土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『機動戦士ガンダム00 劇場版 -A wakening of the Trailblazer-』の感想。

「最終決戦(来るべき対話)の始まり。それは、人類の目覚め―。」
劇場版キャッチコピーより

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。




 つい出来心で見てしまった…。メカニックアクションを見たいという人にとっては充実した映像面があって面白いかもしれないけれど、シナリオや設定といった内容面に期待した場合には、ちょっと…。ガンダムでドンパチやる場面は派手に緻密に描かれてシビれるし、機体のモニター画面とか機体操作のためのスイッチ類とかはリアリティがあってワクワクさせてくれるし、暗礁宙域のデブリは3Dで妙に立体感のある出来だったし、かっこよかった。よかったけどさ、そういった場面だけで少なく見積もっても本編の半分以上を占めるってどういうことさ…w実際に時間を測ったわけじゃないから正確なことは言えないけれど、ほとんどドンパチだけやってた印象がある。。セリフがほとんど「うぉ~」とか「わぁ~」とか単発的な叫び声なんだもん…。それでいて、最後の最後で妙にかっこつけて「わかり合う」とか「こんなに簡単なことだったんだ」とか主題を持ち込まれても、眉唾にしか感じられない…。セリフを裏打ちするだけの具体的な物語がなかったために、お題目を唱えているだけにしか聞こえなかった。不要なミスリードあり、予告で言っていることと作品でやっていることに矛盾あり、ドラマ性なし、セリフの説得力なし、ベタながらドラマ性を獲得していたテレビシリーズでの利点を捨て、シナリオ面に関しては絶望的な感じ。っていうか、ガンダムやってるのに、外宇宙からの侵略をテーマに扱うってどういうことなのさwガンダムのお家芸ってのは人対人の衝突だったのに、いつから人類対異星人っていう構図を考えるようになったんだか。。これじゃぁ、ガンダムである必要がなくなってしまうように思う。しかも、そこで持ち出したアイデアっていうのが使い古されたSF設定で、すでに先行の作品で使用済みなものばかりっていうところが笑えるw人と人との相互理解についてだってテレビシリーズでは「これからの話」になっていたのに、それをすっ飛ばして急に人類対異星人ってなんだよw作画の労力に比して、作品の内容面があまりにも杜撰過ぎるように感じた。申し訳ないけれども、この新作は意義なしと判じるほかない。とは言え、文句ばかり言っていても仕方がないので、いくつか深めに新しい見解を見出してみようと思う。あ、別にこれだけ取り上げれば、意義はあったかな?w

