土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『翠星のガルガンティア』#10「野望の島」の感想。

「戦えと、強いるのか。機械のお前が、人間の俺に!?」
「わたしは、パイロット支援啓発インターフェイスシステム。貴官がより多くの成果を獲得することで、存在意義を達成する。」
『翠星のガルガンティア』#10「野望の島」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。




 なんでこう、アイジーって衒学的な内容を志向するんだろうか。押井さん、神山さん、櫻井さん、小中さんなど、今までの作品で見せて来た衒学性というのは良かったと思う。ただ単にロジックをイジるだけじゃなくて、そのロジックの奥に描こうとしていた内容がしっかりと見て取れた。『攻殻機動隊』シリーズも、『神霊狩 GOHST HOUND』も、『RD潜脳調査室』も、どれも衒学的な内容とその意義とが双方揃って確固として存在していた。けど、今回のはヒドい。なんだか難しいことを言っているように聞こえるけど、中身はすっからかんにしか見えない。さらには、論理や設定すら破綻して一貫性を失っている。そもそも、説明することで物語を紡ごうとしている時点で負けでしょ。映像がいいだけにもったいない!!

■共生理念と排除理念の相剋

「レドとチェインバーがいれば、クジライカの巣の奥を探れる。そこまではいい。だが、引き揚げた物を、他の船と取り引きするでもなく、近付けば攻撃するなどと、わけのわからんことを…。」
『翠星のガルガンティア』#10「野望の島」より

 結局、現在の地球に生存している人類の持っている考え方というのは、第一に「共生」の考え方だった。ガルガンティアから離脱したフランジもそうだし、これからガルガンティアを離脱しようとする人々に対するリジットの対応も相手を尊重するものだったし、オルダム先生もレドの行為を「バカなこと」と嘆いていた。クジライカとも共生を図っていたガルガンティアであり、たとえ海賊に襲われても命を取る必要はないと考えてもいた。

「貴官は当機と共に、人類の尊厳をかけて戦わねばならない。根幹を同じくするものとの争いにおいて、敗北は即滅亡を意味する。文明を追究することと、それを放棄すること、人類銀河同盟とヒディアーズの戦争は、二つの異なる生存戦略の相剋であり、敗者は淘汰を待つのみである。」
『翠星のガルガンティア』#10「野望の島」より

 一方、チェインバーやレドは相手を排除することを基本的な行動の理念とする。今までの話の中でも、ガルガンティアの発想と対立するものとして提示されてきたものであり、この作品の中核をなす発想だろうと思う。戦わなければ、相手に自分が殺されてしまう。共生の活路を模索するもでもなく、既に戦争に訴えるしかない状況にあるというのがレドたちの建前だった。これを物語がどう解決するのか…。
 のはずだったのに、この場面でチェインバーが言っている相剋っていうのは、まったくの別物だった。前回の説明にあった通り、ここでの相剋っていうのは、人類が宇宙に進出するにあたって、自らを遺伝的に進化させるかどうかっていうところでの倫理観の相違に端を発するものだった。共生も排除も、何もあったもんじゃない。それとは別のところで発生した問題であり、しかも物語はそれに触れず、前回の説明で一気に消化しただけの内容に過ぎない。
 結局、この物語が何を問題として提示して、何を伝えようとしているのか、具体的な話が見えてこない。さんざん描いてきたガルガンティアでの文化的な生活も、共生を理想とする考え方も、今回のチェインバーの話からすれば帰結への道から遠ざけられたように思う。

■急に思春期へと突入するレド

「どうしちまったんだよ、レド!!なに、怖気づいてんだ!!」
「怖気づく…、俺が!?ふざけるなっ!!ヒディアーズは殲滅した。畏れることなどない!!畏れなど…。」
『翠星のガルガンティア』#10「野望の島」より

「俺は何をやってるんだ…!?なんのために、誰のために、いつからだ?この異郷の地で目覚めたときからか?チェインバー、マシンキャリバーに初めて乗ったときからか?生まれた時からか?」
『翠星のガルガンティア』#10「野望の島」より

