土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『翠星のガルガンティア』#07「兵士のさだめ」の感想。

「殲滅の方針は間違っていない。地球人類のためにも必要なことなんだ。なぜ彼らにはそれがわからない。」
「推測、これまでの言語解析に照らし、地球人類の生存戦略の定義が同盟とは大きく異なるためだと思われる。」
「どういう意味だ?」
「その疑義への解答は、同盟標準辞書にない。ただし、地球語には存在する。」
「言ってみろ。」
「共存共栄。」
『翠星のガルガンティア』#07「兵士のさだめ」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。




 アニメではなくなってきている。いや、今回もアニメの文法や発想に基づいた表現は多くあった。ただ、それは方法でしかない。かたや『革命機ヴァルヴレイヴ』がラノベの方法でアニメの魂を貫こうとしているのに対し、こちらはアニメの方法でアニメでもラノベでもないことをしようとしている。というか、アニメアニメした魂を感じない。最も具合悪く感じるのが、レドの動機付けが不鮮明である点と、問題にぶちあたったときの葛藤が言うほど大きく描かれない点。文化の大切さを具体的に描くことや、共存共栄という発想を殲滅と対峙させて上位に置こうとすることなど、それはサイドメニューとするべきであって、それ自体を目的として描いても理念なき理想みたいでグッと来るものがない。しかも、それがご都合設定の上に成り立つものと感じられる以上、そこに説得力が生まれる余地は少ないように思う。魂がない。

■レドの存在意義

「なんてこと…!」
「クジライカは大昔から人々に神聖視されてきた生き物です。それを…、意味もなく殺すなど。」
『翠星のガルガンティア』#07「兵士のさだめ」より

「公務はほどほどにして、たまには休暇を考えるべきです。緑の多い本船に移って…。」
「好きなのだ、ここが。わたしはもう歩けんが、この船団がどれだけ大きいか、この足がちゃんと覚えている。どんな者たちが乗っているのか、この目と耳が覚えている。わたしは、ここに住む者たちが微笑む顔と、その声を守り続けたい。それが私の、生きている証だ。」
『翠星のガルガンティア』#07「兵士のさだめ」より

「クジライカは手出しすれば、本当に恐ろしい生き物だけど、向こうから襲ってくることはないんだ。」
『翠星のガルガンティア』#07「兵士のさだめ」より

「なんで地球に来てまで戦争の続きをしようとするの?関係ない争いを持ち込まないで!!」
『翠星のガルガンティア』#07「兵士のさだめ」より

 ここらへんがガルガンティア側のクジライカに対する受け止め方。及び基本的な考え方。祟りだとか神聖視だとか、いわゆる自然に対する畏怖の念をクジライカに向けたものと考えらえる。また、船団長の言葉はガルガンティアにおける文化性を示すものとして、レドのような非文化的な存在と対置させられるような内容だった。要は互いに尊重し合い、互いの領分を侵すことなく、それぞれが折り合いをつけながら生活するという、まさしく共生のスタイルになっている。
 また、フェアロック船団長の「生きている証だ」という言葉は大きな意味を持っていると受け止める必要がある。彼らガルガンティアの住人にとって、自らのアイデンティティーは日々の生活の中にあるということであり、それはレドのそれと大きく異なる。レドの場合には戦場の中においてこそ自らの存在の価値があり、彼は戦場にいない限りは自らの価値を保証されることがないと思っている。人類銀河同盟においてはそうかもしれないが、ガルガンティアにいる今は違う。前回までにガルガンティアの文化的な風習に具体的に触れ合ってきたわけだから、次はそこに自らの存在価値を認める段階に話を持っていくということなのだろうか。とりあえず、フェアロック船団長の発言はレドの思考と対立させて捉えるべきものだった。

「ヒディアーズの侵攻が、この地球にまで…。」
『翠星のガルガンティア』#07「兵士のさだめ」より

「ありえない、あれは皆殺しにすべき敵だ!なぜわからない!」
『翠星のガルガンティア』#07「兵士のさだめ」より

 そして、これがレドのヒディアーズに対する認識の一端。ヒディアーズを敵と認識する点はガルガンティアのそれと対立するものとして捉えればそれで済むんだけど、問題は彼の発言にまったく根拠がないこと。なぜレドがヒディアーズを皆殺しにすべき敵だと言っているのか、まったく説明がない。確かに、人類を襲う脅威であることは理解できるけど、それが皆殺しに直結するとは考え難い。

「つまり、他にもたくさんいるというわけだな。ならば、俺は使命を果たすために、これからもそうする。」
「あなた、何を言っているか、わかって言っているの?」
「ヒディアーズは人類全体への脅威である。殲滅戦以外、取り得る道はない。」
「それは、あなたがそう言っているだけ。わたしたちには、クジライカを殺す必要なんて、欠片もない。」
「脅威を抜本的に排除せねば、真の安寧はない。」
「あなたは今、どこにいるの?ガルガンティアでしょ!」
『翠星のガルガンティア』#07「兵士のさだめ」より

 結局、レドがなぜヒディアーズを殲滅しようとするかと言うと、彼の内発的な動機からすれば、単に自分の存在価値がヒディアーズを殲滅することによって人類銀河同盟に認められるというだけでしかない。素直に動機付けを考えるならば、ヒディアーズと戦う理由は人類の脅威であるためではなく、ヒディアーズを倒せば自分がみんなに認められるから、となる。しかし、ガルガンティアにはそんな価値体系は存在しないため、それを行ったところで評価されない。ここらへんのレドの妄信的なヒディアーズへの捉え方が、まるで人類銀河同盟によって洗脳されているかのような印象を与え、彼に主人公として求められるべき葛藤から遠ざけてしまっている。まるで、レドは人形であり、マニュアル人間であり、意志がない。自立した思考を持たない以上、チェインバーのほうが優秀と言わざるを得ない。

