土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

『翠星のガルガンティア』#08「離別」の感想。

「今までありがとう、翠の波の恵みあらんことを…。」
『翠星のガルガンティア』#08「離別」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。




 やっぱり総合的な映像クオリティーが半端なくすごい。今期の中では言うまでもなく抜群だし、歴代と比べても劇場版クオリティーに匹敵するものと思う。毎週放送のあるテレビシリーズとしては異例の手間のかかりようって感じ。特に3Dを手描きの作業工程に上手く溶け込ませているのと、デジタル撮影による処理のかけ方の2点が、この作品を突出させる主な要因なんだろうか。波処理なんて、すごすぎてびっくり。いや、当然、作画もすごい。今回はリジットとエイミーの俯き加減で悲嘆する表情が良かった。


■自分と向き合わない主人公のレド

「どうして自分のこと、大事にしてくれないんだろう。お祭りのとき、レド、楽しそうだった。笑ってたんだよ?でも、今は…、初めて会ったときより、苦しそう。きっと、あの時のレドが本当のレドだったのに。」
『翠星のガルガンティア』#08「離別」より

 前回のベベルと同様に、エイミーもお祭りで楽しんでいたレドに意味を見出していて、別に戦わなくてもレドはレドなんだってことを言っている。銀河同盟の一員であるレドにとっては、そりゃぁヒディアーズの殲滅こそアイデンティティーの根幹を成すものなんだろうけど、ここはガルガンティアなんだってば。せっかくエイミーたちから文化たるものを学んだというのに、特に心変わりせずに戦闘へと突入。

「ベベル…。」
「行っちゃうんだね。」
「あぁ、行く。」
「どうしても、行かなきゃならないの?」
「そうだ。」
「それが、本当にレドのやりたいことなの?」
「人類を守るためだ。エイミーを守るためでもある。」
「姉さんは、そんなこと望んでないのに。」
「これは、君が持っていて欲しい。」
「えっ!?でも、大切なものなんでしょ?」
「それは、もともと俺に似た子どもが作っていたものだ。」
「レドに似た…。」
「今思えば、弟だったのかもしれない。」
「それなら…。」
「銀河同盟では、戦えない子どもは生き残れない。ヒディアーズが人類の生存領域を圧迫しているせいだ。」
「でも…!!」
「地球のヒディアーズも、やつらの生存領域が拡大すれば、必ず人類と衝突する。」
「でもクジライカは…。」
「あれはヒディアーズだ。銀河同盟と同じになれば、ベベルは生きていけない。エイミーにはそんな別れを味あわせたくない。」
「違う、違うよレド!そんなことにはならないよ!!」
「エイミーを悲しませたくない。だから、ヒディアーズを倒す!!」
『翠星のガルガンティア』#08「離別」より

 レドとしては自分の弟と離別した経験をもとに、エイミーやベベルに同じような悲しい経験をさせたくないという動機を持ったのかな。まぁ、エイミーを悲しませたくないから戦うっていう論理は、今までの人類のために戦うっていうのより格段に個人的で文化的なのかもしれない。けど、ベベルの言う通り、それでもないんだよ。
 レドの言っていることは、単に「人類のため」を「エイミーのため」にすり替えただけであって、実は何も進歩していないんじゃないのか。ガルガンティアの論理から言えば、レドがレドであることが大切なのであって、それは既にエイミーやベベルの思い出として共有されているものでもある。そんなエイミーやベベルの一部となっているレドが自ら身を捨てることは、彼らにとっても悲しい出来事にしかならない。レドはそこがわかってない。結局のところ、レドはガルガンティアの持つ共生や文化の発想を理解できなかったのかも。
 うーん、動機を持たない主人公ってのは流行りなのかな。どうしても抗えない流れなんだろうか。当然、ライトノベルの主人公たちは動機なんて持たず、女性たちに振り回されることを宿命付けられている。そうなんだけど、マンガやオリジナルアニメまでが同様の文脈を共有することになろうとは、ちょっと意外というか残念な感じ。アニメって、どうやって動機を獲得して自分の居場所を見つけるのかっていうところで格闘するんじゃなかったのかな。。『機動戦士ガンダム』だって『新世紀エヴァンゲリオン』だって、『ガールズ&パンツァー』だって、みんなそうだった。今回のレドも同じく動機やら自分やらをどうにかするポジションには置かれているんだけど、解決とか成長の経過が見えない。ただ目の前に置かれたヒディアーズ討伐っていうことを生きる目的にしてしまい、何も自分と向き合っていない感じがする。そんなのは生きる方法でしかないというのに、なぜ生存を目的にしてしまっているのか。せっかくアニメの文脈に沿って銀髪の見た目にしたのに、それが生きていない。

■グッと来ない脚本

「地球の位置座標を確認。」
「えっ…?」
「銀河同盟標準座標による現在位置を確認。」
「本当か!!帰還は!!可能か!?」
「帰還には超光速航法が必要。よって、当機単独では不可能。」
「なにっ…。救難信号は!?」
「当機が地球に不時着して最初に発信した信号が到達するまでに、凡そ6582年と16時間20分を要する。」
「そんな…、バカな。」
「本隊への帰還は事実上不可能と断定。」
「帰れない…。」
『翠星のガルガンティア』#08「離別」より

 うむむ、時空転移とか量子論的多元宇宙の発想は用いられなかったのか。ただ単純にレドは超光速航法の途中に漂流して地球に来たというだけなんだね。ってことは、それだけヒディアーズは宇宙のあちこちに汎用的に存在しているっていうことなんだろうけど、それって設定として成り立つんだろうか。
 あれだけ高度な重力制御の方法やら生物を蒸発させる反物質弾的な技術を持っていながら、いまだに通信手段が光の速度を超えていないっていうのも技術的な不均衡を感じる。人を光の速度を超えて移動させることができるのに、単なる信号を送るのにそれができないだなんて…。確かに単機では無理なんだろうけど、なんだか脚本のご都合な気がして仕方ない。
 リジットが船団長を継ぐ文脈も物足りなかったし、レドとエイミーの恋愛絡みの文脈もいつのまにやらっていう感じ。ここらへんの文脈の途切れ感もラノベに似ているところではある。なんだか、グッと来ない。



 なんていうか、『進撃の巨人』『翠星のガルガンティア』『革命機ヴァルヴレイヴ』という注目株が打ち揃ってラノベに追従しているのが情けない。いつからマンガとアニメはラノベの後塵を拝するようになったのか。そうなると、やっぱり『ガールズ&パンツァー』が如何に立派であったかを思い知らされる。そうなんだけど、ここまでカロリーの高い作品を作ってるだけに、もったいない気がする。最終回まで見ないとなんともだけどさ、なんとかなるといいな。。。

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2013/05/27(月) 03:33:27|
  2. 翠星のガルガンティア
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:0

コメント

<%template_post\comment>


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://lizardofsuturn.blog40.fc2.com/tb.php/396-83d5cec8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

◎翠星のガルガンティア第8話「離別」

=>フェアロック:リジットこれを、船団を頼むロ)船団長!!→フェアロック、死亡確認#位置座標確認、帰還には単独では不可能。救難信号が到達するまでに6582年を要するレド:そんな...
  1. 2014/02/14(金) 19:48:22 |
  2. ぺろぺろキャンディー

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。