土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『けいおん!』#02~#07の感想。

「うぃ~、あいす食べたい…。」
『けいおん!』#07「新歓!」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。


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 『ガサラキ』を見た反動で#07までぶっ通しで見てしまったが、今は後悔はしていない…、いや、『けいおん!』を見てホッとしている自分に不安を覚える。。。いいんだろうか…。

 まず、大人が出てこない!!先生は例外と言っても、中身は子どもと同じだから除外wまぁ、紬の親はその経済的なバックアップとして存在感だけ示されますが。そして、男が出てこない!!背景的な役や端役でチラっと出るくらいで、ストーリーには影さえ落とさない。もはや、完全にある一定の受容者層をねらって作ったとしか思えません。しかしながら、大人気のようで…。
 アニメに登場する大人の扱いは作品によって大きく異なりますけど、かなり特徴的な扱いがなされます。特にジュブナイル作品では子どもと大人がひとつの対立軸になるし、大人を完全に出さない場合もある。むしろ、大人と言ってもごく限られた数人しか登場しないのが多いと思います。当然、大人が中心となるアニメもありますけど、それはそれ。作中では登場人物を湯水のようにたくさん使うわけにはいかないので、当然のこととして「登場人物」の「選択・抜擢」されます。ここで言う「登場人物」とは「主要キャラクター」と同じです。「ガヤ」と言われる背景の人は含めません。現実で何か行動すれば関係の濃い人から薄い人までたくさん関わることになりますが、アニメではキャラクターを多く出せば「覚えにくい」「人間関係がつかみずらい」と嫌われることにもつながります。だから、作品における必要性からして「登場人物」の選抜が行われます。現実的に実際的に考えるならば、関係の薄い人も含めて登場させなければならないところを、そういった関係から切り捨てることになります。つまり、どんな登場人物を選んでいるかによって、その作品の特徴や目指していることが見えてくることもある。
 すると、『けいおん!』では「大人」が切り捨てられていると言えます。作品の上では必要がないから、「大人」は登場させない。自分達の目指す世界には大人が必要ないので、捨て置いたわけです。これは明らかにひとつの「虚構」を作り上げる要素ですし、作者の意図が色濃く反映された結果だと思います。
 では、なぜ大人や男がいないのか。なぜ舞台は高校なのか。それは…、わかりませんっ!!ニートの理想郷なのかな?w学校という実社会の秩序とは隔離された「聖域」において、社会的に劣位におかれることなく特権すら持つような「学生」という身分で、特に経済的な自立を促されるわけでもなく、日々を自らの意志によって「楽しく」過ごすことができる。そんな環境への憧れなんでしょうか。それに、学校っていうのが汎用性のある舞台設定として機能しているようにも感じられます。高校への進学率は90%を超えているわけですから、実際にイメージのしやすい環境なんだと思います。『涼宮ハルヒの憂鬱』にしても『らき☆すた』にしても、なんというか、「理想郷」としての「高校」を舞台としている点では共通しているのかもしれません。それに、そういった作品を成立させる受け手側の意識ってのも、たぶん反映されてるんでしょうね。

 さて、現実に戻って明日の準備をしなきゃ。。。
  1. 2009/05/26(火) 22:06:30|
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