土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『翠星のガルガンティア』#03「無頼の女帝」の感想。

「何度も聞く言葉だな。」
「感謝を意味する慣用句である。」
「感謝…か。」
『翠星のガルガンティア』#03「無頼の女帝」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。




 夜中に照明を当てながらの戦闘とか、ライティングの大変さが想像を絶する。3Dをうまく使えば、こんな映像を作ることも可能なんだという驚き。さすがです。こっちは3D発想を用いたメカで、『革命機ヴァルヴレイヴ』は手描き発想を3Dにうまく組み込んだ温故知新なメカアクションですごい。スーパーロボット→リアルロボット→3Dロボット?みたいな。今期は豊作過ぎる予感がする。はぁ、幸せだ。
 今回はメカアクション回っていう感じで、特に中身としては話が進んだような感じではなかった。要は異文化交流であって、レドは客人(まれびと)であって、アナクロニズム的視点ってところ。

■アナクロニズムによる「現代」の客観的検証

「何があったの?ベローズたちは?海賊は!?」
「防衛対象船舶に人的被害なし。敵対勢力は全滅させた。」
「全滅って…。」
「海賊をみんな殺しちゃったの!?」
「肯定する。敵対勢力は全滅させた。」
「…。」
『翠星のガルガンティア』#03「無頼の女帝」より

「レド…だったよな。なんで海賊を皆殺しにした?」
「敵の排除に理由が必要なのか?」
「宇宙じゃどうだか知らないが、ここでは殺生は何よりも戒められている。」
「生物を殺して食用とすることは問題とされないのか?」
「確かに、あたしたちは魚や鳥を殺して食ってるさ。けど、それだって、自分たちが生きるのに必要な分だけだ。無駄な殺生はしちゃいない。ましてや、海賊は人間だ。同族だ!軽々しく命を奪っちゃいけない。」
「人間の殺傷を禁じるのであれば、なぜ兵器を保有する?」
「その気になれば、命を奪える。そう脅すことで、海賊は相手を従わせようとする。だからこっちも、黙って殺されたりしないと態度で示す。お互いに大砲を見せびらかしているうちは、要するに、交渉のうちなのさ。私たちの言葉に、魚を釣ってきた者には真水を与えよっていうのがある。」
「人間の相互援助を推奨する言葉か?」
「そうさ。みんなで物を持ち寄らなければ、生きてはいけないからね。」
「だが、海賊はその規則を遵守しない。」
「もちろん、あたしたちはそんなことを認めるわけにはいかない。命も財産も、海賊なんぞに渡したりできるもんか。けどね、そのためには、あたしたちを襲っても得にはならないって、連中に知らせるだけで十分なんだよ。ところが、人死にが出ると、話は別さ。やつらは立場を取り戻すため、より多くの血を流さなきゃ引っ込みがつかなくなる。」
「事情は理解した。」
『翠星のガルガンティア』#03「無頼の女帝」より

 第1話で徹底して描かれたように、レドは集団組織の中で個を持たずに行動することを違和感なく受け止めるような人物だった。組織からの指示に従うことが組織にとって最も効率のいいことであろうし、そこで個人的な判断をすることはナンセンスにしか感じられなかっただろうとも思われる。レドは合理性とか効率とかを最優先に考え、だからこそ、自分を組織の歯車として考えることに抵抗がなかったのかもしれない。それはヒディアーズというヒトの絶対的な敵を前に、ヒトという「種」の保存を考えた結果とも言える。
 そんなレドが、ガルガンティアというアナクロな世界に来たことで戸惑う。ガルガンティアでの価値観は明らかに「種」ではなく「個」に置かれている。「種」の発想を持っているレドは、いくら海賊を殺したところで「種」は保存されているから問題とは思わない。しかし、「個」を大切にするガルガンティアの人々は殺された海賊の一人一人のことを考えてしまう。人類の存亡を賭けて戦闘に赴いていたレドにとって、そこで殺される一生命のことを考える文化などは持っていなかった。
 ガルガンティアの人々の考え方や文化は現実の現代人のそれと同じじゃないかな。それを未来的に冷徹なまでに合理化された発想を持つレドの視点から眺めると、なんと時代遅れに見えることか。焼き魚や焼き鳥を生物の死骸と認識するあたり、その典型的なわかりやすい例だと思う。しかし、そんなレドの視点から改めて現代的なガルガンティアの価値観を眺めることによって、その意義や有意性を検証することができる。この作品におけるレドの役割は、そんなところにあるのかもしれない。

■客人のレド

 客人と表記して「まれびと」と読む。外界からの来訪者が問題を解決して去っていくような感じ。簡単な例を言えば、『水戸黄門』がそれ。アニメで言えば、『ルパン三世 カリオストロの城』のルパンとか、『もののけ姫』のアシタカとか、『うたわれるもの』のハクオロとか、『まおゆう魔王勇者』の魔王とか、とにかく挙げればキリがなく、あちこちで見られる。物語形式のひとつと言ってもいいのかな。もともとは折口信夫の「まれびと信仰」の発想に由来するんだろうか。今回のレドも同様の特徴を備えているように見える。
 だいたい、客人は特殊な能力を持っていて、それを行使することによって既存の世界に変革のきっかけをもたらす。そして、来訪を受ける側の人間は来訪者を神として畏れ敬うことが多い。よそ者は自分たちと違う価値観を持っているから、どうにも扱いに困る。だけど、よそ者が来ることによって、自分たちの存在が相対化され、ある意味では客観的に自らの価値体系を見つめ直すきっかけを得ることになる。
 さっきのアナクロニズム的視点にしても、この客人の視点にしても、とにかくレドというキャラクターが現代を見つめ直す視点を持つ点で共通する。これが重要なところなんだろうか。来週あたり、もしかしたらレドが神様として崇め奉られているかもしれない。



 こっちの『翠星のガルガンティア』の村田和也監督は『コードギアス 反逆のルルーシュ』で副監督を務め、一方、『革命機ヴァルヴレイヴ』のシリーズ構成である大河内一楼さんは『コードギアス 反逆のルルーシュ』で原案とシリーズ構成を担当していた。そう考えると、今回の主要メカアニメの二作はルルーシュスタッフの対決でもあるのかもしれない。今のところ、甲乙つけがたし。

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2013/04/22(月) 01:44:16|
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◎翠星のガルガンティア第3話「無頼の女帝」

))なにがあったの、海賊は#人的被害無し、全滅させた))みんな殺しちゃったの#肯定する))レドのばか!レド:どういうことだ?≡全滅だと、奴らは報復をしかけてくるとんでもないこと...
  1. 2013/11/28(木) 22:19:41 |
  2. ぺろぺろキャンディー

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