土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

『翠星のガルガンティア』#06「謝肉祭」の感想。

「なぁ、おまえさぁ、なんか、やりてぇこと、ねぇの?」
「同盟の戦線に復帰したい。」
「そうじゃなくてよぉ。今すぐこの場で、この船でだよ。」
「わからない。」
「自分の欲望をわかってないやつが、信頼されるかっての。」
『翠星のガルガンティア』#06「謝肉祭」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。




 あらゆる欲望を持っていないレド少尉は聖人の域に達しているのではないだろうか。よっぽど、毎回のサブタイトルを「はじめての〇〇」にするとぴったり。文化的な営為の存在を知ることが、後半になってどう作用してくるのかって感じはする。ようやくヒディアーズも登場して、次回は動きがありそうな予感かな。今回はシナリオが微妙すぎた。

■はじめてのお祭り

「ひょっとして、俺は不当な量をもらったんじゃないのか!?」
『翠星のガルガンティア』#06「謝肉祭」より

 まったく、またレド少尉が非文化的であることの印象付けですよ。生存に最低限必要な食糧の確保だけでは給料を使い切ることができず、途方に暮れてしまうあたりが非文化的な感じ。そこで、ピニョンがお金の使い方を教える回なのかと思いきや、あんまりそうでもなかった。

「ちょうどいいかも。これから、お金でいろいろ楽しいことできるよ?お祭り始まるからね!!」
『翠星のガルガンティア』#06「謝肉祭」より

 これも不審だった。お祭りだったのか?確かに、三人娘が特殊な衣服で不可解な運動をしてはいたけれども…。レドにお祭りという高度に文化的な営為を見せつけるのかと思いきや、ただ御馳走を食べて、踊りを見せるだけだった。お祭りと言うほど文化的な感じでもないのかな。。

「なぁ、おまえさぁ、なんか、やりてぇこと、ねぇの?」
「同盟の戦線に復帰したい。」
「そうじゃなくてよぉ。今すぐこの場で、この船でだよ。」
「わからない。」
「自分の欲望をわかってないやつが、信頼されるかっての。」
『翠星のガルガンティア』#06「謝肉祭」より

 欲望という主体的な動機を持つことができれば、ピニョンに信頼されるらしい。これはレド少尉に個性の獲得を要請するものであり、銀河同盟の一軍人として組織の歯車でしかなかったレド少尉にとっては理解の難しい問題でもある。本当なら、そこでレドがどうやって欲望を見出して動機を手に入れるのかっていう物語が描かれるべきなんだろうけど、単にピニョンの指摘を受けるだけに留まる。
 なんだろう、全体的に問題提起だけやって、何も作中で答えらしいものを出していないような感じがして手応えがない。レド少尉の欲望の問題なんて、アニメの文脈からすれば王道中の王道なのに、それほど大きく取り挙げずに肩透かし。むむむ、今後の展開で回収されるのだろうか。

■一心同体のレドとチェインバー

「チェインバー、いらない。俺が仕事する。」
「再度、異議。非効率的行動。」
『翠星のガルガンティア』#06「謝肉祭」より

 今回の話数は序盤でチェインバーから離れて行動するレド少尉が描かれ、後半になって、やっぱり一緒に行動してこそ互いが互いを補って具合がよくなるっていう筋立てだった。レド少尉としては、ずっと待機していることが自分のアイデンティティーを損ねているように感じられているのかな?ガルガンティアという組織の中で不要物となっている自分が嫌なのかもしれない。だからこそ、チェインバーに頼らずに仕事をこなそうという動機が生まれる。

「そんなもん、ねぇよ。目で見て判断しろ!」
『翠星のガルガンティア』#06「謝肉祭」より

 今までチェインバーによるサポートの上で作業をしていたため、自分の五感を使って作業することは苦手だったことが発覚。やっぱり、チェインバーとは一心同体ということなのか。既にチェインバーの機能はレド少尉にとって生存機能の拡張補助を担うものであり、レド少尉の行動もチェインバーのそれを前提として成立しているっていうことなのかもしれない。現代の感覚からすれば、スマホを取り挙げられたようなものなのかな。
 でも、この話の流れも不審ではある。欲望を獲得する流れに持っていくのであれば、レド少尉は自分の力で何かを成し遂げる方向へと進まなければならなかった。なのに、なぜかチェインバーと協力して昔に戻る感じ。元も子もない。

■物語上のご都合設定

 やっぱり、この作品は大きな矛盾を抱えているように感じられる。
 まず人類としては明らかに高度な技術を持っている銀河同盟そのものが、人間の文化的な側面をほとんど認めていない点が不審でならない。生物としては多様性の発達を否定することはできないはずなのに、レド少尉の言動からは無個性しか感じられず、それは個のポテンシャルを発揮して多様性を体現する方向性とは異なるようにしか思えない。無個性や無動機の現代人に宛てて物語を進めようとする都合から来る設定なのかもしれないし、もしくはレド少尉という前線の軍人だからっていうだけなのかもしれないけど、なんだか歯に何かが引っ掛かっているような感じ。
 その典型的な欠陥として、実はチェインバーが無人機として優秀であるということが挙げられる。あそこまでチェインバーが自立して活動しているとなると、レド少尉が搭乗している意味がなくなってしまう。今回は後半でレドの判断を求めるチェインバーの連絡が入ったけど、あれにしても、他の人間が「網を使え」と指示すれば済んでしまうほどの問題であって、レド少尉は必要なかった。しかも、極端に考えるのであれば、栄養補給を目的とするならば魚のすり身であっても用は足りる。なぜ銀河同盟がチェインバーに人間を搭乗させているのか理解できない。
 加えて、最後にレドがエイミーの肩を触っていることに気付き、ハッとして手を引く場面は不審でならない。あれって相手を女性であると意識していないと、そんな行動は取らないと思う。銀河同盟では生身での生殖は行われていないはずだし、それこそ女性の肩に触れてはならないという極めて文化的な意識をレド少尉が持っているわけがない。



 話の筋書きは綺麗に流れているように見えるけど、実は不思議な点がそこかしこに隠れている。SFを持ち出すなら、もうちょっと整合性を取ってもいいような気がするんだ。それにしても、今回は踊りの作画がめちゃくちゃ大変そうだった。クレジットから察するに、どうやら実写でダンサーの踊りを撮影してから、それを参考に作画したっぽい。すごくいい感じの映像になっていた。

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2013/05/13(月) 02:07:15|
  2. 翠星のガルガンティア
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

コメント

<%template_post\comment>


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://lizardofsuturn.blog40.fc2.com/tb.php/390-cef29d23
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。