■ヴェーダという発明

 やっぱり、ヴェーダっていう設定は優秀だと思った。世界に散らばったイノベイドたちを介して情報を集め、それを元にして統合的なネットワークを構築しているっていう点が最大のポイントだと思う。作中では情報統制に有用なシステムとして扱われたり、ソレスタル・ビーイングは極秘情報を得るための媒体として用いたり、単なる情報端末くらいにしか取り上げなかったことは惜しかった。考えてみれば、このヴェーダっていう情報の海は新たな人間の進化形態として見ることも可能なように思う。
 今回の敵役である変異性金属体ELSに個の区別はなく、ELSの一部が触れた情報をすぐさま全体で共有する性質があった。言ってみれば、あの惑星型ELSのコアはヴェーダと同じものであり、自らの一部に個の区別はなく、すぐさま個々の情報を統合することができ、そこで判断した事柄を個々に還元・共有して、全体として意志の決定を行うことができていた。まるでELSが未知の侵略者であるかのように描かれていたけれど、あれって、そっくりそのままヴェーダなんだよね…。あのELSを進化や特化といった過程を経たものと考えるならば、ヴェーダも人間の進化形態の一様として考えることも可能であるように思う。
 こういった面では『攻殻機動隊』のような作品と関連が出てくるような感じかな。あちらの作品では義体が出てくるように身体と精神とは切り離して考えるような視点を持っているし、ネット社会に人格ごとアップロードするような発想を持つキャラクターも登場していた。ただし、かえって精神は身体によって規定されるとか、個々の好奇心にこそ可能性を求めるいった揺り戻し的な見解も持っている点が素晴らしいところなんだけど。とにかく、人間が情報の海と接して、どのように生き方や在り方を変えるのかといった視点があった。そういった意味では、このヴェーダっていうシステムも人間の新しい形態を考える上でのサンプルとなり得るように思う。
 ここからは私見も交えて具体的な話に戻して考えたい。ヴェーダの大事な点は、個の区別を喪失しており、あくまで個体は全体と密接にリンクしている一部に過ぎないというところなんだろうか。現在の人間は個性と呼ばれる個々の特別な精神性が認められているように、あるいは、身体的な特徴が個々に独特であるように、その区別は明確にあるものとして認識されてきた。しかし、ネット社会の拡大にともなって身体的な特徴は画面越しには無効となる場合が多く、個性と呼ばれるほどの特徴的な人格を情報の海に提示できるほどの能力を持ち合わせることは稀になっているようにも感じる。さらに、ネット上におけるコミュニティの形成や自らの意志をデータとしてネット社会に放流する行為は、物理的な地縁性や身体性から脱却した形而上でのローカルを構成し、そこではデジタルな縁集団として意志を提示するかのように振る舞うようになる。これこそ、集団的無意識による総意の醸成であって、それを行使することが正統性を得て実現するならば、人間行動の新たな段階と考えることもできるように思う。こういった集団的無意識に関する側面っていうのは、アニメでは『攻殻機動隊』でも大きく取り上げられていたし、『ガサラキ』や『とある科学の超電磁砲』でも見ることができた。この集団的無意識による意志の醸成って、まぁ、ヴェーダ的なるものの原型とも捉えることができるんじゃないのかなぁ。。統合体としての人格面がどうなるのかといった問題は不明なんだけど、ずいぶん似ているように思う。
 実は、このヴェーダこそが「誤解なくわかり合う」ための要だったんじゃないだろうか。こんな抽象的な捉え方っていうのはガンダムの柄じゃないんだろうけど、せっかくの設定なんだから生かしても良かったような…。ヴェーダそのものはイノベイドっていうニュータイプ的なものの集合だっていう点は扱いにくいけれど、あれを人類に還元して考えることができれば、あるいは違った方向性も見えたかもしれない。

■無個性との邂逅

 ただし、そういった集団的無意識の形成にはある程度の無個性を許容する必要が出てくる。生身の身体を持っているにも関わらず、ネット社会においては相対的な意味において無個性であるという矛盾に耐えられるかどうか不明な点があるけど…。刹那が劇中で最後に言っているような「わかり合う」っていうことも、実は自らの主張や個性を捨て去って、相手のことを許容する、あるいは相手と同化する必要性を内包している。ちょっと穿った見方をすれば、どこかのカルト宗教なんかでありそうな発想だよねwまずは自分を捨て去って、相手を理解することから始めるのです!みたいなwwだからこの作品って眉唾なんだよねぇ…。
 要は、刹那は「個の保存」をある程度において否定した形になる。結局、刹那自身は最後の場面で変異性金属体と融合した姿を見せているからには、自らの身体のオリジナリティーを捨てて、相手との融合を果たしたことになる。あれは刹那ではなく、むしろ刹那ダッシュとか刹那ver.2とかって言う感じかな。刹那に由来する要素はあっても、旧来の刹那そのものではなくなっていた。つまり、刹那は自らの個を捨てて、相手との融和を図ったことになる。それほど、無個性やオリジナリティーの喪失に寛容になれるのか、わからないけれども。
 しかしながら、ヴェーダのような統合的集団無意識を醸成するためには、ある程度ながら無個性を許容することも必要なのかもしれない。これからのネット社会の発展を見据えたうえで、今回のヴェーダが想定されるひとつの展開例として捉えることもできるように思う。

