土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『翠星のガルガンティア』#11「恐怖の覇王」の感想。

「ヒディアーズへの対抗手段として、力の誇示による統率の効率化は有効であると結論される。多数の人員を動員し、強固で機能性の高い共同体の維持につながる。さらに…。」
「もう黙れ!俺も…、ここから降りなければ良かったのかもしれない。」
『翠星のガルガンティア』#11「恐怖の覇王」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。




 ちょっと楽しくなってきたかも。地球上にガルガンティアと対立する概念を持つ敵対集団が登場したことによって、物語が盛り上がりそうな感じがする。レドが共生とか文化といった発想を獲得したために、人類銀河同盟の理念を体現するクーゲル中佐の方針に疑念を抱いているあたりがいい。いいんだけど、それはレドの心変わりを無批判に納得した場合の話。なんとも、レドの急な精神的変化がどうして起こったのかはわからないまま。物語や感情のラインがつながらないのは相変わらず。それにしても、今回の一部のカットの作画がひどかった。デザインが統一されていないし、まるで低質なグロス回レベルたった。最終回も近付いて、体力が落ちてきているのかな。

■多様性のロジックを持たない世界観

「ヒディアーズは欲望のままに生き、繁殖するだけだ。あれは、人間とは呼べん。強い者も弱い者も、その理性によって支え合う。それぞれのやり方で貢献し、社会を築く。それこそが人間というものだろう。」
『翠星のガルガンティア』#11「恐怖の覇王」より

「俺はこの船団に秩序を与えた。結果、現支配体制において、船団構成員の幸福度は大幅に向上した。」
「当該文脈における幸福の定義を要求する。」
「銀河同盟の理念においては、幸福とは、個人が全体に奉仕する際の費用対効果が最大効率を発揮する状態と定義される。ゆえに、幸福は統率の安定度に比例する。」
「定義と結論に同意する。」
「そう…、なのか!?」
『翠星のガルガンティア』#11「恐怖の覇王」より

 人類銀河同盟が文化を持たず、個性を半ば認めていないことは今までのレドの行動や思考によって示されてきた。祭りや料理は無駄なものであって、人類銀河同盟の思考を持つレドにとっては不可解な行動として見なされていた。それに、レドは全体への奉仕を念頭に常に置き、自らの思考を放棄していた傾向が見受けられた。それと対比させる図式の元にガルガンティアが置かれていたこともあり、物語が人類銀河同盟を文化のない集団と捉えていることは確実だと思われる。
 なのに、クーゲルやチェインバーはヒディアーズを指して人間ではないと言う。確かに、言う通りだろうとは思う。けど、あんたら人類銀河同盟だって本当に人間と呼べるのかと疑問が出てくる。だって、人類銀河同盟は文化を持ってるの?見ている限り、レドはロボットのチェインバーとそれほど思考が変わらないと思えるんだよね。レドやクーゲルはどうやって自分たちが人間であるという保証を得ているんだろうか。考えていて不安にならないんだろうか。
 むしろ、ヒディアーズが宇宙空間にも適応した生物集団として存在するのであれば、それは生物多様性の観点からすれば当然の進化だと言ってもいい。それを否定することは、多様性の理念を認めないことにもつながってしまう。それは人間どうこう以前に、生物としての本能を否定しかねない。ましてや、ヒディアーズに襲われない方法が模索されるのであれば、そこに共生の関係を構築することによって事は丸く収まる。そんな方向性をまったく顧みる姿勢を見せず、ただただヒディアーズに対抗して殲滅作戦を取る人類銀河同盟には、多様性のロジックと共生の観念と文化的な営為が存在するとは到底思えない。早いとこ、覚醒したレドが人類銀河同盟の押しつけがましい価値観を覆してくれることを祈る。

■構図の変化とレドの気付き

 今まではレドとガルガンティアの対立だった。人類銀河同盟の兵士として無感情で無個性で効率重視で公共性重視で自己犠牲も厭わないレドに対して、ガルガンティアの住人は共生の理念を体現したいかにも文化的な生活を送る。レドの視点からするとガルガンティアの生活は無駄の多いもので理解の及ばないものだった。ただ、そんな無味乾燥なレドの視点からガルガンティアを見つめることによって、何が文化であって、共生が大切なのか、という感覚が客観的に描かれる構図となっていたように思う。レドは客人(マレビト)としてガルガンティアを観察していた。

