土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『デュラララ!!』#24「則天去私」の感想。

「今ならやっと言えそう気がする。助けに行けなかった、ゴメン。だけど、俺はやっぱり沙樹のことが好きだ。だから頼む!別れないでくれ!!」
『デュラララ!!』#24「則天去私」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。



 うわぁ、超楽しいハッピーエンドだぁwって感じ。作中で「予定調和も、お約束も、ご都合主義も、無理矢理のハッピーエンドだって大好き」と帝人に言わせているだけあって、見事にそれを自ら体現したようなオチだった。意図的に事件を作り出して、勝手に盛り上がって、いいようにまとまってしまった。マッチポンプみたいなストーリー展開で、リアリティに欠ける。キャラクターの動機が語られないままシチュエーションだけが先行するというラノベ的な弊害も一部には見られたし、ストーリー展開のためにキャラクターが動かされるだけにキャラクターの「らしさ」が表に出てこないように思う。壮大な「かっこつけ」を見せられたようで、キャラクター同士の有機的な関わりから出てくるはずの生きた人間ドラマが見られなかった。全24話のうち、前半は良かったものの、後半は微妙だったなぁ。。

■誠二と何も変わらなかった正臣の愛情表現

「知ってるよ。正臣、本当は来なかったんでしょ。正臣、ずっと臨也さんに電話かけてたんでしょ?何回も何回も…。臨也さん、笑いながら着信履歴見せてくれた。でも、気にすることないよ。あの後来られても、私としてはたいして変わんないし。」
「やめてくれ。」
「だったら、正臣がケガしなくて、それが一番良かったって…。」
「別れよう!別れよう…。」

「沙樹は、俺のどこを見てカッコイイなんて思ったんだろうなぁ。」
「その、変に素直なところよ。」
「いつからいたんだ?」
「さっき、狩沢さんたちから聞いたよ。全部。バカだねぇ。正臣は本当にバカだよ。」
「わかってるだろ、昔から。」
「あのね、謝らなきゃいけないことがあるの。」
「え?」
「本当は私、わざとあの人たちに捕まったの。それで全部終わるって、臨也さんが言ってたから。だから、私、自分で…、自分であの夜、あのたまり場に…。それで、後は臨也さんが情報を流して…。」
「知ってたよ。臨也のやつに言われたんだろ?俺を引き止めるために、ずっと歩けないフリをしろって。俺を手駒にしたかったんだろうな。」

