土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『ガールズ&パンツァー』全12話の感想。

「ねぇ、帰ったら何する?」
「お風呂入って…」
「アイス食べて…」
「それから…」
「戦車、乗ろっか!?」
『ガールズ&パンツァー』#12「あとには退けない戦いです!」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。




 最高の賛辞を贈りたい。熱い青春と感動をありがとう!
 なんでもない萌えアニメに見えても、中身はアニメの歴史を大きく前進させるものだった。女子高生の気軽な部活動という日常系萌えアニメの要素を配しながら、主人公のメカに乗る動機付けから自我の確立に至るまでの精神的な変容を仲間の存在を介して描いたところが良かった。たとえ一人一人で自我や個性を確立することが難しかったとしても、それは仲間と一緒に乗り越えればそれでいい。努力をしたわけでもなく、才能があったわけでもなく、それぞれの多種多様な趣味思考はそのままに、できることをすればそれでいいんだというメッセージがあったと思う。そんな集団的個性の確立と容認を具体的に描写して、主人公の居場所が作り上げられる過程を見事に表現していた。様々なアニメの積み上げてきた歴史を踏まえながらも、そこに新たな答えを導き出したような気がする。

■多様で異端な「おちこぼれ」たちの集団

「みんなで勝つのが、西住さんの西住流なんですね!」
『ガールズ&パンツァー』#11「激戦です!」より

 個人主義の流れが変わりつつあるのかな。とは言っても、かつての「みんなで汗水流して一緒に頑張る」っていうような感じに戻るわけでもない。彼女たちは自分のありようを変容させるほどの努力をしたわけではなく、それを強要されたわけでもない。それぞれが自分らしくあっていいし、それぞれができることを全力でやればよくて、それで出来上がる結果や世の中に満足すればいいという、集団における個人同士の気負わない共存関係の理想的なモデルがあったように感じた。それこそ本作が開いた新境地であり、アニメ史を大きく前に進めた内容だと思う。
 生徒会チーム、バレー部チーム、一年生チーム、歴女チーム、風紀委員チーム、自動車部チーム、ネット戦車ゲームチーム、戦車ごとにそれぞれ特徴のあるメンバーが乗車していたのが象徴的だった。言ってみれば、ある意味において一戦車につき一人格とも捉えられる。これを記号的に見れば、戦車の擬人化アニメとして考えても不都合はないくらいだった。それぞれ同じ趣味思考を持つ人々が集まることによって各戦車ごとのチームが組まれ、さらにそれらのチームが集まることによって大洗女子学園の戦車道チームが構成される。この段階的な集団性がすごい。大洗女子学園という大きな集団の中で個人がたった一人で孤立することもないだろうし、各戦車ごとのチームという集団の中にいることによって個人的な趣味などの「らしさ」が阻害されることもない。もしも、これが同じ一両の戦車の中に生徒会・バレー部・一年生・歴女・風紀委員・自動車部・ネットゲーマーが同乗したとすれば、まったく共存関係は成り立たなくなるんじゃないのかな。他者から見て、どんなに変人だったり和に溶け込めない人だったりしても、各戦車ごとのチームに所属することによって大洗女子学園という大きな集団の中でも気兼ねなく立ち振る舞うことができたんだと思う。そんな寛容性を持った集団のあり方が提示されていた。
 だからこそ、秋山優花里という異端も無事に存在することができた。彼女は初回から歪みなく変人だった。実際に中学生のときは友達がいなかったと告白しているし、自分の部屋に知り合いが来たことも今回が初めてだったと言っている。戦車マニアでしかない彼女が大洗女子学園の中で居場所を見つけることができたのも、個性に寛容なチーム編成あってこそだろう。
また、主人公の西住みほも異色の人物と言える。戦車道の家元に生まれたにもかかわらず、そこを家出して大洗女子学園に来た。彼女もまた、以前に所属していた集団に馴染めなかった人物だった。戦車の知識で言えば、マニアの秋山優花里を上回る…かもしれない。そんな彼女が大洗女子学園の戦車に乗ることによって、その集団の中で個人の資質を何ら阻害されることなく十分に発揮することができていた。誰も戦車の専門知識や操作技術を理解していなかった中では、大洗女子学園は彼女に頼るしかなかった。しかし、それは彼女にとって負担になることはなく、彼女もまた自分にできることをしただけという自然な関係性に落ち着いている。
 大洗女子学園の戦車道に関わる面々は「おちこぼれ」の集団だった。西住みほは戦車道の家元の中で落ちこぼれ、秋山優花里は友達がおらず、武部沙織は彼氏ができず、五十鈴華は華道の家元の中で落ちこぼれ、冷泉麻子は遅刻と欠席の常習犯だった。バレー部はすでに廃部となっており、歴女やネットゲーマーはそもそもオタク、さらには大洗女子学園そのものが実績のないことを理由に廃校寸前の状態だった。そして、大洗女子学園だけが多種多様な戦車の寄せ集めだった。この戦車もまた、他の強豪校から「出来損ない」と言われるほどのおちこぼれっぷりだった。戦略的にも同一種の戦車を使わないと効率が悪いだろうし、それでも多種多様な戦車が集まって戦ったのは、彼女たち多様で異端なおちこぼれたちが集まっている姿と重なる。
 彼女たちも戦車たちも自分の持てる力を出し合って、自らの居場所を獲得していった。無理をしているわけではなく、それでも他者に認められる結果を残すことができたのは奇跡だろう。その過程でみんなの力を合わせはしたが、勝利をつかむために各自の持ち味を否定するほどの統率をかけたわけでもなかった。統一的な価値観の共有をしていなかったのだ。不思議なことに、あれだけ大人数であるにも関わらず、誰も他者の好む趣味思考の世界を侵犯することがなかった。普通に考えれば、個性だの個人だのは集団性や公共性を前にして邪魔者でしかない。倫理観とかルールとか常識とか、そういったもので個人に緩やかな縛りを与えつつも、少なからず個性を阻害するところがある。しかし、大洗女子学園ではルールに捉われない集団がうまいこと構築されていたような気がする。それは、誰もが自らを異端であると認め、社会の中での居場所を作るために奮闘し、互いに尊重しながら共存関係を作り上げることができていたからだろうか。仲間を置いてきぼりにせず、みんなで引っ張り合いながら行軍する姿が思い浮かぶ。ガールズ&パンツァーの「仲間」や「みんな」という言葉には、従来の作品で使われたものと違った様相を見なければならないように感じる。

