土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『革命機ヴァルヴレイヴ』#08「光の王女」の感想。

「犠牲者はゼロって言ったくせに。いきなり契約違反か?」
「いいや、契約通りだ。探しに来ることはわかっていた。お前の甘さも、俺の計算のうちだ。」
「苦いやつ…。」
『革命機ヴァルヴレイヴ』#08「光の王女」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承のうえお進みください。




 この作戦、大河内さんか!!と思ったら、脚本は熊谷さんだった。あの海水流出を使った多目的作戦は『コードギアス 反逆のルルーシュ』で見たメタンハイドレートや租界構造を利用した作戦のキレ味に酷似していたんだけど、まぁ、シリーズ構成なんだから大枠では手を入れているはず。なんにしても、脚本に匠の技を感じる。幼女の登場、ルーンの光、いつの間にかレギュラーになってるパイロットスーツ、などなど、新たな展開も見せつつ期待は高まるばかり。

■デコイとして作用する時縞ハルト

 ハルトって主人公は主人公なんだけど、存在感がない。というか、主体性が見られないし、それを物語の中で伸ばそうという気配もない。かと言って、物語の展開や事態を観察する立場に置くわけでもない。いかにもライトノベルの主人公らしい受け身な性格付けがなされ、視聴者に何もストレスを与えないよう配慮されているように思う。

「時縞ハルト、契約の答えはまだか。俺と契約すれば救ってやる。お前も、この国も…。」
『革命機ヴァルヴレイヴ』#08「光の王女」より

 ハルトはなんとなく舞台に立ってはいるんだけど、そこで自ら演じているわけではないように見える。ここの場面でも、ハルトの決断に従って物語は進むものの、ハルト自身が何かしたわけではなかった。むしろ、物語の傍観者であることに意味があるように見える。ただし、物語を進める上で重要な鍵は握っている。そんな、主人公であって主人公でないような印象がハルトにはあるように思う。たとえば、『機動戦士ガンダムUC』のバナージ・リンクスであれば、バナージ自らが葛藤して悩んで事態の打開へと行動する主体性を持っていたし、あるいは、『∀ガンダム』のロラン・セアックは言うほど主体的な行動は取らないものの、物語を観察する立場として主人公の務めを果たしていたように思う。今回のハルトはそのどちらでもなく、やっぱりライトノベルの主人公と同じ性格を持つものと考えたほうがいいんじゃないのかな。

「君にだって、ここで終われない理由があるんだろ?僕もそうだ。」
「やめて、時縞くん!悪魔と取引するようなものよ!!」
「大丈夫です。呪いなら既に受けていますから!」
「えっ…!?」
「僕がみんな救ってみせる。学校のみんなを!お前と、写真の人もだ!!」
「戦争に巻き込まれても、お前の甘さは直らないようだな。」
「コーヒーは砂糖入りがおいしいんだ!苦過ぎる君と合わせたら、ちょうどいい味になる!取り引きだ、エルエルフ。勝利のために、平和のために、二人の夢を叶えるために!!」
「夢……。ふっ…、前言撤回だ、お前の言う通り、犠牲者はゼロで行く。」
『革命機ヴァルヴレイヴ』#08「光の王女」より

 つまり、ハルトは選択する人物であり、行動する人物ではない。それは、ギャルゲーに端を発するライトノベルと同様に、ルートを選択することで物語が進む構造に由来するものであって、これまでのマンガやアニメで描かれてきた英雄的な主人公像とは少し文脈を異にする。それをオリジナルアニメでやってしまおうとしているんだから、その点がこの作品の画期的なところでもあると思う。思うけど、ちょっとライトノベルの後塵を拝しているだけに見えなくもない。

