土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『進撃の巨人』#05「初陣」の手抜き?騒動に対する反論。

 先日の『進撃の巨人』第5話「初陣」に手抜き放送があったとの記事が各所で掲載されていました。指摘の通りの事態が発生していたようですが、実のところ、これは問題にするようなものではないと思います。というか、これと同様の現象は日常茶飯事のことであり、わざわざ騒ぐようなことではありません。また、放送に最善の映像が間に合っていない責任を制作側に問うことは、筋違いというか、無理筋です。今回の一件によって、アニメの現場が多少の自粛や配慮を行わなければならなくなる気配もあり、いわゆる世知辛さを感じています。モンスタークレーマー的な感じ?ということで、それほど騒ぐものではありませんが、誤解を取り除いて、悪意を跳ね返すために、念のため今回の問題について言及したいと思います。




■事態の確認

 記事によれば、問題の映像は福岡放送と北海道テレビとテレビ大分の三局で流されたようです。確かに、作品の公式ホームページにも謝罪の記事が掲載されていました。具体的な記事の内容については、タイトルと5話というキーワードで検索すれば記事が出てくると思います。特にアクションカットがいくつか他のカットを兼用する形で差し替わっていたようでした。

■なぜ放送局によって放映内容が異なるのか

 アニメの制作は常にクオリティーとスケジュールのジレンマと戦っています。できるだけ高いクオリティーを維持しようとする一方、テレビ放映という厳格な納期が存在しています。稀に落とすこともありますが…。余裕のあるスケジュールで安心の納品を心がければいいのかもしれませんが、そこはクオリティーを高めようとギリギリまで作業を行おうとするのも道理ではあります。したがって、そのようなクオリティーとスケジュールのバランスを図り、最高のパフォーマンスをマネージメントするために、制作会社は制作進行や制作プロデューサーを配置しています。大手や老舗の制作会社が多くの取引先から信頼を得ているのも、その点を念頭に置いて、上手いこと制作サイドが立ちまわっているためです。彼らは百戦錬磨であり、クオリティーとスケジュールのバランスを調整するための方策を山のように持ち、日常の至る場面でそれを行使しています。
 その方策のうちのひとつが、放送局によって映像を差し替えるものです。アニメの最終的な編集作業は放送当日の早朝など、直前まで行われることもあります。放送局に映像を届ける物理的な配送の時間も含め、ギリギリのタイミングまでクオリティーの向上に務めています。基本的には最速で放映する放送局に合わせて作業を進めますが、問題は同日に複数の放送局で多少の時間差をもって放送される場合にあります。
 そこで考え合わせたいのが、編集を行っている場所と放送局との物理的な距離です。放送局が遠隔地であれば、早めに作業を切り上げて配送しなければなりません。しかし、放送局が近くであればギリギリまで粘ることができます。同日の放映にこのような複数の放送局がからむ場合、編集の作業を段階的に組み、少しでも後に放映される局の映像品質を高めようとする方法が取られることがあります。特に、現状の映像が放映できるレベルのギリギリ最底辺である場合、この方策が用いられます。
 たとえば、同じ作品に複数の放送局が存在し、配送に3時間かかる遠隔地A局と配送に1時間で済む近隣のB局があったとしましょう。どちらも納品は放映当日の朝10時だとします。実際はもっとシビアかつフレキシブルな対応となるでしょうが、ここではわかりやすく単純にして考えます。この場合、映像の編集作業はA局向けのスケジュールとしては午前7時であり、B局向けには午前9時まで対応が可能となります。この2時間は大きな違いを生みます。
 もし、いくつか作画の終わっていないカットがあれば、そのカット内容を他のカットの素材を流用して新たに作り上げることができます。これを手抜きと言ってしまえば最後ですが、まだ製品化や放映されていないため、そこで新たに作られたカットが正式な映像内容となります。間に合わなかったのは残念ですが、スケジュールに乗せるためには仕方ありません。現場では、プロデューサー陣や監督・演出の間で相談のうえ、この判断を下します。2時間も違いがあれば、このような対応を取ることが可能となります。放映に堪えないカットが複数存在するのであれば、なおのことです。その結果として、A局では間に合わずに品質が少し低い映像が流れ、B局では多少の品質向上が図られた映像が流れます。放送内容が異なる舞台裏には、このような仕組みがあります。
 今回は放映日程がズレているため何とも言えませんが、放映内容が異なっていた三局がすべて東京から離れた地であることには何かしら理由を感じさせます。

■過去の事例

 今までも同様の方法は多く取られてきました。厳密に指摘しようとすれば、特に深夜アニメのほとんどの作品は放送局によって映像が異なると言ってもいいのかもしれません。それは、ほんのちょっと、キャラクターの一部のパーツの色が間違っているものから正しいものに直っていたり、線が少しだけ整えられていたり、撮影処理が適切なものに修正されていたり、そんな細かいものを含めれば、かなり指摘されると思います。
 また、放送局によって放送内容が異なる現象としては、局による自主規制も含まれるでしょう。たとえば、血が多く流れる描写に対しては、放送局によって黒く塗りつぶして血を見せないよう配慮される場合があります。性描写に関しても同様です。そのため、放送局によって映像に差がでることもあります。
 制作が追い付いておらず、ギリギリまで粘って映像を編集した結果、放送局によって大きく内容に差が開いた事例もあります。あるいは、差がつかなくても、まったく放送時には間に合わない場合もあります。このような対応を取ることを、「ダミーを差す」と言い、その素材のことを「ダミー」と呼びます。テレビ放送に向けた仮素材ということです。たとえば、テレビ放送時にダミーが差さっていた作品としては『化物語』#10「なでこスネイク其ノ貮」は今回の比にならないほどのダミー率が印象に残っています。また、先日の『マギ』においても、少なくはありますが同様の事例が確認されました。どちらも取り立てて記事になるほど騒がれはしませんでした。
 また、制作側が「あれはダミーです」なんて言うことはなく、むしろ正式なものと主張されれば、何も問題はなくなってしまいます。ダミーかどうかは制作内部でひっそりと確認されるものであり、外側にいる視聴者はその判断に介在することは不可能というか無理です。したがって、あくまで上記二例はダミーの可能性があるというだけであり、ダミーだったという確証はまったくありません。ブルーレイ版で大きくカット内容が変更されていたり、声優の演技と映像が合っていなかったり、そんなカットが少しだけ見られたというだけです。