「今ならやっと言えそう気がする。助けに行けなかった、ゴメン。だけど、俺はやっぱり沙樹のことが好きだ。だから頼む!別れないでくれ!!」

 正臣は沙樹を助けずに逃げ出してしまった過去の自分を悔い、そのケジメをつけるために杏里や帝人を守ろうという動機を導いていた。過去にタイムスリップできるわけでもないから直接のトラウマ解消にはならないけど、今回の件で逃げずに立ち向かうことができれば成長を自負することができる。そうすることによって、正臣はトラウマを解消して沙樹と正面から堂々と向き合うことができるようになる。正臣が初めに夢で見た「別れよう」はケジメをつけていなかった以前の結末であり、今回の法螺田との一件を終えたことによってケジメをつけ、ようやく正直に「別れないでくれ!」と言い出すことができた。過去を清算したことによって、沙樹のことを好きでいる資格のあることを自分で確認したということだろうと思う。それまでの正臣は、過去の自分が沙樹を助けに行かず逃げたことから、本当は沙樹のことが好きだったわけじゃないのだろうかという自問を繰り返していた。今であれば、沙樹のことを守るために身を捨てる覚悟だって持てるし、それだけに沙樹のことを好きでいることも許されると考えたように感じた。これで正臣と沙樹の恋愛は一件落着となり、正臣のケジメの付け方も見ることができ、大団円を迎えたように見える。
 しかしながら、始終すべてが正臣の自己完結によって運ばれていることに違和感を覚える。有体に言ってしまえば、正臣も誠二や美香や波江や新羅といった一方的な偏愛を行った人物と同列に挙げられるように感じた。あたかも二人が幸せな恋愛関係へと発展したかのような終わり方だったから、この作品の中でも珍しくまともな恋愛が描かれたかのように見えてしまう。けれど、その実をよくよく考えてみると、正臣と沙樹の関係には双方向の意志のやり取りが見られないように思う。
 第一、そもそも正臣がなぜ沙樹のことを好きになったのか、沙樹のどのようなところが好きなのか、具体的な描写が一切なかった。正臣が沙樹のことを好きだと言っていることはそれとして、正臣にとって相手が沙樹でなければならない必要性を感じない。むしろ、正臣にとって沙樹が特別な存在として認められるのは、一義に過去の逃げ出した経緯があるからに他ならない。それを縁として結ばれているだけで、他に彼らをつなぐような要素は作中で描かれなかった。これでは、正臣が沙樹をどうして好きでいるのか、そもそもの根源がわからない。自分のトラウマだったからこそ沙樹を好きでいるわけで、そこには沙樹オリジナルの要素はまったく関係ないことになる。描かれない部分で細やかな設定があるにしても、現に、沙樹の主体的な気持ちは作中でほとんど触れられなかった。
 正臣は沙樹を「好きでいること」に対して覚悟を持てるのかこだわっていたわけで、「沙樹」である必要があるかどうかについてはこだわりを見せていない。正臣のつけたケジメも自分の気持ちに嘘をついていないかどうかを証明するためのものであって、沙樹の気持ちに関係なく、自分の意志として「付き合いたい」のか「別れたい」のかをはっきりさせるためのものだったように感じる。沙樹のセリフなど関係なく、夢では「別れよう」と言い、現実では「別れないでくれ!」と言った。沙樹の足が不自由であるかどうかといった問題も関係なかった。すでに正臣の中で自己完結していた意志であって、そこに沙樹の意志の介在は感じられない。
 同様に、沙樹の意志に関しても多く描かれなかった。なぜ臨也の言いなりになっていたのか説明はなかったし、なぜ臨也を見限ろうと思ったのかという重要な動機さえ語られない。そりゃぁ、沙樹が本心から正臣のことを好きだったから見限ったんだということなんだろうけど、では、なぜこの物語的にナイスなタイミングで見限ったのか、その気持ちの変化の理由は描かれていないように思う。
 幸せそうに電車に揺られる二人の姿が描かれていたけれど、あの姿は誠二と美香の関係と同様に、お互いにお互いの気持ちを意に介さない、ただただお互いに一方的な好意を寄せ合うだけの姿に見えて仕方なかった。誠二が人を愛することの覚悟ばかりを語っていたことが思い浮かぶ。っていうか、これって、いわゆる「二度ネタ」じゃんw前半の誠二を通してこういった恋愛状況があるのは描いたんだから、わざわざ後半で繰り返さなくっていいよ…。

■何の解決ももたらされなかった事件の顛末

「帝人と杏里はこっち側の人間じゃないだろ?だから、死体なんざ見る必要はねぇ。そう思っただけさ。」

 正臣は自分だけが非日常にいると思ってるの?まだ帝人がダラーズの創始者であって、杏里が罪歌であることを信じていないっていうことなんだろうか。もしくは、帝人と杏里に非日常に来て欲しくないという慮りがあってのことなんだろうか。正臣の言う「殺す覚悟」が早くも崩れた瞬間だったw
 それにしても、正臣は法螺田を沙樹の敵であると決め付けていた。そりゃぁ、自分のトラウマを払拭してケジメをつけるには「敵役」を作ることが手っ取り早い。沙樹の足が折られた現場にいた法螺田が相手となれば、これは渡りに舟といった感じなんだろうか。とは言え、法螺田が沙樹の足の骨を折ったという確証もないまま彼を敵であると決め付ける思考には、今回の誤解が誤解を呼んで徒に事件を大きく発展させてしまった原因への反省が見られない。法螺田を敵と決め付けた行為にはケジメを付けようと逸る正臣の心情の反映があるように感じるけど、不確実な情報に踊らされる点では相変わらずな感じがする。確かに#18「死生有命」では沙樹を監禁しているバンの後部座席に法螺田の頭が映っているけど、正臣はそんな事実を知る術を持たない。

「園原さんや正臣のこと、セルティさんから聞いたんだ。ごめん…。僕、僕、なんにも知らなくて…。」
「竜ヶ峰くん、私…。」
「言わなくていいよ。なんとなく、事情はわかったから。だから、無理に言わないで。僕が何に苦しんで、何に悩んでたのか話してれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに。」
「俺こそ、なんかお前が遠くなっちまいそうで、だから、怖くて。」
「正臣…。」
「私が悪かったんです。竜ヶ峰くんにも紀田くんにも、自分のこと話せなくて…。」
「園原さん…。」
「ごめんなさい。私、二人のことをとても大切に思ってたのに、ずっと近くにいたのに…。」
「お前ら、えらくお似合いだぜ。」
「正臣…。」
「なぁ、病院に運ぶなら、ひとつだけ頼まれちゃくれねぇかな。」
「何?」
「運ぶのは来良総合病院にしてくれ。待ってる女がいるんだ。頼むよ…。」