■西住流から西住みほ流へ

「優勝おめでとう。完敗だな。…みほらしい戦いだったな。西住流とはまるで違うが…。」
「そうかな?」
「そうだよ。」
「お姉ちゃん!やっと見つけたよ!わたしの戦車道!!」
『ガールズ&パンツァー』#12「あとには退けない戦いです!」より

 主人公の西住みほは母校の黒森峰から追い出された家出娘だった。親や姉に戦車道への向き合い方を否定されて大洗女子学園に転校し、最後には自分なりの戦い方を見つけて物語が終わる。つまるところ、この作品は主人公の自立や自我の獲得を描いた物語だった。

「わたし…、嬉しかった。二人がわたしのために一生懸命…。わたし、そんなの初めてだった。ずっと、私の気持ちなんて、誰も考えてくれてなくて、お母さんもお姉ちゃんも、家元だから戦車やるの当然みたいな感じで、まぁ、あの二人は才能あるからいいけど。でも、ダメな私は…、いつも…。」
『ガールズ&パンツァー』#02「戦車、乗ります!」より

「一度、戦車道に背を向けた私が、再び戦車に乗る日が来るなんて…。こんな素敵な友達と出会わなければ、ここに立つことはなかったんだと思う。」
『ガールズ&パンツァー』#05.5「紹介します!」より

 他の学校の人に会えば「あ、西住流の…」とレッテルを貼られ、逃げて転校してきた大洗女子学園でも戦車道が開設されて「西住流」であるからとスカウトされ、みほは常に既に確立された西住流に付きまとわれていた。でも、初めて大洗で友達になった武部沙織と五十鈴華が自分のことを考えてくれていると感じて、選択科目ながら自ら進んで再び戦車道をやろうと決意する。

「むー、わたしたちも色塗りかえれば良かったじゃーん!」
「あー、38tが!Ⅲ突が!M3が!八九式が!なんか別のものにー!!あんまりですよねー!!」
「っうふふ…」
「に、西住殿!?」
「戦車をこんなふうにしちゃうなんて…。考えられないけど…、なんか楽しいね!戦車で楽しいなんて思ったの初めて!!」
『ガールズ&パンツァー』#03「試合、やります!」より