「何もできなかった…、俺は。」
『革命機ヴァルヴレイヴ』#08「光の王女」より

 そして、もともとマンガやアニメで主人公として描いてきた像というのが、流木野サキや指南ショーコや犬塚キューマやエルエルフやアードレイに分霊される。特に今回は犬塚キューマの抱いた自身への無力感がそうだった。あれは本来的には主人公に託されてきた感情であって、脇役が持つものではない。『機動戦士ガンダムUC』のバナージ・リンクスもオードリーを助けられない自分の無力さを嘆いたし、『コードギアス 反逆のルルーシュ』のルルーシュ・ランペルージもナナリー総督の登場によって自身を否定しようとした。
 言ってしまえば、要は主役に負荷されるべきストレスを脇役に与えているような感じなのかな。そうすることによって、主役はノンストレスな状態で物語を進めることができ、視聴者も何の気兼ねなく主人公視点で物語へと没入することができる。どんな主人公を視聴者が求めるのかっていう、主人公像の歴史になるんだろうけど、どうにも受け身でノンストレスな主人公っていうのが流行りなんだろうか。なんだか主役の実態がないように見えて、囮=デコイとしての形式的な主人公に思えてならない。

■記号化される選択と契約

「犠牲者はゼロって言ったくせに。いきなり契約違反か?」
「いいや、契約通りだ。探しに来ることはわかっていた。お前の甘さも、俺の計算のうちだ。」
「苦いやつ…。」
『革命機ヴァルヴレイヴ』#08「光の王女」より

 ここらへんでハルトがエルエルフを信じるに至った経緯は作中で描かれなかった。というか、文脈の端っこだけ見せて、丁寧に描写しなかっただけっていう感じ。
 前回のラストでハルトはエルエルフの過去を見たわけで、それをキッカケとしてエルエルフの人間性を信頼したんだと思う。エルエルフに乗り移っていたからこそ判断できたものであって、他人からすれば根拠のない暴挙としか見えなかったんじゃないのかな。ハルトの持つ特殊能力によってエルエルフの思考を共有できたからこそ、エルエルフの提案を受け入れることができた。

「命を半分なんて、できるわけない!!」
「女の命だって、お母様が…。」
「何が半分こだ…。その甘さが…。」
『革命機ヴァルヴレイヴ』#08「光の王女」より

 ただ、引っ掛かる。ここでもハルトは何もしてない。
 ハルトは今回の事態を打開するために何か行動したかというと、何もしていない。そりゃぁ、ヴァルヴレイヴに乗って戦いはしたけど、それは天賦のものであって彼の努力や才能に由来しているものではない。たまたま、彼がそこにいたというだけ。それだけならまだしも、彼が何か悩んでいるわけではない。苦悩や葛藤すら彼は行わず、もっとひどいのが、ハルトはエルエルフの思考を「思いやる」過程ですら特殊能力によって省略してしまった。したがって、ハルトがやったことと言えば、単に選択したり契約したり取引したり、そんな判断をしただけでしかない。
 ヴァルヴレイヴと契約したから主人公になれたし、エルエルフと取引したから事態を打開できた。何とどう契約するかが問題であって、本人の努力や才能は関係しない。苦悩や葛藤もほとんどない。ノンストレスで、あるがまま。あたかも契約・選択・取引するかしないかという判断そのものに主体性があるかのように描かれ、それが自我の境界を形作っているようにさえ見えてしまう。努力も才能もなしに「自分らしさ」を手に入れられるなら簡単だけど、なんかズルいでしょ。
 確かに現代は再帰性の時代だとか言われているけど、人の気持ちを思いやる過程さえ記号化してしまい、選択することそのものに主体性の発現を認める状況は好ましくないように思う。というか、それを主人公としてヒーローとして描かれることに、何か抵抗を感じてしまう。時代の流れなのかもしれないけど、脚本家こそ、悪魔と取引をしたのではないのか。



 なんていうか『十二国記』の「図南の翼」に出てくる「鳳翼に乗る」という表現にぴったりの感覚がある。まさに、キターーー!!って感じ。大作が生まれる瞬間に立ち会っているというか、これから大作になろうとする過程に同行している感じがする。ノリノリでしょ。

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2013/05/31(金) 22:20:01|
  2. 革命機 ヴァルヴレイヴ
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◎革命機ヴァルヴレイヴ第8話「光の王女」

Θ61年兵>早く捕まえろ!→エルエルフが王女と出会う>いたぞ、撃て!ダメだ姫様が!エル:銃を捨てろ!こいつを殺す=ライ>起きたか、聞えてるか->6時間、国が滅びるまでの時間だ敵がくる...
  1. 2014/02/27(木) 05:22:17 |
  2. ぺろぺろキャンディー

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