 説明お疲れ様ですっていう感じwしかも、また「なんとなく」で事を理解したつもりになっている。帝人も懲りないねぇwいい加減、「かも」とか「もし」とか「つもり」とか「なんとなく」で物事を考えることの具合の悪さに気付けっていう感じだねwまぁ、そんな情報のソースを確認することのない現代の若者が描かれたと見れば、そうなんだけど…。今回の事件の一番の原因である部分が解決していないだけに、ちょっと不満の残るオチとなった。
 ここでも三人が三人とも自己完結してしまい、相手が本当はどのような考えを持っているのか確認しないまま会話が進んでしまう。相手の気持ちを聞くに及んで、それを受けて自分がどのように考えるのかといった過程がまったくない。相手の気持ちを受けて、自分の気持ちが揺らぐといった場面もなかった。勝手に相手の気持ちを推し量って、それが相手の本当の気持ちであると錯覚し、あるいは相手の気持ちとは関係のないところで考えを決めてしまい、自己満足のうちに相互理解が図られたように行動している。今回の事件がここまで大きく発展してしまったのは、何より三人が対話をしなかったことにある。それなのに、いざ三人が会って事件の落とし前をどうつけるのか見ている中で、三人は直接会っても対話をすることがなかった。勝手に自分の思いを述べ、勝手に相手の気持ちをわかったつもりになり、勝手に自分たちは仲がいいということを確認して終わってしまっている。ハッピーエンドに向けたご都合の力学が働いているとは言え、どうにも納得のできない解決となったように感じた。

「蜜月が濃ければ濃いぃほど、それが崩れたときの絶望は高く高く燃え上がるもんだよ。」
#18「死生有命」より

 そういえば、こんな臨也のセリフもあった。結局、蜜月の関係は崩れず、絶望の火も燃え上がらなかった。彼ら三人が臨也の思惑に反して、精神的な強さと行動力を示した結果と言えるのかもしれない。しかし、そもそもお互いに超然とした人間関係を作っている以上、もとより蜜月とは言え他者に依存せず妄想して構築された関係にあった。本来的な性質から言って、崩れようがないwただ三人がそれぞれに勝手に疑心暗鬼に陥っただけで、そこに他の二人の実像は映っていなかった。絶望したところで、それは自分の中に抱いている相手の虚像に絶望しただけで、現実の人間関係とは離れた場所でのできごととなる。この臨也の立てた疑心暗鬼フラグも、不完全燃焼ぎみだった。

■物語に翻弄された臨也

「それで、俺通じて、法螺田に静雄の情報流したんですねぇ。」

 まぁ、法螺田の背後に臨也の影があったことは前回からも推察してはいたけれど、比賀を介して情報を流していたことが確認できた。拳銃の回収を命じていたというよりも、むしろ拳銃を法螺田に持たせていたっていう感じだよねwしかも、比賀が罪歌の子であることを理解した上で、しかも罪歌が意識的なテレパス能力を有したり上下関係による情報共有を可能としている性質まで知っていたとは…。どこから情報をつかんだのかわからないw

「どうして、どうしてこんなことをしたんですか?」
「俺は別に何もしてないよ?そうだねぇ、敢えて、その行為に理由を付けるとするなら、好きだからかな、人間が。だから俺は、人間のいろいろな面が見たかったのかもしれないねぇ。さて、問題です。今の答えは本当でしょうか?嘘でしょうか?」
「あなたを支配すればわかりますから。」
「ところで、君はどうなんだい?本当に平穏で幸せな毎日を手に入れたいなら、その刀ですべての知り合いを切ってしまえばいいじゃないか。」
「そんなのは、そんなのは違います!」
「おやおや、それなら、帝人くんと正臣くん、どちらからも好意を寄せられながら、いまだ答えをはっきりさせない君の態度は、果たして正解と言えるかい?君は自分が人を愛せないと思い込んで、それを理由に今の立場に満足してるだけじゃないか?罪歌が君の代わりに人を愛してくれる?バカバカしい。」