 そうして、西住みほは戦車道をやり直すわけだけど、ただし西住流とは違った自分なりのやり方を模索する。戦車をカラフルに塗っちゃったり座布団持ち込んだりする感覚に目からウロコだったのか、なんとなく既存の西住流にこだわらなくてもいいんだっていう雰囲気が出ていたと思う。実際、それぞれの戦いで使われた戦法は奇策としか言えないようなものばかりだった。

「西住殿、良かったですね。仲間を助けた西住殿の行動は、間違ってなかったんですよ!」
「今でも、本当に正しかったかどうかはわからないけど、でも、あのとき私は助けたかったもん。チームメイトを。だから、それで、いいんだよね!」
『ガールズ&パンツァー』#10「クラスメイトです!」より

 最後には過去の失敗まで受け入れて、自分の気持ちに正直な戦い方を選択する。与えられた西住流という方法ではなく、自分らしい方法を見つけた瞬間だった。ここまでセリフを追いかけてみると、主人公のジュブナイル的な成長物語がものすごく解り易く描かれていたことに気付く。これは主人公の西住みほだけに言えることではなく、他のキャラクターについても同じだったんじゃないかな。要は、何か既存の価値体系に捉われて自分を鬱屈させるのではなく、自分なりにできることをやりながら居場所を作ることが大切だみたいな。さっきの段階的な集団性はそれを容認する環境だったと思う。

■セカイ系と日常系の融合

 これもまた『ガールズ&パンツァー』の新境地。水と油の関係としか思えない「セカイ系」と「日常系」が同居しているとも考えられる。この「セカイ系」と「日常系」って定義が人によって異なるので、面倒ながら自分なりの定義も含めて考えてみます。というか、たぶん一般的な定義では同居していないってことになるような気がする…。
 日常系と呼ぶべきような作品と言えば『らき☆すた』『けいおん!』『たまこまーけっと』なんていうような京都アニメーション制作のアニメが代表なんだろうか。空気系とも言うらしい。女の子たちが何気ないどうでもいい会話をずっとしていたり、物語に起伏や目的がなくて盛り上がりとかオチが特にあるわけではなかったり、主人公の成長とか宿敵をやっつけるとかギャグとかも取り立ててない、そんなのが日常系の要件なのかな。しかも、日常と言いながら非日常的なファンタジーとして成立する側面も持つ。なぜか親が出てこなかったり、ごく一部の場所に舞台が縛られていたり、交友関係が数人だけだったり、かなり閉じられた世界で展開されることが多い。これも日常系の特徴と言える。他の作品を挙げれば、『生徒会の一存』とか『GJ部』は日常系の要素を多く含むものだし、『gdgd妖精's』と『ヤマノススメ』も日常系。『サザエさん』は磯野家の日常を描くものだけど、あまりに物語の客観性が強いから日常系とは捉えられない。あくまで、日常系とは「日常っぽい」ことが大事なわけで、日常そのものではない。典型例を言えば、女子高生がファミレスで延々とだらだら話しているのを本人たちの視点から描くのが日常系なのかな。
 この『ガールズ&パンツァー』も日常系の要素をふんだんに盛り込んでいた。とにかく、戦車に対する女の子たちの反応がゆるかった!戦車に座れば「おしりがムルムルするー」だし、主砲を発射すれば「空気がふるえたー」とか「じんじんします」とか「なんだか気持ちいい」とか「告白されるよりドキドキしたー」だし、なんだか反応が女子トーク的なものが多い。聖グロリアーナ女学院との戦いで動機としたのが「あんこう踊りをやりたくない」だったのも印象的だった。主人公の西住みほだって、シャーペンを机から落としただけであわあわしちゃうような感じだし、あんこうチームの面々は練習の後にアイスを食べることを楽しみにしているあたりも女の子ちっくだった。これは明らかに日常系の流れを汲んでいると考えてもいいんじゃないだろうか。物語の終盤はさておき、物語の始発はなんでもない女の子の日常の描写だった。
 そして、扱いが面倒臭いセカイ系。具体的な作品としては『新世紀エヴァンゲリオン』『少女革命ウテナ』『最終兵器彼女』『交響詩篇エウレカセブン』『ぼくらの』なんかが典型的なんだろうか。要点は主人公の選択が世界全体の破滅や改変につながるところにある。だいたいにして、これらの作品の主人公には受け身で無個性で本来なら脇役に徹するようなキャラクターが選ばれる。そんな彼らに自分たちの生きる世界の命運を握らせることで半ば脅迫し、強制的に主体性を身に付けさせようとするのがセカイ系なのかな。さらに言えば、大人たちから与えられたり既に用意されている世の中の仕組みの影でひっそり生きようとしている人々に対し、自分なりの生き方を主体的に提示させて新たな世の中の仕組みへと展開させようとする物語とも言える。結局は、思春期の少年少女が自我の確立に悩み、自分が世の中で悪い意味で特殊な存在なんじゃないかと錯覚し、学校や家庭や地域やネットといった世の中で居場所を定められずにいて、周囲と自分の違いに向き合い、そんな彼らがなんとか自我の確立にこぎつける過程を描いたもので、これは『ハリー・ポッター』とかにも共通する普遍的な物語構造とも考えられる。あえて「セカイ系」とする必要もないのかもしれない。要はジュブナイルであり、成長譚なのだ。その思春期の不安定な心情を記号的に取り出したのが「中二病」につながってくるし、おおげさに世界の命運とか言い出すと「セカイ系」と呼ぶジャンルになるのかもしれない。そのため、たとえば『コードギアス 反逆のルルーシュ』なんかはセカイ系とはあまり呼ばれない。確かに、世界をどうこうしちゃっているけれども、既にルルーシュの自我はある程度は固まっているし、そんな彼の存在を否定するブリタニアと戦う物語は「ダークヒーロー」の類型とされるべきだろう。
 さて、この『ガールズ&パンツァー』も「セカイ系」と呼べるのかどうかが問題となる。主人公の西住みほが異端として母や姉から否定され、それを覆そうと自分なりの戦車道を見つける物語は自我の獲得の筋を追うものだろうと思う。おおむねセカイ系の本質ないしは趣旨は捉えるものの、世界の命運とかいう記号的な側面は関係なくなっている。ただし、やはり親に否定されて主人公がいじけるあたりは『新世紀エヴァンゲリオン』と同じ構図に見えるし、最後に「おめでとう」と「自分」を見つけたことを褒められる点も同様だろう。そもそも、異端の人々が世の中に向けて自分の居場所をどう立ち上げるかを題材としている時点で、それを「セカイ系」の流れを汲むものと考えることは難しくないだろうと思う。セカイ系そのものではないことは当然として、その文脈は確実に受け継いでいると言っていいだろう。
 まぁ、こう考えると、『ガールズ&パンツァー』が「日常系」と「セカイ系」の文脈を踏まえた上で、新しい展開をもたらしていると考えるのも可能かなぁとか思ったりする。確かに、主人公に対して世界からの脅迫的な要請や動機付けは与えられないけど、それがなくても自分から克服しようと挑むあたりも進んだ点と考えていいんじゃないかな。なんだかんだ言って、社会集団と個人の関わり方っていうのはアニメの主要なテーマだし、個人の趣味思考を維持したまま集団として存在させた大洗女子学園の戦車道は特筆されて然るべきだと思う。

