし、刹那という存在に戦争の悲惨さの一部を具体的に集約したところもお見事。この表現を読み取るためだけに50話を見てもいいくらいだよねw
 思えば、ダブルオーはジュブナイル的な要素があまり見られなかった。ファーストガンダムはアムロという少年が大人のやり方を批判的に捉えながら、自分がどのように行動すれば問題が解決に向かうのかを模索するような側面があった。それはアムロが自分の所属するコミュニティーの中での役割を自分で見つける過程を踏んでいたし、それがアムロの成長を物語る具体的な内容として示されていた。アムロがブライトなんかとケンカしていたことが印象深い。それに対して、ダブルオーでは確かに刹那の成長が描かれるとは言え、アムロのように常に前に出て物語を引っ掻き回すようなことはさせなかった。ティエリアやロックオンやアレルヤをはじめ、それぞれの陣営の主要なキャラクター同士の絡みを多く取り入れたため、主人公の一代記的な要素は薄められていたと思う。ダブルオーのスゴイところは登場人物の多さにも関わらず、それらの人物を上手いこと戦争という場を中心に結び付けて、それぞれの物語を提示していたことにあると思う。刹那とマリナ、沙慈とルイスの引き裂かれた恋、スメラギとマネキンに関わる過去の戦略的な失敗、スメラギに対するビリーの執着、グラハムと刹那の対立、刹那に対するロックオンの過去の遺恨、アレルヤとマリーの恋愛、ロックオンとフェルトの悲恋、ロックオンとアニューの悲恋、ティエリアとイノベイドの確執、セルゲイとマリーの血縁を超えた親子関係、セルゲイとアンドレイの血縁関係に生じた亀裂などなど、挙げればキリがない。「愛が憎しみに変わらないうちに…。」とはいい捉え方だった。よくもこれだけの広大な世界観を上手くまとめきったと感心するばかり。それだけに、展開される人間ドラマが複雑に絡まって重層性を増していたし、見応え抜群の内容になっていた。その代わり、対象年齢は少し高めになったのかなぁ。。やっぱりファーストのような少年の成長を純粋に描いた作品とは毛色が違うものになっていたと思う。

■迂闊なグローバリゼーションの展開

 とは言え、根本的な問題として、人類を統一する必要性や機運がどのように生まれるのかといった点には触れる部分が少なかった。世の中はグローバリゼーションやアメリカナイゼーションへの反発もあってローカリゼーションなんて言葉が出てきていた頃合だったと思うけれど、そんなの気にせず統一国家の樹立を想定してグローバルに作品を作っちゃった。当然、統一的な国家を作った場合には、統一的な文化コードや経済体系が世界的に導入されるため、弱小な文化や国家は消滅して吸収・統合されることになる。実際に、資本主義経済をローカルな貨幣経済も成り立っていないような地域に導入したがために、様々な問題が生じていることがある。それに、世界言語の必要性から自然と母国話者の減少が進んでしまい、言語が絶滅する危機すら招いている。グローバリゼーションは確かに世界的な規模での共通の理念を共有する上では必要かもしれないけれど、その一方では地方や地域に根ざした固有の文化なり習慣といったものを破壊してしまう危険性をはらんでいることは確認されてきたところではある。
 そんなこんなで、グローバリゼーションに待ったがかかっているのに、どうもダブルオーの提示した世界観というのはリアリティーを失う。エネルギー資源に関わる戦争だとかリアルな国家対立を用いているだけに、この点においてはリアリティーに欠けることになる。加えて、統一的な国家を樹立する、あるいは人類が同一の目的に向かって手を取り合うような環境を作る動機として、「来るべき対話」とか言う訳の解らないことを言っているのは、さすがに根拠が薄弱であると言うしかない。
 確かに宇宙進出を目指して、「地球連合」的な共同体を想定する気持ちはわかる。従来のアニメでも多く使われてきたモチーフだし、宇宙を前にして国境を越えた人類全体の共同体を構想することはひとつのテーマとして脈々と受け継がれてきた発想でもある。たとえば『超時空要塞マクロス』の艦長がグローバルという名前だったことも象徴的であり、宇宙を舞台にしたアニメの多くが黒人・白人・黄色人種のキャラクターをごちゃ混ぜに登場させ、なおかつ名前に関しても様々な国の名前を混ぜこぜにして、髪の毛の色もキャラの差別化と同時にグローバルな観点から様々な色が用いられ、暗黙の了解として使用言語が統一された上で表現されてきた。ダブルオーで考えれば、スメラギ・李・ノリエガという名前なんて驚きのキメラ具合だよwスメラギは日本語だし、李は中国あたりの姓だし、ノリエガってスペインだったっけ?まぁ、見事にグローバルなネーミングだよねwダブルオーの主眼は人間ドラマにあったとは言え、リアリティーのある戦争を取り上げているわけなんだから、そのような中でグローバリゼーションをやってしまうのは「うかつ」だと思う。宇宙怪獣や宇宙災害といった人類全体に直接的かつ解りやすく影響のある危機が迫っているならまだしも、ソレスタル・ビーングとうい人為的な武装組織を前に地球が一体になるとは考えにくい。