 待ちに待ってたお仕置きの時間だぁwと、思ったら、驚異の身体能力でお仕置きどころじゃなかった…。杏里に「話を逸らさないでください」とか「質問しているのは私です」くらいの鋭い突っ込み能力があれば、あるいは臨也から本当の理由を引き出せたかもしれない。臨也の話術にはまって、動揺してしまったことが敗因と言える。
 結局は、なぜ臨也が今回の事件を画策したのか動機と目的がわからなかった。杏里を前にしたセリフでは人間に対する好奇心を理由に挙げていたけれど、自分の思う通りに動く手駒を見てどこまで臨也が楽しめたのかは疑問に思う。臨也はサイモンと静ちゃんに限って「予想を覆す人間」と語っている以上、他の人物に関しては思うままに動かせることができたという認識を持っていることになる。

「正直、驚いてるよ。ネット上で相当の人数がダラーズを名乗っているということはわかっていた。だが、今日、突然集会をやるなんて言って、わざわざ集まるのがこんなにいるとはねぇ。あはぁ、人間とは本当に想像以上だねぇ。」
#12「有無相生」より

 臨也には自分の想定外の行動をする人間に興味を持つ嗜好があった。同様に、#02「一虚一実」では「君の生態は予定通りで退屈だったよ。」とマゼンダさんの想定通りの行動をつまらないものと断じている。ここらへんから読み取れる臨也の人物像から考えると、臨也は自分の思い通りに動く人間には興味を持たないように感じる。すると、杏里に語った理由は嘘だっていうことになる。確かに、思い通りに行動したところで、杏里がどのように感じて悩むのかは臨也にはわからない。そういった内面的な動揺を観察することに興味を持っていたのかもしれないけれど、なんだか釈然としない。彼が情報操作をしている以上は「何もしてない」わけはなく、「人間のいろいろな面が見たかった」という点にも疑問が残る。蜜月の関係が崩れたときの絶望の炎もちょろちょろくらいだったし、思い通りに動いてしまった人間には興味を持てないだろうし、むしろヴァルハラ神話を目指して戦争状態を作ることを目的としていただけに、人間がそれぞれ臨也の思惑に反した行動をしてしまったら臨也が困ってしまう。

「まったく、俺の予想通り動いてくれる人もいれば、サイモンや静ちゃんみたいに予想を覆す人間もいる。だからこそ、俺は人を愛して愛して愛して已まない。あぁ、そうさ!だからきっとこんなクソったれな仕事を続けていられるんだろうねぇ。反吐が出るくらいに、楽しいよ。」

 むしろ、サイモンや静ちゃんに対する興味や愛は読み取ることができる。中でも、臨也って静ちゃんのこと大好きだよねwこんなに意識してしまっているっていうのは、嫌よ嫌よも好きのうちってやつだ。ただし、サイモンが語っていた臨也の抱いている静ちゃんへのコンプレックスのことはわからずじまい。具体的な描写はなかった。
 やっぱり、腑に落ちない。予想を覆す人間がいるから人間を愛していると言うけれど、今回の一件で予想を覆したのはサイモンと静ちゃんだけだったっていうことじゃん。むしろ、思い通りに動かせることに飽きて、つまらないとか言って情報操作を投げ出しそうな感じもする。なんだか臨也のキャラクターに一貫性を感じないし、後半では物語を上手いこと進めるための道具立てとして上手いこと利用されたようにも思えてならない。結局、トランプのジョーカーがなんだったのか不明なままだし、静ちゃんへのコンプレックスの意味がわからないままだし、ヴァルハラ神話の件はどこかに話が飛んでいってしまったし、戦争状態の中での首の覚醒っていうのも不発どころかなかったことになっているし、沙樹に足の不自由さを演じさせていた理由も正臣を手駒にするためっていうのは手がかかりすぎて不自然だし、とどのつまり、臨也が事件の裏で情報操作を行っていたことの動機を考えるヒントはすべて否定されてしまったように思う。人間への興味でもない、首でもない、ネブラのセルティ観察のためでもなさそうだし、事件そのものが意味を持たなくなってしまっているように感じる。なんのための事件だったかと言えば、ただハッピーエンドを演出するためだけだったとさえ感じられるw