「弱者は強者に尽くす、それこそが神の定めた節理、だそうですよ。」
『翠星のガルガンティア』#11「恐怖の覇王」より

「この星の人類は、これだけ恵まれた環境にありながら、ヒディアーズに圧倒され、恐怖している。我々の使命は、彼らに戦い方を教え、人類の尊厳を啓蒙することだ。」
『翠星のガルガンティア』#11「恐怖の覇王」より

「中佐は、ずっとこの狭い空間から、大船団の指揮を執っていたのか。俺には真似できん。」
「推察。クーゲル中佐の、コクピットへの隠遁は、自身の存在を象徴化し、船団員に畏怖の念を懐かせ、結果として、強い統率力を生み出す方向に機能していると考えられる。」
「姿が見えないほうが怖い、か。だが、そうやって恐怖を与えることはいいことなのか?」
「恐怖への対処は生物の行動原理の基本である。力の誇示は敵対する者にとっては恐怖だが、服従する者にとっては安息をもたらす。」
「確かに、そうだが…。」
「ヒディアーズへの対抗手段として、力の誇示による統率の効率化は有効であると結論される。多数の人員を動員し、強固で機能性の高い共同体の維持につながる。さらに…。」
「もう黙れ!俺も…、ここから降りなければ良かったのかもしれない。」
『翠星のガルガンティア』#11「恐怖の覇王」より

 しかし、そのガルガンティアで生活を共にしたことにより、レドは文化や共生に対して少なからず理解を示すようになった。その結果、いまだ人類銀河同盟の思考を捨てていないクーゲルと出会ったとき、レドはその発想に直面して疑念を抱いてしまう。知ってしまったからこそ、考えることを始めてしまったからこそ、レドは人類銀河同盟の抱える矛盾に気付いた。そこで、レドは「降りなければ良かった」と気付きを後悔する。
 ここにおいて、物語の構図は「レド対ガルガンティア」から「レド対人類銀河同盟」へと変化する。そもそも最初から「ガルガンティア対人類銀河同盟」という構図であったことは変わっていないんだけど、その間に立っているレドの立場が人類銀河同盟側からガルガンティア側へと変化したことにより、構図が推移したような感じ。
 レドという真っ白なキャンバスに、人類銀河同盟の理念とガルガンティアの理念が描かれた結果、どのようにレドは考えて結論を出すのか。だんだん面白くなってきた。

■レドとクーゲルの風土病

 クーゲルは風土病のために滅菌状態のコクピットから出られなくなったという。これって本当なんだろうか。もしもマシンキャリバーのコクピットが完全な滅菌状態だったとすれば、レドが風土病に罹らなかった理由がわからない。クーゲルと同様の環境で生活していたはずなのに、なぜレドだけ?そして、それは翻ってクーゲルの風土病が本当なのかという疑念を生じさせる。レドが大丈夫なら、クーゲルも大丈夫なんじゃないのかな。まぁ、そこらへんはクーゲルの戦略なのかもしれないけど。
 ほんと、こういう引っ掛かるポイントが多い。ご都合なのか伏線なのか、なんだかシナリオに説得力を感じなくなってきてしまうんだよね。やたらと衒学的な側面を押し出しているだけに、設定を省略すべきところと省略すべきでないところの判断がとんちんかんなことになっている気がする。



 全15話構成らしいけど、本当に終わるんだろうか。いや、どちらにせよ終わるんだけどさwオリジナルロボットアニメを1クールで扱おうとするのって、なかなかの冒険だと思う。それとも、ノベライズを買わせるための戦略なんだろうか。どうにもこうにも、解せぬ!

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2013/06/17(月) 23:12:28|
  2. 翠星のガルガンティア
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◎翠星のガルガンティア第11話「恐怖の覇王」

→クーゲルさん出現>>ピニ:挨拶代わりにかましてくれるぜ、発射!→しかし、反撃される>>レドはどこだレド:これより、銀河同盟の指揮下に戻る#着陸する現地住民を指揮下にお...
  1. 2014/02/26(水) 20:18:28 |
  2. ぺろぺろキャンディー

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