土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『翠星のガルガンティア』#04「追憶の笛」の感想。

「銀河同盟においては、貴君のような人間は即刻、淘汰される。」
「淘汰…。でも、それなら、ヒディアーズを全部倒したら、銀河同盟はどうなるの?レドさんはどうするの?」
『翠星のガルガンティア』#04「追憶の笛」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。




 やっぱり前回の感想でも書いた通り、客人(まれびと)の発想がモチーフであることが作品内の発言から確認された。それと、アナクロニズムかな。この2つの手法が本作品を構成する論理になっているんだと思う。これだけだと、なんだか薄味な気がしなくもないけど、それは今のところ敵と呼べるような存在が身近にいないからなんだろうか。すごく清々しい内容なんだけど、ちょっとドロドロした展開が恋しくなってくるタイミングではある。

■文化を持つこと

「しかし、この暑いなか、無駄に動けるものだな。統制が取れていない。教官は何をしているんだ。」
「児童の教練に、教官が同伴しないものと推測。」
「それでどうして、社会の構成員に育てられるんだ。」
『翠星のガルガンティア』#04「追憶の笛」より

「銀河同盟では虚弱な人間は排除・処分される。戦闘に参加できない人員は無用である。」
「無用ってそんな…。レドはそれで平気だったの?」
『翠星のガルガンティア』#04「追憶の笛」より

 なんにしても、レドは無機質な考え方をする。それに対して、ガルガンティアの人々は有機的な考え方を持つ。それを典型的に表しているのが、生殖を種の保存する方法として認めているかどうかというところだった。銀河同盟では遺伝子操作やら体外受精やらを用いているっぽかったけど、ガルガンティアでは生殖によって子孫を増やす手段が取られている。前者が種としてのバグを好まない方法であるのに対し、後者は種としてのバグを受け入れる方法とも言い換えることができる。つまり、多様性や揺らぎを認めるかどうかであって、生物的な進化のプロセスで言えば認めるほうが自然な発想とも言える。極端な思考をすれば、バグを好まずに多様性を認めない場合には、ある一つの要因によって種が全滅する恐れがある。生物としては少しでも誰かが生き残れば勝ちなわけだから、多くの変種を生み出して、生き残る可能性を広げようとするのが当然と考えるべきだろうと思う。そんな多様性を生み出す行為が生殖なのであって、それを有機的と表現しても差し支えないんじゃないのかな。
 初回からそうだったけど、レドは銀河同盟の軍人として組織に生きる人間だった。個人の尊厳や思考は持たず、人間という種にとって有益な行動をするかどうかで価値の判断を行っていた。したがって、戦闘に参加できない人間は無用になる。

「なるほど、宇宙からの客人にはそう見えるのか。あぁ、失礼。君の言う効率とは、ずいぶん狭い範囲のようだなぁ。」
『翠星のガルガンティア』#04「追憶の笛」より

 まぁ、客人(まれびと)であって、アナクロニズムだよね。未来と過去の対比というか、現代を客観的に見るための装置としてレドを使っている感じ。無機と有機の対比にしても、未来と過去の対比にしても、物語の軸が明確になっていてわかりやすいことはいいことだと思う。

「ガルガンティアにおける、組織構造が理解不能である。」
「組織…?」
「非効率かつ無益な運営について理由を問う。」
「船団は組織じゃないよ。ただ、みんなで寄り合っているだけなんだ。時々、ケンカしたり、協力し合って、そうやって生きているだけなんだよ。」
「その意味を問う。」
「みんなが安心して生きていけるなら、それでいいんじゃないかな。」
「返答に疑問。人類の行動目的は、敵、ヒディアーズの討伐にあるべきである。それなくして、人類の安定的な発展はない。」
「そうなの?」
「銀河同盟においては、貴君のような人間は即刻、淘汰される。」
「淘汰…。でも、それなら、ヒディアーズを全部倒したら、銀河同盟はどうなるの?レドさんはどうするの?」
「次の命令が発せられるまで、待機する。」
「じゃぁ、次の命令が来なければ?」
「待機を継続するのみである。」
「それなら、僕達と同じだね。」
「同じなのか?」
「だって、待機って、生き続けることでしょ?」
『翠星のガルガンティア』#04「追憶の笛」より

 レドは文化を持たない。文化の定義は難しいけど、生存するための営為とは直接的な関係を持たず、他者と共有することで意味を成すようなものなのかな。それを待機と言えば、そうなのかもしれない。生きるために戦うことではなく、それ以外の時間をどう使うかっていうこと。栄養を摂取することは文化ではないけど、料理をすることは文化だと言える。それはレドが焼き魚を死骸だと認識したことに反映されている。また、子どもたちがチェインバーのまわりで遊んでいたことは文化的営為であるけれども、それは生存に向けた行動としては不要となる。そのため、レドは彼らのことを統制の取れていない無駄な行動だと評した。ガルガンティアは文化的な生き方をしていて、レドにはそれがないという構図を徹底して描いている。
 ただし、文化を持たない銀河同盟を人類と言えるのかどうかは怪しいかな。ヒトの定義の一つには文化を持つっていうことが挙げられると思う。それを失った段階で、それはヒトとは別の存在として定義の上ではなる気がする。生物としての多様性を認めず、文化を持たず、そんな銀河同盟という存在は成り立つのだろうか。ガルガンティの人々からすれば未来的な技術を持った存在として対置されるけど、どうにも銀河同盟はヒトと呼んでいいのか躊躇ってしまう。思考実験として不成立?
 そうして、レドが作っていた笛こそが文化的な営為と言えるものだった。あんなの戦いに必要なものではないし、食べられるものでもない。しかし、レドが抱いている過去の思い出と自分とをつなぐ道具立てとして笛を作っていた。文化を持たない側の人間だったレドが、実は文化的な行為をしていたことに気付いたことが今回の話の核心部分だったと思う。



 なんというか、押井守監督とは別種の衒学性を感じる。論理だけで物語を作っているというか、筋道は通っているんだけど一つ一つの設定に魂が入っていないような感覚に陥る。お説御尤もなれど、お題目を唱えるだけじゃ味気ないよね。映像のクオリティーは抜群だし、世界観も練り込められたものなんだけど、如何せんグッと来る表現には未だ出会えていない。

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2013/04/29(月) 05:23:14|
  2. 翠星のガルガンティア
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◎翠星のガルガンティア第4話「追憶の笛」

o)リジ:連結手続き完了しました。・・・それが、→チェインバーで荷物はこび|o)暫くここで生活してもらえないかしら))こんなとこ不便だよ!ココガイイ、モンダイナイo)請求書...
  1. 2013/11/28(木) 22:59:04 |
  2. ぺろぺろキャンディー

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