 え、いつからレドは人間っぽい感性を持つようになったの?今まで何も葛藤なくヒディアーズたちと戦ってきていたし、その理由はレドが洗脳教育と言ってもいいくらいの人類銀河同盟に対する忠誠を示していたからだったろうと思う。いわば、単なるコマであって、思考を持たない兵士だった。それが、今回になって急に葛藤を始めて恐れ戦いていた。あんな自発的な動機も持たないまま機械的にクジライカを虐殺していたのに、反省も何もあるわけないじゃん。そもそも、対ヒディアーズ戦に特化したような人物であるのに、人間を殺したら悪だという発想を持っているのが不思議なところでもある。そういう倫理観を習得していたのであれば、神殺しとも言えるクジライカの虐殺を平気で行えるようには思えない。そもそも、レドは思考を捨てた人間として今まで描かれてきたのに、なんで急に人間らしく思考しているのか。

「地球のヒディアーズも、やつらの生存領域が拡大すれば、必ず人類と衝突する。」
「でもクジライカは…。」
「あれはヒディアーズだ。銀河同盟と同じになれば、ベベルは生きていけない。エイミーにはそんな別れを味あわせたくない。」
「違う、違うよレド!そんなことにはならないよ!!」
「エイミーを悲しませたくない。だから、ヒディアーズを倒す!!」
『翠星のガルガンティア』#08「離別」より

 ようやく前々回で動機が芽生えたのかと思ったら、こんな感じだった。文明や共生といった考え方を体感しても理解することなく、エイミーを守るためと言って、ヒディアーズとの戦闘に身を投じていった。ここからは、相手が自分たちに危害を加える存在だから戦うっていう意図しか読み取れないんだけど、そうなると、なぜヒディアーズが人類と知っただけで戦闘意欲を失うのか説明がつかない。たとえ相手が人間の進化形態であっても、自分たちに危害を加える存在であることは何も変わらない。
 以下、長いけどレドとチェインバーの問答。

「ヒディアーズの記録映像の裏付けとなる事実を発見した。ヒカリムシである。ヒカリムシはナノマシンであり、ヒディアーズの外殻と事実上、同じものである。電磁波を吸収し、高効率でエネルギーに変換する。同時に、自己を複製し、疑似炭素結合することで、堅牢な外骨格としても機能する。これは、ヒディアーズが人類の恣意的進化の帰結であることの証明であり…。」
「お前は、なぜそうなんだ!!銀河同盟の、俺の戦いの意味が根こそぎ否定されたってのに!!」
「貴官の認識に誤りが認められる。」
「ヒディアーズが進化した人類なら、俺は戦えるのか!?戦って、そこに意味はあるのか??ないなら、俺は戦えない。あの生き物を、俺は殺せない。」
「容認できない。貴官の認識は貴官と当機の存在意義を否定するものである。」
「お前も見ただろう!!生まれたばかりの、クジライカの姿…。同じ人類が殺し合っているんだ!!それが、俺たちの戦争の正体なんだ!!」
「当該情報を得ても、なお、ヒディアーズの殲滅を放棄する理由は存在しない。」
「お前にないだけだ!!俺には…。」
「否定する。ヒディアーズが人類にもたらす根源的破滅、それを回避することが、貴官の唯一の任務である。」
「どちらも人間じゃないか!同盟のお題目はもうたくさんだ!!」
「否定する。当機と同盟の並列リンクは喪失している。これは当機が独自に行った情報解析による結論である。」
「なに…?」
「人類とヒディアーズは決して相容れることはない。なぜなら、彼らは文明そのものを否定した存在だからである。」
「どういう、ことだ?」
「もし人類がヒディアーズのように強靭で万能な肉体を備えていたならば、そもそも、マシンキャリバーなど開発する必要性はなかった。当機のシステムは、人類の叡智の結晶である。だがそれは、人間がその脆弱な肉体を補うべく必要とされたもの。人間は自らの限界を超えるべく、知能を発展させ、文明を築いたものだと推察する。文明の存在こそ、人類が万物の霊長たる所以である。だが、人の形を捨てたヒディアーズに、肉体的な限界は存在しない。生物としての幸福と満足を追求するだけならば、必ずしも、その知性が高等である必要はない。マシンキャリバーは人類が人類たりうる唯一の拠り所、すなわち、文明によって生み出された純粋知性の結晶。そして、ヒディアーズは、その知性すら克服することで、生命体としての一つの極北に到達した。」
「究極の生物だと言うのか?ヒディアーズが…。」
「ゆえに、貴官は当機と共に人類の尊厳をかけて、戦わねばならない。根幹を同じくするものとの争いにおいて、敗北は即滅亡を意味する。文明を追究することと、それを放棄すること、人類銀河同盟とヒディアーズの戦争は、二つの異なる生存戦略の相剋であり、敗者は淘汰を待つのみである。」
「淘汰…。」
「貴官が生存を欲する限り、選択の余地はない。」
「戦えと、強いるのか。機械のお前が、人間の俺に!?」
「わたしは、パイロット支援啓発インターフェイスシステム。貴官がより多くの成果を獲得することで、存在意義を達成する。」
『翠星のガルガンティア』#10「野望の島」より