■再構築される物語

 あっちこっちに既存の作品を下敷きにした表現が見られて、見事な充実っぷりだった。しかも、単に表現や設定を流用するだけではなくって、ダブルオーの世界観のもとに新たな解釈を提示している部分が多かったところが良かった。これもダブルオーの表現性を高くしている大きな要素だと思う。
 まずガンダム的な要素としては、GNドライブによるレーダー干渉はミノフスキー粒子を想起させるものだし、超人は強化人間でありイノベーターはニュータイプに対応するもので、普通の人間とイノベーター・ニュータイプの対立の図式も似たようなものがあったし、宇宙進出を機に発生する紛争と人間同士の対話に関する必要性というテーマも共通するものがあるし、グラハム・エイカーの仮面はシャア以来のモチーフだし、マリナの姿にはディアナ・ソレルの面影も感じられた。他にもたくさんモチーフにしている部分はあるんだろうし、そういった要素を上手いこと織り込んでいるあたりが巧みの業としか思えない。考えてみれば、プトレマイオスにブライトのような年上の指揮官を配置しなかったのも、若者が互いに互いを刺激しあいながら物語を展開させるための仕組みとして上手く作用していたように思う。その点、取り入れるべきところは取り入れ、捨てるところは捨てるといった姿勢が見られる。これこそ、まさに温故知新と言って差し支えないものじゃないのかなぁ。。昔ながらの要素も残しつつ、それを解体してダブルオーの物語上にいい具合に再構築したように見える。
 他にも、ガンダム以外からの要素も多く見られた。量子コンピュータを作品に取り入れたことは『ゼーガ・ペイン』とか『ノエイン-もうひとりの君へ-』といった作品からの系譜を受け継ぐものだろうし、メメント・モリという単語は他の作品で頻繁に用いられる術語だし、何より多く『コードギアス 反逆のルルーシュ』との共通点が見られた。国家の対立を中華・アメリカ・EUの三つに集約することは同様の発想を感じるし、世界の憎しみをソレスタル・ビーングやゼロといった組織に集めることで平和の基礎とするあたりも似通っている。ほぼ同時期にこの二つの作品が出されたことには何か意味があるんだろうか。
 そして、一番大きなものは『機動戦艦ナデシコ』のホシノ・ルリ以来の「作られた人間」というカテゴリーに属するであろうソーマ・ピーリス(マリー・パーファシー)という存在がある。あのシルバーの髪の毛に金色の瞳というのは、確実にルリを思い出させるものだった。そんな見た目の相似点だけでなく、機械的な無感情の性格を初期設定として与えられていながら、次第に人間らしい感情に目覚めていくという過程もほぼ同一のものに思える。ただし、ソーマ・ピーリスの場合は二つの人格が同時に共存している点ではダブルオーに独自のアプローチが認められるし、アレルヤとの恋愛において有効にこの設定を生かしていた部分は自家薬籠中の物として「作られた人間」という設定を使っていたものに感じられる。ソーマ・ピーリスに関しては強化人間に由来を求めるよりも、ホシノ・ルリの系譜の中で考えたほうが表現内容から言って適切だと思う。
 とにかく、様々な要素を見事にダブルオーの舞台の上に展開させたことは素晴らしい。それだけ物語の深みを増すことに成功しているし、単にダブルオーの世界観に留まらず、他の作品とも有機的に世界観の共有を可能としてる点で広がりは際限のないものとなっている。