「俺は、やつらを殺すために生きている。」
「そんなことしなくったって、レドはレドなのに…。」
『翠星のガルガンティア』#07「兵士のさだめ」より

 ここでのベベルの発言が決定的だった。ベベルはレドがヒディアーズを殺さなくても、レドとして存在意義があることを訴えている。これはガルガンティアにおける文化的な生活を基盤としているからこその発想であり、そこに生きることをレドが選びさえすれば、ベベルの論理をレドも受け入れることができるのかもしれない。

■ヒディアーズはアンチスパイラルなのか

「現在は貴君らの文明が未熟なため、ヒディアーズに無視されているに過ぎない。衝突は時間の問題であり、そうなったとき、貴君らはどう対処するつもりか。具体策を講じているか、さらなる文明発展へのビジョンはいかなるものか、それを顧みず、貴君らは同じ人間同士で争っている。敵意を向けられてからでは遅い。そうなる前に、俺が叩く!」
『翠星のガルガンティア』#07「兵士のさだめ」より

 まず、ヒディアーズが人類を無視する要素を認識しているならば、なぜヒディアーズが人類を敵視する要素を人類自らが排除する方策が取れないのだろうか。避ける方法があるとわかっているなら、多大な被害を引き受けて戦争を選ぶ必要はない。ここらへんからも、人類銀河同盟がヒディアーズの殲滅を選択している理由に不信感が滲み出てきている。さらには、レドだけを見ていると、どうしても人類銀河同盟が文明的に発達したものと考えることはできない。そもそも、共存共栄という言葉が辞書に乗らないような文化など、ナンセンスでしかない。そんな同盟から出たレドが文明発展とか言ったところで、何も説得力はない。
 というか、同じ人間同士で争っているというレドの認識も間違っている。先の人間同士の争いはレドが人殺しをしたために起こった事態であり、そうでなければ、互いに利益を争いはしても、生命を奪ったり殲滅しようとしたりすることはない。これはベローズからもお説教されていた。それに懲りず、レドの考え違いが表れている。

「殲滅の方針は間違っていない。地球人類のためにも必要なことなんだ。なぜ彼らにはそれがわからない。」
「推測、これまでの言語解析に照らし、地球人類の生存戦略の定義が同盟とは大きく異なるためだと思われる。」
「どういう意味だ?」
「その疑義への解答は、同盟標準辞書にない。ただし、地球語には存在する。」
「言ってみろ。」
「共存共栄。」
『翠星のガルガンティア』#07「兵士のさだめ」より

 いや、やっぱりチェインバーは賢いwもはやレドはお人形でしかない。
 単にレドが戦場の前線に送り込まれる兵士だから、人類銀河同盟から文化的な知識は与えられずに、兵士として洗脳教育されているっていうことなんだろうか。それにしても、視聴者としては人類銀河同盟のキャラクターは、基本的にレドしか印象に残っていない。そのため、レドの考え方=人類銀河同盟と考えざるを得ない。
 なんというか、この状況を察するに、どうしても『天元突破 グレンラガン』の設定が頭をよぎる。さしずめ、ヒディアーズはアンチスパイラルといったところか。アンチスパイラルは人類の極度の発展を阻害するもので、そうすることで、発展による人類の自己破綻を防ぐためのシステムとして機能していた。なんだか状況が似ている気がする。

■銀髪のレド

 すっかり見落としていた。レドは銀髪だったのだ!
 アニメの文脈において、銀髪のキャラクターというのは「人形」としての記号を背負うものとして認識される。多くの場合は瞳の色も金色だったり銀色だったりと、特殊な色をしている。そのようなキャラクターを物語に登場させ、彼らに人間というものを客観視させることにより、人間らしさを浮き彫りにするといった仕組みがある。ロボットが人間に恋をしたならば、そこには恋心を抱く状況が人間で描くそれよりも印象的に描くことができるという寸法だろう。
 今までの作品においても、たとえば『機動戦艦ナデシコ』のホシノ・ルリ、『CLAYMORE』の銀瞳の魔女たち、『GENESHAFT-ジーンシャフト-』のレジスタたち、『涼宮ハルヒの憂鬱』の長門ユキ、『Darker than BLACK 黒の契約者』の銀、『機動戦士ガンダム00』のマリー・パーファシー、『Angel Beats!』の天使などなど多くみられ、銀髪でないにしても、『機動戦士ガンダム』シリーズのララァやフォウやプルも然り、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイや『交響詩篇エウレカセブン』のエウレカも同様だろう。明らかにレドもこの文脈に則っている。彼というマニュアル人間で人形的な思考を持つ自立していない存在を据えることにより、ガルガンティアの文化的で人間的な生活の様相を客観的に捉えることができる。そして、そんな彼が文化を認め、自らの存在意義をヒディアーズ殲滅ではなく、ガルガンティアで生きることへとシフトしたとき、物語は大きなエクスタシーを迎えることになるのかもしれない。



 どうせ、クジライカって、人類が開発したナノマシンの影響で特殊な進化を果たした海洋生物じゃないの?クジライカが銀河道に群れるあたり、そんな推測が立つ。それで、レド自身も時空転移をしていて、クジライカが宇宙へと進出する光景を目撃するみたいな。実はクジライカがヒディアーズとして人類を敵視するキッカケを作ったのがレドでした、みたいなオチだったら笑える。

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2013/05/20(月) 05:44:06|
  2. 翠星のガルガンティア
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