■アニメの文脈を受け継ぐ作品

 とにかく久しぶりにアニメアニメしたアニメだった。
 おそらく、この作品を海外の人やアニメを知らない人が見たら、ミリタリーマニアのアニメかと思われるだろうと思う。あんな女子高生が部活で戦車の訓練をするだなんて、いつの時代の軍事演習だとか思われて、いけないことだと思われかねないwだけど、それはそれ。この作品はしっかりとアニメの文脈に沿って読み解かないと、何をやっているのかわからない。
 今までのアニメで使われてきたモチーフをあちこちに取り入れて、温故知新、伝統的なアニメ要素に則りつつも新しい展開を見せてくれた。さっきの「日常系」と「セカイ系」の融合の話もそのひとつ。そのほか、牽強付会とも言えなくもない、微妙なラインでの他作品とのつながりを考えてみます。
 とりあえず、なんで女の子が戦車と出会うのかと言ったら『ストライクウィッチーズ』の流れは確実にあるだろうし、それが部活として成り立っているのは「日常系」としては当然の流れ。今までも『けいおん!』の軽音楽部、『咲-saki-』の麻雀部、『ちはやふる』の競技かるた部、『じょしらく』の落語(部)、『ヤマノススメ』の登山(部)などなど、たくさんあった。生徒会が大きな権力を持っているのも『極上生徒会』とか『生徒会の一存』とか『めだかボックス』があるし、学校が廃校になるなんて設定は『TARI TARI』『ラブライブ!』ほか探せばいくらでもありそうだし、女の子とメカ的なものの出会いは『魔法少女リリカルなのは』『ストライクウィッチーズ』『ビビッドレッド・オペレーション』があり、学園艦の原型は確かに古代の絵画にあるだろうけど『超時空要塞マクロス』とか『機動戦艦ナデシコ』なんていう「船暮らし」をモチーフにした作品もある。みんなで何かひとつの目標に向かって頑張る姿は『天元突破グレンラガン』で見た熱血っぷりを思い出すし、異端の側に立って戦う西住みほの姿は『とある科学の超電磁砲』の御坂美琴に重なる部分もある。集団的個性の話からすれば、『東のエデン』とか『輪廻のラグランジェ』のような作品の主人公が見せる「奉仕するヒーロー」ともつながってくるかもしれない。対戦相手がそれぞれの国の特徴を極端に表現した性格を持つのは『ヘタリア』のような気配もする。
 あらゆるアニメを土台として、てんこもりの記号的な表現を駆使して、この作品はアニメの持つ文脈を書き継いでいる。それが本当にその作品を想定しての表現かどうかはさておき、とりあえず他の作品を想像しながら見るのが楽しい。そして、それを可能とする作品こそアニメアニメしたアニメと呼ぶにふさわしいものなんだと思う。それがアニメの古典性。