■作品のテーマとオチと結論

「ねぇ、沙慈…。世界はこれから、どうなるのかな。」
「正直、僕にもわからない。でも、僕たちは無自覚ではいられないと思う。平和の中にいた僕らは、現実を知り、戦いを知り、その大切さを知った。考える必要があるんだ。本当に、平和を求めるなら。世界について考えることが。」

 結局、一貫したテーマはなんだったんだろうか。言ってみれば、「未来は自分の意志で掴み取るものである。他者から与えられるものでもないし、ましてや無自覚に受け取るべきものでもない。」といった具合なのかなぁ。。特に2nd Seosonに入ってから沙慈の行動に端を発する「無自覚な悪意」は何度か取り上げられていたし、最後にティエリアが「これで、未来は人類に委ねられた。」と言っていることからも未来の選択権をイノベーターではなく人類が持つべきであるという発想が見えてくる。ソレスタル・ビーングの活動にしても、最初はイオリア・シュヘンベルグの計画を遂行する実行部隊であったのが、途中から自らの意志で行動することを原理とするようになっていた。そんなところからも、自らの主体的な意志に基づいた行動によって未来を勝ち取ることが大事であるとのメッセージ性はあったように思う。この点に関しては、具体的な描写が作中に数多く見られたから、何ら浮付くことなく受け止めることができる。

「この世界は矛盾に満ちていて、僕自身も矛盾していて…。でも、それを変えていかなくちゃいけない。見つけるんだ、僕達の生きる意味を、その答えを。」

 これも自らの意志で未来を切り拓くんだというメッセージに基づいたセリフだろうと思うけど、ソレスタル・ビーイングが抱える戦争を戦争で止めるという矛盾をどう解決するかについては具体的に示されなった。まぁ、別に気にはならないけど、ちょっと希望的な観測が過ぎる。これじゃぁ、よく小学生が意見文の最後に「~していく必要があると思う。」といった議論放棄のまま筆を置くのと同じ感じだよねw

「自分の中にある幸せを他者と共有し、その輪を広げていくことが本当の平和につながると、私は考えています。」

 一方、マリナの結論は完全に浮付いていたwだって、幸せを他者と共有するような場面は作中にあった?wないでしょ。。刹那たちを中心として戦争を舞台に未来を勝ち取る経過っていうのは描かれていたけれど、平和に対する兆しと呼べるようなものはマリナと子どもたちの歌ぐらいしかなかった。それがラジオに乗って世界に広がっていたことが「輪を広げる」ことであるのかもしれないけれど、それにしても描写が貧弱なように感じられる。そんな経過があったために、このマリナの結論には少し納得できない部分があったことは確かだった。

