土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『電脳コイル』#09「あっちのミチコさん」の感想。

「本当のこと言えよ!!」
「言います、言います、本当のこと言います!一刻も早く…。」
「一刻も早く…、なんだ、言え!」
「一刻も早く距離を取らないと、お姉ちゃんに人生を吸い取られそうでぇ…。」
『電脳コイル』#09「あっちのミチコさん」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。




 楽しくなってきたー!前半の山場にあたる回でした。マイコ先生が仲直りをさせようと合宿を組んだわけだけど、その合宿を舞台に様々なキャラクターの思惑が絡んできて賑やかな展開だった。ダイチ一派はイサコの命を受けてフミエたちに果し合いを仕掛けるし、フミエたちも果し合いで負けじとメガビーの素振りをするし、その背後でイサコはミチコさんを手中に収めようと奔走するし、そんなイサコを捕まえようとオバちゃんはサッチーを管理外ドメインの学校内に入れてまで追いかけるし、猫目の影はちらつくし、ダイチパパが登場するし、ウチクネ先生はクネクネしてるし、マイコ先生はウイスキーボンボンで酔っ払うし、とにかく楽しい話だったwこれだけのキャラクターを合宿という場に寄せ集めるっていうのも、なかなか上手い筋書きだなぁと思った。合わせて、4423というキーワードが再び登場し、ミチコさんに関する都市伝説も披露された。次第に本筋へ向けて事が動き出しつつな感じ。

■都市伝説に見る「アッチ」渡りの類型

「こんな噂知ってる?霧の出るところには、ミチコさんが出るんだって。」
「やめてよ、私、苦手なのよ。その手の話…。」

 ようやくミチコさん登場っていう感じ。今までもイリーガルや霧や夢といったものによって、メガネを通して見える世界に広がる奇妙なできごとが取り上げられてきた。ここに来て、その親玉とも言えるようなミチコさんの話が満を持して登場する。まぁ、ほぼ確実にトイレのハナコさんを文字ったであろうミチコさんだけど、実際の交通事故なんかを背景に成立している話なだけに真実味は増しているよね。
 ハナコさんは、どこにつながっているかわからないトイレのドアという境界を道具立てとして、アッチとのつながりを感じさせる話に仕上がっていた。言ってみれば、それはアナログな妖怪であって、トイレのドアは具体的なモノであるけれども、その奥にある見えない空間に怪談を成立させるだけの不思議な要素を読み取るんだろうと思う。ミチコさんの場合はと言えば、ダイチとハラケン二人の話からもわかるように、メガネが重要な役割を果たしていることになる。ダイチの話ではミチコさんはぐちゃぐちゃになってもメガネだけは傷がついていなかったし、ハラケンの話でもメガネがいつの間にかなくなっているというエピソードが盛り込まれていた。どちらも、メガネに原因を求めているところでは共通する。

①ダイチの語る都市伝説「はざま交差点」
「ミチコさんは、どこにでもいる普通の女の子でした。でも、ある日、可愛がっていた電脳ペットが、突然、走り出しました。ミチコさんは見ました。真っ黒い生き物が、道路の向こうで、おいでおいでをしているんです。ミチコさんが止めるのも聞かず、ペットは道路へ飛び出して、車の画像とごちゃごちゃに交じり合って、消えてしまいました。数日後、ペットのことが忘れられないミチコさんは、交差点に行きました。すると、ぐちゃぐちゃになって死んだはずのペットが、道路の向こう側で、おいでおいでをしているじゃありませんか。ミチコさんは自分の足が勝手に踏み出すのを止められませんでした。ミチコさんはぐちゃぐちゃになってしまいました。ところが、かけていたメガネだけは、まったく傷がなかったそうです。その後、交差点でメガネをかけると、その端っこに見えるそうです。おいでおいでをしているミチコさんが…。その場所こそが、都市伝説に聞く、はざま交差点なのです。」