■主題としての「わかり合う」の意味

 彼らの言う「わかり合う」っていうのは、簡単に言ってしまえば「相手との違いに鈍感になれ」ってことに言い換えられるのかなぁ。。単なるセリフだけを物語的な裏付けもなく語っているだけに、まったく解釈に自信を持てないんだけど…。自らのオリジナリティーを無条件で捨て去れるほど、現実はお人好しだったり勇者だったりしないような。。そういった意味で、シナリオ面においてまったくリアリティーがなかった。せめて、そんな綺麗事は通用しないよって反対する敵役がいれば、まだ良かった。
 従来のアニメ作品においては、全員が同じ思想を持てば仲良くなれるっていう発想は悪役として描かれ、かえって社会のルールに反してでも個性を獲得する姿を是としてきた経緯がある。たとえば、『ノエイン~もうひとりの君へ~』では全員が統合されれば丸く収まるみたいな発想を持ったキャラクターが敵として描かれるし、『GUN×SWORD』では敵である鍵爪の男がカルト的な発想として全員が同じ思想を共有すれば世界は平和になるという考え方を提唱していたし、『スクライド』や『コードギアス 反逆のルルーシュ』では社会のルールのもとに犠牲になる個々を描きながら個性の自立を示した。今回のガンダムは明らかに流れに反しているような…。ガンダムファーストでは反戦とも言える内容として国家主義とか集団主義に対するアンチテーゼが示されるし、集団の規律から外れて独断による行動を取るアムロっていうのは、個性の独立を象徴するような存在でもあった。ここにきて、みんな「わかり合おう」と提唱するっていうのは、なかなか挑戦的だよねwアムロがこの話を聞いたら、「わかり合おう!?あんただって、俺の考えを理解しようとしていないじゃないか!これだから大人ってやつは…。」みたいなセリフを言いそうだwこういった見方の変化が出てくるっていうのも、時代の流れなんだろうか。。
 でも、みんなが「わかり合おう」とすれば、すべて解決するっていうのは危ないよなぁ。。それって、発想を裏返しにすれば、他者の存在を認めないってことになるじゃん。みんなわかりあったら、自己を規定するはずの観察者としての他者すら存在しなくなってしまう。そんな大同的な発想は、やっぱり危険としか思えないんだけどなぁ。。それとも、ある程度の個性を互いに尊重しつつ、相手を許容しようっていう意味合いだったんだろうか。もはや、そこらへんの具体的な話をできるほど、作品の中身がなかったから何とも言えない。まったく、口だけにも程があるw

■途中経過をすっ飛ばした物語展開

「人類が争いの火種を抱えたまま、外宇宙へ進出することを防ぐため。」

 イオリアの計画の根本はここにあったし、その火種を解消する過程はテレビシリーズでも触れられていた。最終的には戦争の終結を迎えることになったし、統合政府の樹立も描かれた。ただし、人類が互いに「わかり合える」状況になるまでには道のりはまだ長いようだった。

「世界がひとつになるには、まだまだやらなければならないことがある。なのに、私たちが乗り越えなければならない試練は、どれほどあるというのか…。」

 そんな統合政府の偉い人が言っていたセリフ。仰る通り、世界がひとつになるのは、まだまだ先のことだと言っている。にも関わらず、異種との接触を描くとは何事か!wまったく、大事な途中経過をすっ飛ばして、一気に外宇宙との交渉に話を進めるっていうのは、完全にシナリオが脱落してしまっている。実際に、ティエリアが「予想されていたことだけれども、こんなに早いとは…。」みたいなセリフを言っていたしね…。自虐的なセリフにしか聞こえなかった。それこそ、人類がひとつになれるかどうかってう途中経過こそが、ガンダムの本領を発揮できるはずの人対人のドラマが描かれるはずだろうに、その過程を抜かしてしまうとは愚かしいとしか考えられない。予告でも「人はいつわかり合えるのか」っていうメッセージを打ち出しているにも関わらず、人対人のドラマを取り上げることなく、人類を代表した戦いを描いてしまっていることの矛盾は甚だしい。つじつまが合ってない。
 ほとんどが戦闘シーンだったためにドラマ的な展開があったわけでもなく、最後に取ってつけたように「わかり合う」とか「こんな簡単なことなのに…。」とか「互いが理解しあい、手を結べる平和な世界。」といったセリフばかり繰り返し主張された。当然、具体的にセリフを裏付けるだけの物語がないから、セリフの意味を理解するなんて不可能に近い。というか、伝えようとする行為を放棄しているように見える。テレビシリーズでは具体的なエピソードがあったからこそ、最終回であれだけ露骨な長いセリフも受け入れられたけれど、今回は無理だよ。マリナの主張している内容もテレビシリーズと何ら変わらないことだったし、同じことを繰り返しているだけにも見える。まったく、どうなってるんだか…。
 さらには、リボンズの扱いも腑に落ちないところだった。予告では、まさかリボンズが生きているとは!みたいな期待をさせておきながら、何も物語的に機能しなかった。これは完全にミスリードだと思う。客引きのためにリボンズを出すくらいなら、最初から出さないほうが潔い。作品としてリボンズに意味合いを持たせられないのであれば、そんなのパンダだよw