■異様な3Dカットと制作体制

 よくこんな作品を作ったなと思う。内容を見る限り、これを作るには相当のカロリーが必要だったんじゃないかな。そりゃぁ、1クールなのに総集編を2回もはさむだろうし、最終回は3か月後になるだろうさw
 まず手描きの作画について。初回を初めとして、動画のクオリティーが全体的に高かった。特に最初の話数はバラの国内動画で対応していることがクレジットからわかる通り、髪揺れや細かい仕草がきっちりと動かされていて丁寧さが感じられた。そうなんだけど、それが最後まで続くわけがなく…。グロス回のクオリティーはどうしても下がっちゃうし、最後まで国内動画で貫くことはできなかったみたい。それを考えると、最初の話数で丁寧に作り過ぎて時間を使い過ぎた感じがするんだけど、どうだったんだろうか。初回のEDが間に合ってなかったのも、既に制作が遅れていたからなんだろうかとか考えてしまう。
 3Dは圧巻だった。まず初回で動きまくる戦車の映像に圧倒される。ゲームと同じような3Dマッピングだったけど、臨場感とか疾走感があって気持ち良かった。それに、ダメージを受ける戦車の3Dモデルっていうのがすごすぎる。敵から砲撃されて装甲が剥がれたりするんだけど、その剥がれた状態のモデルまでも作ったのだろうか。相当な労力だったんだろうなぁ。。3Dとセルの組みをどうやっていたのかもよくわからないし、どうやって3Dのカットを作っていたのかも想像がつかない部分が多い。そのくせ、バスとか輸送機といった他のメカが手描きだったのがよくわからんwそれとも3Dだったのか?お金がなくてモデルを作れなかったのかな。
 世界観の設定とか作り込みはしっかりしていた。「せんしゃ倶楽部」とか「戦車喫茶」とか、あらゆるところにネタを仕込んでいた感じがする。ケーキが戦車型だったり、店員を呼ぶにも大砲の音がしたり、五十鈴華の生け花の花器が戦車だったり、もう細かいところにこれでもかと雰囲気のあるものを用意していた。歴女たちの会話にしても「来た、見た、撃った」とかジュリアス・シーザーの引用を使ったり仕掛けが多かったし、学校の貼り紙に「圧倒的ではないか」と『機動戦士ガンダム』のギレン・ザビのセリフが引用されていたり、作品の外とのつながりを感じさせるネタが豊富に仕組まれていた。とにかくフックが多いと、いろんなお客さんに見てもらえるんだろうか。
 あと、気になったのはセリフまわし。あまりにも口パクのずれが多かったのは、何か特別なことをしていたからなんだろうか。あんなリテイクすぐに直しちゃえばいいのに…。いろいろ制作スケジュールが悪かったと思わせるような部分が見え隠れする。





 悲しい哉、こんなにセンセーショナルな作品なのに『魔法少女まどか☆マギカ』のような盛り上がりが起きない。同じアニメアニメしたアニメなのに、なぜこっちは一般的なウケが少ないんだろうか。やっぱり魔法少女が『セーラームーン』世代に受けたからなんだろうか。ちょっと残念。さて、もう一周してこようかな!パンツァー・フォー!!

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2013/03/29(金) 01:30:03|
  2. ガールズ&パンツァー
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