■テレビ放送とパッケージ販売の違い

 アニメ制作における、最終的なゴールはどこなのかと言うと、パッケージ販売となります。実は、テレビ放映はスケジュールの最終ラインに当たるものではないのです。
 本当はテレビ放映が本製品であり、今でもいくつかの作品はその感覚で制作されているものと思います。テレビ放映は無料で見ることができ、作品を世に広めるためには、この機会こそ最初で最後のチャンスでもあります。ただ、インターネットの普及にともない、そのような感覚も変化してきてはいます。しかしながら、特に深夜アニメはブルーレイ販売における収益に大きな期待を寄せており、それに向けた映像の修正も行われます。いえ、本当はテレビ放映に合わせて一度きりに制作を終えたほうが費用もかかりませんが、やはり間に合わなかった映像はパッケージ化に向けて修正を加えたくなります。そして、ブルーレイ販売はテレビ放映よりもだいぶ時間を空けて行われるため、スケジュールの確保が容易になります。
 そのため、とりあえずテレビ放映では作品を形にし、パッケージ販売に向けて細かな修正を行えるという感覚が出てきます。いわば、テレビ放映時の作品は普及版であり、パッケージ販売時の作品は愛蔵版なのです。お金を出してパッケージを買ってくれる人への感謝でもあり、売れれば売れるほど収益の上がるパッケージにこそビジネスとしては力を入れたくもなります。そこで、テレビ放映とはパッケージを売るための窓口としての意味合いを持つ側面もあり、だからこそ、本製品として決定版たる作品とはならなくても許容される感覚が出るわけだろうと思います。

■今回の事例について

 今回の最大の問題点は制作が間に合っていないことではなく、放送局によって差が出てしまったことにあるような気がします。それでは、すべての放送局の内容が修正されいないものであれば良かったのかという話になりますが、結局はそれだけの話だったということです。何も問題はなかったのです。
 ただ、プロデューサー陣の責任は回避できないのかもしれません。取り沙汰されるような状況を作り出したことには変わりありません。不運だったのは、取り扱う作品がアニメに馴染みのない人も多く見る原作付きの人気作品であり、テレビ放映を最終的な作品と見做される感覚を持たれていることだったのでしょうか。たとえば、『名探偵コナン』や『ワンピース』といった作品はテレビ放映が最終ラインです。特にパッケージ販売での収益を第一に期待するものではなく、他の部分での収益が大きく見込まれます。そのため、アニメ制作の本領はすべてテレビ放映時に発揮されなければなりません。これと同様にして、『進撃の巨人』も同様の感覚を持たれる作品だったのかもしれません。その点を見誤った可能性はあります。それと、最大のミスは謝罪してしまったことにあります。放映時の映像がダミーであると制作側が認めれば、それは本当にダミーだったということになってしまうのです。あれをダミーじゃないと主張するば、誰も文句を言えるものではないのです。また、もしも放送に堪えない内容であったならば、放送局が納品を拒否すればいいだけの話です。納品を拒否せずに不完全なものを放送したのであれば、それは放送局側の責任となるはずです。あるいは、制作スケジュールと制作カロリーのバランスを監督が読み違え、最終的にダミーを差さざるを得ない状況にしてしまったことも問題としては挙げられます。もし作画作業が大変でスケジュールを多く必要とするならば、絵コンテの段階で作業量を減らすような工夫をするべきだったのです。ただし、それは制作内部の問題であって、他者がどうこう言う問題ではありません。
 とは言え、テレビ放映を最終決定版と考える発想は古臭い気もします。つまるところ、視聴者は直接的には放映に対価を支払ってはいないのです。放送局による映像の差に不平を言うのであれば、放映されていない地域の不平にこそ耳を傾けるべきです。見られるだけマシです。もし決定版を見たいなら、パッケージを買うか、レンタルするべきなのです。繰り返しますが、今回の事例は取り沙汰するようなことではありません。今回の記事のような指摘は筋違いも甚だしいのです。



 今回の一件を受けて、一番の冷や汗をかいているのは「シャフト」なんじゃないだろうか。あそこは、テレビ放映時とパッケージの違いが昔から指摘され、ネタにすらなっているところでもある。『進撃の巨人』を制作している会社は『攻殻機動隊』などで著名な「ProductionI.G」から独立した「WIT STUDIO」であり、その処女作でこんな問題に遭遇するとは不運極まりない。つまらないことでケチをつけられ、なんだかシラけてしまう感じがする。一体、誰のどのような目的によって今回のような記事が仕立て上がったのか…不審でならない。願わくは、アニメの制作現場に負担がかかることなく、思うがままの活動が阻害されることのありませんように。

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2013/05/10(金) 23:16:15|
  2. アニメ時評
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