「僕も人間を深く愛しているんだぁ。刀如きに人間を渡してたまるかぁ。人間は俺のモンなんだからさ。」

 これって、人間が自分のものになっていないって、僻んでいるように聞こえるw自分は人間に対して興味を持って接しているにも関わらず、相手の人間は愛情を返してくれない。そんなことに寂しさを感じて、八つ当たりしているようにも見える。たびたび臨也の見せる暗さは折りに触れて描写されてきたように思うけど、残念なのは最後まで臨也の抱える闇の部分に迫ることがなかったことだろうか。サイモンの言う臨也のコンプレックスってなんだったんだろう。

■自己満足の人々、自己完結の人々

 結局、この作品で描かれている人物っていうのは自己完結してしまっているのが多かったように思う。帝人も「なんとなく」で相手の気持ちをわかった「つもり」になっているし、杏里も最後まで額縁を飛び越えて自分から友達に手を差し伸べるほどの積極的な行動は見せなかったし、正臣も沙樹を好きでいる覚悟を持つためのケジメをつけただけだったし、誠二や美香や波江は互いに自分の一方的な愛を押し付けるだけで相手の気持ちなど介さないし、新羅だってセルティの首を遠ざけて自分の思い通りのセルティでいることを強要するし、セルティはセルティで新羅によって保証された新しいアイデンティティに安住してしまうし、狩沢は自分にとって不都合な出来事はすべてゴミ箱に捨ててしまうし、臨也は他人と仲良くしたいんだけど結局はできずに事務所に引きこもっている感じだし…。人と人とが互いに気持ちをぶつけあって、それで何か変化が起こるようなことはなかったように思う。それぞれが勝手に自分の気持ちを整理して、勝手に相手の気持ちを察して、勝手に変化していた。独善的というか超然的というか、どうにも改めて見直してみると不気味に思える。

■ハッピーエンドにまっしぐら

「今だ!裏切れ!!」

 いやいや、都合いいなぁwっていうか、これじゃぁ何の修羅場もなく、あっけなく事態収拾じゃんwwこれから絶望の火が燃え上がるのか、互いの本音暴露大会が始まるのか、そんな修羅場を予兆する展開がバッサリだわ~wまぁまぁ、上手いことオチをやっつけたねって感じ。ちょっくら仲間を集めただけで三十人とは…、恐れ入りました。
 他にもご都合のオンパレードは続いた。沙樹が臨也を見限った動機が不明瞭だし、そもそも言いなりになっていた背景もわからないままだし、臨也がわざわざ沙樹に事態のすべてを知らせていたことも理由がわからないし、法螺田があれだけダメなのにリーダーでいられることも不自然だし、臨也が今回の事件を操作した動機も不明なまま、デュラハン絡みの話もすっ飛んで、とにかくハッピーエンドに向けてまっしぐらだった。残ったのは「なんとなく」ハッピーに終わったんだなっていう気分と、中途半端に終わったかのようなモヤモヤ感だけだった。

■動機を持たない模倣者集団としてのダラーズ

「あの人たちって、もしかして…。」
「あぁ、あいつらみんなダラーズだ。色がねぇから出来ることがある。消えるって言われてもなぁ、はじめっからそういうもんなのに、今さら消えようがねぇってことだよな。」

 その通り。ん?ダラーズが消えるとか消えないとか、帝人がダラーズの創始者だということはドタチンも知らないよね?これって誰に向けたセリフだったんだろう。帝人に向けたにしては、何も知らないはずの帝人に言っても意味不明でしょ。このセリフ自体が説明的だし、無理矢理にでも挿入した感がある。
 それにしても、ダラーズの性質はリーダーが存在せず、組織的なつながりも薄く、ネット上での掲示板を持つだけの実体のないグループということだった。それを、黄巾賊との抗争によって、あたかもリーダーがいるかのような雰囲気になってしまい、組織的に黄巾賊と事を構えるような状態になり、なんとか事態を収拾するために帝人が解散を宣言したところだった。もとより、実体がない中で解散などできなかったことはわかっていたことだし、ドタチンのセリフは当たり前のことを言ったに過ぎない。ここでも、マッチポンプの如く、勝手にダラーズを黄巾賊のような実体のある集団として扱うミスリードを用意し、オチの部分で実体はなかったという原点に立ち返るという、なんだか自作自演のような感じのストーリー展開だった。