「互いが理解しあい、手を結べる平和な世界…。言葉にするのは簡単だ。だが、われわれは目指さなければならない。生まれ来る、子どもたちのためにも。」

 これもマリナのセリフと同様に浮付いているように感じた。あの最後の場面において、ここまで具体性の欠けるセリフを挿入する必要性はあまり感じない。もうちょっと気の利いたセリフはなかったんだろうか…。ダブルオーの全体を通して、戦争における様々な被害や実情や問題や引き裂かれる恋愛やら憎しみの連鎖については細やかに描かれる反面、平和に対する働きかけや志向性がそれほど取り上げられていないように思う。本来ならばマリナを中心にして展開されるべきだったんだろうけど、そんなに存在感を示すことはなかった。刹那との対比において片翼を担う位置に配置されていたにも関わらず、ちょっと生かしきれなかったかな。。
 それに、当初は人間対人間の戦争を描くことによって、戦争と平和の均衡をキャラクターの具体的な生い立ちや対立関係から浮かび上がらせることができていた。にも関わらず、最後は人間対イノベーターという構図になってしまったために、リアルな戦争も何もなく単に人類の危機を救うというベタなオチへと道を限定してしまったのも惜しかったように思う。ラスボスとしてリボンズは最適だったし、従来の作品の流れから言って最後は宇宙に進出するために人類が一体となるという道筋を考えるのは自然なのかもしれない。けれど、前半であれだけ人間対人間の構図を上手くやっていただけに、残念な気にはなってしまう。そのためもあってか、結局は戦争と平和に関して浮付いたお題目を繰り返すしかなくなってしまったようにも思う。人間対イノベーターという対立をオチに持ってきておきながら、人間対人間における問題意識に対する答えをラストの結論としたところの違和感が大きい。

■世界の歪み

 従来のガンダムは非常に個人主義的でキャラクター個人の対立ばかりが目立っていた。そこに世界の存在感はほとんどなく、まるで世界は自分を中心に回っているかのようなキャラクターの言動がガンダムらしさのひとつではあったと思う。それに対して、今回は世界の存在が大きい。むしろ、巨大な世界のありようを目の前にして個人がいかに無力であるのかといったことも戦争を通して触れられていたし、そういった世界を変えるために個人がどのような働きかけを行うべきなのかといった視点から物語が組まれていたんじゃないのかなぁ。。そんな中で、何度も繰り返されたのが「歪み」という表現だった。
 基本的には戦争の根源や悪意の大本といったものを「歪み」として言っていたように感じた。それはリボンズを「歪み」としてティエリアが捉えていたこともそうだし、沙慈・クロスロードの無自覚な悪意に「歪み」を感じていた刹那からもそう考えられる。言い換えれば、人間が主体的に決めるべき自由意志を阻害する存在を「歪み」としていたようにも思えるし、そんな意志決定すらも奪い去ってしまう虐殺行為を否定したことにも通じる発想だと思う。だからこそ、人類に代わってイノベーターが未来を想定して選択しようとしていたラストでは、イノベーターを悪として排除する必要があった。この「歪み」を排除する姿勢は、先の未来を自分の意志で掴み取るべきという作品のテーマに共通するものだと思う。

■嘘の入り込む余地

 基本的にダブルオーはその表現性の高さを評価するものだと思う。人間ドラマだったり、他の作品を下敷きにした表現だったり、そういった面では素晴らしい内容を持っている。でも、戦争だの平和だのといった難しいテーマを選んだのは少し無理があったかもしれないw作品全体の結論として浮付いたようなものしか用意できなかったところから考えても無理が見え、迂闊にもグローバリゼーションをそのまま展開してしまったことにもリアリティーを欠く原因がある。現実の社会と地続きな世界観をリアリティーのある具体的なものとして描いておきながら、平和だのといった抽象的な議論を始めてしまいリアルじゃないグローバリゼーションを展開したことは、作品に嘘を含ませる結果をもたらしたと思う。
 特に、世界情勢に関しては想定の域を出ることがなく、あくまで仮定の話にしかならない。だけど、そこで少年兵の話や正当化のための虐殺行為といったリアルを語ろうとしたために、齟齬が生じてしまうことになる。数百人規模での民間人の虐殺を何度も取り上げておきながら、世界平和といった抽象的な論議をしたところで何も報われない。なんていうんだろう、完全に虚構の世界でやってしまえば問題ないだろうに、変に現実と地続きな世界観を選んでいるために嘘のように見えてしまう。本来ならもっともっと複雑な事情が絡まって世界情勢は動くだろうに、それを簡略化して描かざるを得ないところに無理の生じる隙ができるんじゃないのかなぁ。。
 そう考えてみると、『コードギアス 反逆のルルーシュ』は似たようなテーマを持ちながらも、上手いこと作品に嘘を含ませずに成立させたと思う。ギアスの場合はルルーシュ視点で社会の矛盾を炙り出したようなものだったために、具体的かつ身近なものとしてテーマを考えることができていた。決して戦争をリアルに描こうとはしていなかったし、すべてを虚構の上でのことと割り切ってやっていたために、かえって上手くテーマに対する答えを見つけることができていたように思う。ダブルオーは現実に近付きすぎたために現実味を失っている部分があり、少し具合の悪いことになっていた。