■ガンダムのオリジナリティー

 あぁ、あの変異性金属体の形状っていうのは宇宙怪獣にしか見えないwそれこそ『トップをねらえ!』とか『ヴァンドレッド』とか多くの宇宙モノで採用されてきた円錐形の宇宙怪獣が脳裏に浮かんだ。もはや時代遅れのSF設定かと思っていたけれど、今も生きているとは驚きだよ。単なる過去への郷愁がてら用いた設定なのか、何かしら意図あってのことなのか…。
 他にも、彼ら変異性金属対が木星から襲ってくるなんて発想は『機動戦艦ナデシコ』の木星蜥蜴かよ!っていうツッコミを入れたくなったし、人類が一丸となって地球の危機に立ち向かう姿なんてのは『宇宙のステルヴィア』で少年少女の成長とともに描かれていた。あちこちの設定が、如何にもな旧来の古き良きSFって雰囲気なんだよねぇ。。おそらく、気付かなかった部分で、もっと多くのモチーフがあったと思う。
 量子テレポートとか脳量子波とかっていう新しめのSF設定を用いていながら、なぜこんな古臭い設定を持ち込んだのか、その点も不思議なところだと思った。それに、そういったSFをやるのであれば、ガンダムである必要がなくなってしまう。よっぽど、他の作品で様々に試行されてきているんだから、わざわざガンダムでやる必然性はまったくない。人対人のガンダムらしい特徴を捨ててまで、こんなことをする意味はあるんだろうか。そりゃぁ、ガンダムの因習から逃れるため、新しい風を巻き起こすため、ガンダム作品の中でのオリジナリティーを獲得するために、そういった方法を考えることもあるのかもしれない。けれども、どう見ても失策だよ…。



 ガンダムの妖精ティエリアちゃんには笑っちゃったなぁw刹那の肩に乗っかって、あれやこれやと助言を与えるティエリアの姿は滑稽だった…。ところどころニヤニヤさせられるギャグ要素もあって面白かったかな。でも、さすがにあれだけ戦闘シーンを立て続けに見せられると、疲れる。作画の苦労がしのばれるけど、ちょっとねぇ。。

テーマ:機動戦士ガンダム - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2010/10/15(金) 05:08:37|
  2. 機動戦士ガンダム00
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

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こんばんは、「ゲームやアニメについてぼそぼそと語る人」の管理人のピッコロでございます。いつもお世話になっております。記事とは関係のないコメントで大変失礼いたします。


まず最初に、お忙しい中当ブログのアニメ評価企画に参加して頂きありがとうございました。アニメ評価企画9の最終結果は、現在当ブログにて掲載中ですのでよろしければご覧になって下さいませ。

評価企画9の最終集計結果↓
http://blog.livedoor.jp/koubow20053/archives/51622440.html

さて、今回も「今期終了アニメ(9月終了アニメ)を評価してみないかい?10」と題しまして、評価企画を立ち上げましたので、参加のお誘いに参りました。また、この企画に賛同して頂けるのであれば、参加して頂けると嬉しいです。

なお、投票方法等についての詳しい事は以下の記事に書いておりますのでご覧ください↓

http://blog.livedoor.jp/koubow20053/archives/51622970.html


今後も色々とお世話になると思いますが、どうか末永いお付き合いのほどよろしくお願いいたします。宣伝大変失礼いたしました。
  1. 2010/10/18(月) 22:58:06 |
  2. URL |
  3. ピッコロ #-
  4. [ 編集 ]

こんばんは、「ゲームやアニメについてぼそぼそと語る人」の管理人のピッコロでございます。いつもお世話になっております。記事とは関係のないコメントで大変失礼いたします。


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評価企画10の最終集計結果↓
http://blog.livedoor.jp/koubow20053/archives/51669012.html

そして、今回も「今期終了アニメ(12月終了アニメ)を評価してみないかい?11」と題しまして、新たに評価企画を立ち上げましたので参加のお誘いに参りました。また、この企画に賛同して頂けるのであれば、参加して下さいませ。

なお、投票方法等についての詳しい事は以下の記事に書いておりますのでご覧ください↓

http://blog.livedoor.jp/koubow20053/archives/51669463.html


今年も企画等で色々とお世話になると思いますが、どうかよろしくお願いいたします。宣伝大変失礼いたしました。
  1. 2011/01/17(月) 21:24:34 |
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