 まず、ヒディアーズが人類の恣意的進化の帰結であったとしても、レドの戦いの意味が否定されたことにはならない。先ほども指摘した通り、彼の目的は外敵の排除であって、それはヒディアーズが人類だったとしても外敵には変わらない。また、なぜ相手が人間だと戦う意欲を失うのかという点も筋が通らない。あれだけ#02「始まりの惑星」のラストで海賊を躊躇なく蒸発させたくせに、今さら気に病むようなことではないはず。そこからレドが精神的に成長したからだと言えるほど、物語はレドの精神的な変化を描いているわけではない。他人の戦争だったら人を簡単に殺すけど、自分たちの戦争だったら…、って言うにしても、文脈が足りない。
 最大の不可思議なところは人類銀河同盟に文明があると考えている点だと思う。レドを見る限り、彼に文化的な生活を行ってきた痕跡は見出せない。だからこそ本作はレドに文化的なバーベキューやら祭りやらを体験させてきたわけであるし、仮にレドが人類銀河同盟の兵士でしかなかったから文明を知らないだけだったとしても、物語が描かない以上は存在を視聴者は確認することができない。
 チェインバーを通して語られる文明に対する考察も不出来。いわゆる、タラレバの仮定理論から出発した論というのは、確たる証拠を後追いで示さない限りは最終的な説得力に欠ける。また、文脈がつながっているようでいて、途中でコロコロと飛躍している。マシンキャリバーが人類の脆弱な肉体を補うべく開発されたとする発想も眉唾な説だと感じる。従来のアイジー作品が見せた衒学的な場面としては緻密さに欠ける印象が残る。
 それに、視聴者が無条件かつ無批判に前提とするべきものとして、この作品は、人類銀河同盟が文明を持っている集団であり、ヒディアーズという集団のすべての存在が恣意的進化を遂げた姿で生きていると考えることを要求しているように思う。描かれない設定を鵜呑みにさせられる不快感は拭えない。
 なんていうかさ、実はチェインバーが『魔法少女まどか☆マギカ』のキュゥべぇなんじゃないかって思えてきた。レドっていう意志を持たないはずの戦闘兵器を戦争へと仕向けるため、巧言を駆使してレドを戦いへと導こうという作為を感じる。それほど優秀なシステムだったのか!wみたいな。レドに「より多くの成果」を挙げさせるためには、嘘だろうとなんだろうと、レドを煽ってでも戦わせるとか。そう思えるくらい、チェインバーのレドに対する説得は論理が通らずに不可解でならないし、レドの動機付けの部分もはっきりとせずに気持ち悪い。



 制作元請の作品で、メカで宇宙でロボットでSFでっていうものはアイジーにしても初めてじゃないのかな。今まで『攻殻機動隊』やらでメカやSFはさんざん扱ってきていたけど、サンライズやサテライトなんかの牙城であるスペースオペラを初めとするオリジナルロボットアニメには手を出してこなかった。少し前の『輪廻のラグランジェ』では原作表記されていたけど、どこまで関わっていたのかは不明。気合入れて『コードギアス 反逆のルルーシュ』の副監督を引っ張ってきて、映像的には大成功とも言える各セクションともバランスの取れたクオリティーを発揮しているのに、ここにおいて脚本面で残念な結果が透けて見えてきた。今後の新キャラ追加でどうなるのか…。とにかく、ご都合過ぎてダメでしょw

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2013/06/10(月) 02:24:00|
  2. 翠星のガルガンティア
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