■納得できない部分

 最後に、解消されなかった伏線とか、これはないだろうっていう展開などなどについて触れておこうと思うw
 っていうか、全体的に作為が過ぎたwキャラクターを何度殺して、何度生き返らせれば気が済むんだって感じだよね。。アリー・アル・サーシェスなんかは何度も撃破されているにも関わらず、一度も確実な死亡の描写がなかった。そのため、こいつは絶対に生きて戻ってくるっていうのがわかりきってるんだよねwいわゆる生存フラグってやつだ。ちょっと、このフラグを使いすぎていたように思う。それに、ロックオンの弟を2ndで出したときも、またかって感じだった。なんだろうね、死んでそうだなぁと思わせておいて、復活させるパターンが繰り返し使われ過ぎたように思う。
 それに、わざわざ親子関係や恋愛関係にある者を敵対関係に置くっていうのも作為が過ぎたところだった。またかよ!って何度も突っ込みを入れたくなったし、そりゃぁそのほうがドラマチックになるのはわかるんだけど、いくらなんでもベタ過ぎるでしょって感じ。ガンダム対既存のMSの戦いを描いていた段階では個々のガンダムマイスターの内面がよく描かれていて良かったけれど、ガンダム対ガンダムになってからは人間関係においてベタな展開が目立った。アニューがイノベーターであることなんてフラグが何話も前から立っていて、それでもロックオンとの恋愛をやってのけるもんだから、ずっと先読みした上でわかりきった展開に付き合わされた感じだったw盛り上げるためにドラマチックな展開を用意するのはいいんだけど、ちょっとやり過ぎたんじゃないのかなぁ(^_^;)
 そのほか、2ndに入ってからジャーナリズムが消えたことも違和感ありまくりだった。1stでは絹江・クロスロードのように情報に対して懐疑的な人物を用意していたにも関わらず、2ndでは情報統制された愚かな民衆を描くために都合よくジャーナリズムを作品世界から追い出してしまっていた。こりゃぁ、ないでしょw最初のほうでナドレを表に出したことをティエリアが怒っていたのも最後まで理由は触れられなかったし、デュナメスの高高度狙撃銃を表に出したことを時期が早いと責めていたにも関わらず登場はあの一回だけだったwフェルトが最後のほうで刹那に花を渡していたのは何を表現したかったの?新たに刹那に対するフェルトの恋心を描くならば、表現が不足していたし、単に刹那を気遣っての行為だったとしても不完全な描写だったと思う。単に可愛いフェルトを出したかっただけ?wアニューだって、初回から出しておけばよかったものを、不自然にも急にプトレマイオスに搭乗するっていうのが正体露見のフラグ成立の遠因になってしまっていた。最初からアニューを出しておけば、「~ですぅ」とかウザったく語尾を強調しないとキャラが立たないようなミレイナを出す必要もなかったw



 何度か出てきた「来るべき対話」ってなんだろうね…。簡単に考えれば地球外生命体との接触になるんだろうけど、あそこまで論理的かつ現実的に考えるイオリア・シュヘンベルグの未来予測から言って抽象的過ぎる気がする。それに、人類統一の動機付けとして宇宙人を考えるには、あまりにも夢を見すぎてるよねwここらへんは劇場版以降の展開に対する布石なんだろうか。。それとも、人間同士の対話のことを言っているのかなぁ。。なんだか消化不良を抱えつつ、とりあえず個々の物語が面白かったから良かったなぁ。あ、ついつい熱が入って一万字も書いていた…wアニメで論文が通らないかなぁ。。

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2010/05/03(月) 00:01:00|
  2. 機動戦士ガンダム00
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