土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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アニメ総論

このブログの投稿内容と編集方針についてまとめました。
アニメに注釈を施す上での方法および姿勢を示し、ブログ参照時の注意点などを記載してあります。それぞれ、ブログ全体に関わることであるため、一読了解の上で種々の記事をご覧頂きたいと思います。




1、アニメの定義

 アニメとはアニメーションの縮約であるため、本来ならばアニメーションという呼称こそ正式な語とされる。
 しかし、この語によって括られる現象はあまりにも広範に及ぶ。すなわち、その制作手法によりフルアニメーションとリミテッドアニメーションの違いがあり、その製作目的により商業用アニメーションとそうでないものとがあり、その作品形態はテレビアニメーションと劇場アニメーションと短編アニメーションに別れ、その制作体制は集団で行うものと個人で完結させるものとがあり、国内外を問わず様々に制作され享受されている。果たして、かの『白雪姫』のようなウォルト・ディズニー製作のアニメーションと、隔週でテレビ放映される『機動戦士ガンダム』のようなサンライズ製作のアニメーションを同じ語で捉えることは妥当と言えるのだろうか。そこには、先述の差異があるだけでなく、ましてや作品の表現する内容においても、同様の作品群と差し置くには穏やかならざる現状がある。
 したがって、アニメーションと呼ばれる作品群は実に多様な諸相を示しており、正確を期すにおよんでは、一概にアニメーションと呼ぶことは憚られる。一方では日本発のアニメ文化を総称して「ジャパニメーション」と呼ぶ向きもあるが、そもそも、アニメの概念を区別する上で、その製作の国内外は大きな問題とはならない。
 そこで、本稿においては「アニメ」を正式な呼称としたい。多くアニメと短く呼ぶことが一般に行われている状況があり、その場合は具体的に「テレビ放映や劇場上映やインターネット配信といったマス・メディアを介する商業用リミテッドアニメーション」を指して言う。アニメーションという呼称に比して、より通俗的な響きを有する。また、その制作されている作品の数で言えば、この「アニメ」こそ大きな比重を占めており、その現象を指して言うには「アニメ」と呼び慣わすほうが穏当だろう。

2、アニメの研究状況

 管見の限りにおいて、アニメの作品内容に言及した研究や注釈はごく少数しか見受けられない。
 多く刊行されているアニメ関連雑誌や研究諸説を見るに、それはクリエーターのインタビューや制作秘話のごとき内々の情報をはじめとした一次資料であり、あるいは、製作環境の整備や表現形態の変遷といったアニメ作品を取り巻く周囲の状況に関するものがほとんどと言える。一部にはアニメ作品を史的に結び付けて論じようとするものもあるが、文学の観点から表現内容を吟味したものは皆無と言っていい。そもそも、現代人からすれば見ることで何かしら理解は得られるのであり、注釈なくして視聴を妨げる状況にはない。むしろ、そのような注釈は野暮と言っていいもので、敢えて説明を加える作業は必要とされない。しかし、一過性の享楽的な受容はアニメのアニメの価値や本質を見過ごし兼ねず、それを見極めるには逐字的な注釈と研究が求めらえる。
 本稿はアニメを文学的に捉え、その作品の内容や表現方法について考察することを目的とする。これは、アニメが本質的な部分に古典性を内包しているとの見立てに基づく。言うまでもなく、古典性とは作品間に有機的な意味の連環を連綿として備えた資質の謂いであり、その読解にあたっては先行の作品を前提としなければならない。その作品は成立当時のみならず、後世に亘って読み継がれ、さらには後続の作品に影響を及ぼす。現行のアニメが多くの先行諸作品を踏まえて成立している状況を見るにおよび、アニメが古典としての機能を有していることが認められる。その予定調和や約束事に重きを置く性質を理解するためには、その背景にある知識体系を明らかにしなければならない。
 したがって、その内容把握には古典文学と同様の注釈方法を必要とするものと考える。ややもすれば、アニメは表層的な部分のみ理解して享受を完結され得るエンターテイメント性を同居させているため、このような解釈を必要としないか、むしろ排除せねばならない状況すら看取される。しかし、その場合はあらゆる方法を必要とせず、ただただ見ることを求める。そこで、もう一方の可能性を提示するためにも、本稿は古典的解釈の実践に取り組む。

3、注釈の方法

 古典文学における注釈研究が注釈者の主観を反映しているのと同様、本稿においても作品に対する主観的な解釈を踏まえた作品理解の表出を試みる。ただし、その方法は文献実証主義と同様の客観的な出典の明示や例証に基づき、できうる限り、先行の作品との関わりから理解を深めることとする。また、作品から各キャラクターのセリフを引用する場合には当該箇所を聞きながら書き起こし、本編再生を起点とするタイムコードを付して便を図る。
 そのほか雑多な方法について言えば、注釈内容の多少により、作品全話を総括して行う場合と、各話ごとに逐一行う場合がある。それぞれの内容は、先行の作品と比較した出典に関するもの、同一作品内における文脈の把握を試みるもの、作品成立の背景にある社会状況や制作事情を踏まえて捉えようとしたもの、制作の技術的側面から考察を加えたもの、等々、作品に即して項目を分けて提示する。
 これらの注釈研究は誰もが同じ作品を観察できる環境を理想とする。しかし、現状は消費経済の潮流の中で次々とアニメが生まれては消え、中には現代にあっても散逸を免れない作品すら存在する。願わくは、国会図書館における納本制度のごとき、アニメの網羅的な収集制度が確立されることを期待して止まない。

4、参照時の注意点

 その性質上、本稿は多くの「ネタバレ」を含む。
 具体的な作品内容に触れるため、そのセリフを引用することや作品の結末を暴露することを前提として記述している。参照される場合には、この点を了解した上、各人の責任において各項目をご覧頂きたい。
 また、それぞれの記述は各作品の良し悪しを判定するものではない。もとより、各作品は様々な受容層を意識して製作されている。それぞれの記述は批評を行う性質上、一見しては、作品を否定すると受け止められ兼ねないものがあるかもしれない。しかしながら、それは作品の正確な分析や理解に向けた取り組みであるため、訝しむことなく参照されたい。各作品の真価はそれぞれの視聴者によって見出されるものと信ずる。

  1. 2013/03/13(水) 09:41:14|
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