②ハラケンの語る都市伝説「ヒワタのミチコさん」
「ヒワタのミチコさんは、学校の中でアッチへ行ってしまったそうなんだ。ミチコさんはその日、遅刻してしまった。三階に着いたら、しーんとしている。そこでミチコさんは、異変に気付いた。まだ朝なのに、窓の外が夕焼けなんだ。ミチコさんは時計を確認しようと、教室をのぞいた。でも、時計はなかった。それどころか生徒も一人もいなかった。隣のクラスも、その隣のクラスも…。ミチコさんは怖くなって、外に出ようとした。ところが、階段を下りても下りても、一階に着かないんだ。どんなに降りても、高さが変わらない。ミチコさんはメガネの原因に違いないと気付いて、メガネを外そうとした。ところが、メガネはなかった。いつの間にか、電脳の身体だけになっていたんだ。ミチコさんは恐怖のあまり、叫んだ。すると、無人だったはずの教室の中から、生徒たちの声が聞こえてくるじゃないか。ミチコさんは夢から覚めたような気になって、教室をのぞいた。すると、教室の中は、人の形をした真っ黒い生き物がひしめいていて、ミチコさんはそこでようやく気付いたんだ。いつの間にか、自分の身体も、真っ黒い生き物に変わっていたことに…。」

 ヒワタに何の漢字をあてるのか、わからなかった…。聞いただけだとハラケンの話のほうが怖いよねwダイチの話はいかにも怪談として作り上げられた感じがして、ハラケンの言うように「類型的」な骨組みが感じられることから怖さが半減するのかもしれない。ダイチの話は「その後、交差点でメガネをかけると、その端っこに見えるそうです。おいでおいでをしているミチコさんが…。」と結ぶことによって、誰もが体験するものであるとしている点で怪談としての性質を備えようとする意図が見える。けれども、ハラケンの話は単にできごとを叙述するにとどまっているからこそ、作り話とは感じられないリアリティーが生まれるんだろうと思う。
 話を戻して。そもそも、メガネをかけただけで現実には見えないものが見えるっていう不思議な要素が前提とされているだけに、本来的にメガネの性質として怪談を呼び寄せるだけの性質を持っているんだよね。ダイチの話は道路という境界をガジェットに用いて、見えないはずのものがメガネによって見えるという筋書きで語られている。メガネは現実に見えないものを映す道具なわけだから、その可能性を否定することができないんだよね。ハナコさんのドアも、その奥に何があるのか、その可能性を否定できないから怖い。ドアにはアッチとコッチを区切る役割が与えられていて、メガネにはコッチには見えない映像を見せる役割が与えられていた。同じ仕組みがあるように思う。一方、ハラケンの話は階段を上り下りすることでアッチへと「渡る」様が描かれている。階段は古語で「きざはし」と言われるように、こっちと向こうをつなぐ「はし」なんだよね。河という境界を渡って向こうへと結ぶ道も「橋=はし」と呼ばれる。どれも共通する要素があるよね。安倍晴明の式神がいたのも五条大橋のたもとだし、神話においても高天原と地上とをつなぐモノとして天浮橋があるし、最近の例で言えば『千と千尋の神隠し』で湯屋に渡るための「橋」にも同じ機能を読み取ることはできる。今回のハラケンが語っている階段を上り下りすることで発生する怪談っていうのも、同じ類の発想によるものと考えていいと思う。ダイチの話はメガネの見える見えないという作用によってアッチへとつながる方法を示していたけれど、ハラケンの話は階段を上り下りすることでアッチへと迷い込む方法が示されていた。
 あれ?ハラケンの話って、実はメガネは関係ないのかもしれないwダイチの話を踏まえて語られているだけに、すでにメガネに原因があることを前提にしてしまっている…。ミチコさんが「メガネの原因に違いない」っていう意識を持たせることによって、無理にでも階段の話とメガネの話を接続しているようにも感じる。
 ちなみに、階段を通るとアッチに行くという発想について言えば、ネットにおいてある一定の経路を辿らないとアクセスできないという、ルートの固定による導き方とも似ている部分がある。これは、後の話でカンナの日記をもとに何度も道を言ったり来たりする話にも共通する。これは橋の考え方と同様に、安倍晴明たち陰陽師の発想から言う「方違え」と同じだね。あれを逆手に取れば、ある一定の道順で進んでしまうと、百鬼夜行などといった凶事に出くわすというものだった。本来は悪い方角に進まないように、あえて別の道を通って行くもの。道や橋や階段がどこにつながるのかっていうのは、ハナコさんのドアの奥に何があるのかと同じ観念がある。
 結論を言えば、メガネに関わる都市伝説っていうのは、既存のアナログな怪談なんかをデジタルなものに置き換えたものなんだよね。作中で語られている都市伝説だの噂だのは、どれも遡れば共通の観念に支えられた話を見つけることができると思う。そんな確固とした地盤を持った話を背景にしているだけに、ずいぶんと安定した設定として作中で生きている感じ。思えば、『千と千尋の神隠し』においても、アッチへと渡るときはトンネルという境界をくぐっていたし、コッチに戻ろうとしても目の前には大きな河が流れていた。問題なのは、こういった観念が自然発生的なものであるのか、それとも何かしらメディアを通して伝播しているものなのか、どちらなのかということなんだろうか。