「ひとつわかったことがある。ダラーズは街だ。いろいろな人がやってきては去って行く。ひとつの色に染まらず、いつも何かが起こっている。誰かと誰かが憎しみあい、愛し合い、友情を育て、すれ違っている。人がいる限り街が存在し続けるように、ダラーズもまた、存在し続けるんだ。誰かの意志とは無関係に。」

 それって、ただの池袋をキーワードにグルーピングされたネット上のコミュニティってことじゃん。帝人の言う、ダラーズを介しての憎しみとか愛情とか友情っていうことに関して、具体的なエピソードがなかっただけに何を言っているのか浮付いているように思う。誰がダラーズの掲示板を通して友情を育てていたの?このまとめっていうのも、今までの流れとは関係がないように感じられる。
 ダラーズの特徴のひとつには、さしたる個人的な動機もない中で活動に参加しようとすることがあったように思う。ラクガキを消す活動にしても、杏里を助けることにしても、今回の黄巾賊撃退にしても、どれも個人的に事態と因果関係を持っているようには思えない。それぞれ奉仕の精神でやっているのかわからないけれど、掲示板を介してグループメンバーが“つながり”を保とうと行動しているように見える。
 その点、奇しくも『攻殻機動隊S.A.C.』で描かれたスタンド・アローン・コンプレックス現象に似ている。中でも、杏里を助けるためにメンバーが奔走した場面は、まるで模倣者としての笑い男が現れたように見えた。黄巾賊への反発の気持ちだって実体を持たないダラーズにとっては暖簾に腕押しをするようなもののはずだし、杏里を助けたことを掲示板に乗せて自慢する行為に至っては、純粋に助けるという行為とは別の話になってしまっている。ラクガキを消したり他人を助けたり、そこには“何”をするのかといったことは意味を持たず、何かを“した”ことに意味を見出しているように感じる。ドタチンの声掛けで集まった三十人についても、黄巾賊に対する直接の因縁があったわけでもないだろうに、黄巾賊をやっつける正義の味方を演じているというのは滑稽でもあった。しばしば、ダラーズのメンバーであるということは、笑い男であるのと同義のようにも思える場面があったように感じた。そこにメンバー個人の動機やオリジナルな人格は存在せず、ただ模倣することによって他者とのつながりを保とうとする姿が見て取れた。せいぜい、動機ある者として行動していたのはドタチンくらいだったんじゃないのかなぁ。。

■エピローグ

「失われた日常は、もう僕らには戻ってこないのだろうか。」

「帰るべき場所、失った日常、それは確かに、ネットの中にも存在していた。」

「今思っても不思議だけど、でも、なんだかそれは、僕の人生が変わってしまうようなことで、実は何ひとつ変わっていないような、とてもとても奇妙で、けれど、どこにでもある経験をした。この池袋の街で。」

 なんだか意味のわからんまとめ方をするなぁ。。初回に出したセリフを使うことによって、作品としての秩序を保とうとしているんだろうと思う。けれど、正直に言えば、あんな経験はどこでもできるようなものじゃないよw帝人のキャラクターが何も成長していないっていうのは確かだと思うけど…。無理矢理にでも最終話らしく取り繕ったように見えるのも、セリフばかりが浮付いて、そのセリフを裏付けるだけの具体的な内容を持たなかったことに由来するんだろうか。
 帝人は「日常=三人での学校生活」と考えているらしい。だったら、「正臣はもう戻ってこないのだろうか。」と具体的に言えばいいところを、わざわざ「失われた日常」とか言う無意味に難しい言葉を使っているところがいけ好かない。しかも、「ネットの中にも存在していた」っていうのも、ただ正臣がチャットに参加したっていうだけじゃん。かっこつけしぃだなぁ。。



 作品の前半と後半で、その質に大きな断絶を感じる。何があったの?予定調和で、お約束で、ご都合主義で、無理矢理なハッピーエンドが嫌いな身としては、残念で仕方のない展開だった。いくら円満なラストを描いたところで、中身の空虚さばかりが目立ってしまう。後半はキャラクターの行動に関する動機や目的といった前後の文脈を省略して、ひたすらトリッキーでかっこいいシチュエーションばかりを楽しむという、ライトなノベルやアニメ特有の悪弊が表に出てしまったように感じた。その影で犠牲になったのは、前半のストーリーで組み上げてきたキャラクター特有の「らしさ」だったように思う。モヤッとしたw

テーマ:デュラララ!! - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2010/06/25(金) 18:09:22|
  2. デュラララ!!
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