■次第に強まる「4423」の存在感

 前回の#08「夏祭り、そして果たし合い」でもヤサコが夢で「4423って何なの?」という問いかけをしており、今回はデンパがメタバグから「4423」というキーワードを聞き出した。本来ならばまったく無関係であるはずのヤサコの夢とデンパの解読したメタバグなのに、同じキーワードが出てくるっていうのは不思議だね。何かの魔法の言葉に思えてくる。合わせて、今回は肝試しの仕掛けに交じって本物のミチコさんがいたわけで、メガネをかけた電脳の世界には何か秘密があるのだろうという感覚が次第に強調されてくる。
 しかも、今回はハラケンが本当にアッチの世界に行ってしまったw目の前に置かれた電話を見て、そぞろに「4423」をダイヤルしてしまうところも、何か因縁を感じる。受話器から聞こえてきたのはカンナの声だし…。先の都市伝説を呼び水として、実際にこういった不思議なできごとを展開してくることから、スムーズに虚構の世界へと移行しているように思う。

■大人目線で描かれる子ども像

「なぁ、アキラ…。おめぇ二重スパイじゃねぇだろうな?」
「ちっ、違いますよ…!!」
「そういや、いっつも行動中はぐれるしなぁ。」
「そっ、それは足が遅いから…。」
「お前、なんで姉貴の側じゃなく、おれっちの側に入ったんだ?」
「そっ、それはもちろん…、みなさんに憧れてです!」
「おい、六年を舐めんなよ、四年!!」
「作り笑いなんか、十年早いんだよ!!」
「本当のこと言えよ!!」
「言います、言います、本当のこと言います!一刻も早く…。」
「一刻も早く…、なんだ、言え!」
「一刻も早く距離を取らないと、お姉ちゃんに人生を吸い取られそうでぇ…。」
「イジメて悪かった。」
「その気持ち、わかるぜ。」
「男同士、助け合おうぜ…。」

 この黒客一派の絡みが好きだなぁwイジメられていたデンパをダイチが助けたっていうのもそうだけど、この仲間うちっていうのはダイチをガキ大将として集まるメンバーなんだよね。懐かしいような、なんとうか…。今ではこういった人間関係は存在するんだろうか?ちょっと、制作側のイメージしている六年生像をあてはめているように感じて、リアルタイムの六年生を描いているようには思えない部分もある。それに、六年生から中学一年にかけては女の子のほうが成長も著しく、比較的に男の子が幼く見える時期でもあるんだよね。どうも、大人目線で子ども像が語られているように見えてしまう。そこらへんは、宮崎駿監督の描く子ども像とは大きく違う点だよね。

■子どもを取り巻く大人たち

「生物部の素振りは、どんなだ?」

 ダイチパパって協力なキャラクターだよねぇwあんな印象的なキャラっていうのも珍しい…。あまりに狙い過ぎたボケではあるけど、笑っちゃうよwマイコ先生も「やだわぁ、そんなに弱くないですってぇ。」とか言いながら、ウイスキーボンボン如きで泥酔してたし。。なんだかボケとかフリを明確に見せているように思う。わかりやすさっていうのがお笑いの基本であるとは、よく言われることでもあるしね。
 それにしても、町内会の奢りでお菓子を振る舞うって、どんだけだよw町内会にそんなお金があるっていうのが信じられないし、たかが数人の子どもの集まりに町内会という組織がお金を出すこと自体が不思議でならない。参加している子どもだって、同じ町内に所属しているわけでもないだろうし。ここらへんも、子ども像と合わせて作為的な感じの漂う部分だよね。



 果たし合いの前に怪談話をして震えあがっていたけど、あのときの恐怖に怯える表情って楳図かずお絵だよね?この作品の中で、ほかの作品のオマージュみたいなことを表立ってするのって珍しい気がする。次回は「カンナの日記」ということで、ヤサコとハラケンの微妙な関係性が描かれる名場面ですな。楽しみだ。

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2010/06/08(火) 14:04:27|
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