土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『翠星のガルガンティア』#12「決断のとき」の感想。

「みんなをヒディアーズから守ろうと、俺はここへ来た。エイミーを、ベベルを、あの人々を守るために。俺は…。」
『翠星のガルガンティア』#12「決断のとき」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。




 レドの感情のラインがつながらない。いつから人類銀河同盟の方針に逆らうようになったんだ?状況から察して理由を説明することはできるんだけど、レドの感情が変化した過程がほとんど描かれていないため、まるで本編が説明文みたいなセリフの列挙になりつつある。作品のやりたいことは大きく分けて二つ、異文化相対主義的な視点に立った文化価値の見方の推奨と、ロボットみたいな思考だった少年が人間的な感情を持つにいたる物語を描くことだろうと思う。前者はこの作品の特質となるだろうけど、後者に関しては描写が雑なために成立しないどころか、既出の作品で描かれているもののほうが良質な内容だったと思う。映像の仕上がりは近年において屈指と言えるものだろうと思うだけに、理念なき設定をはじめとした脚本面で上手くいっていないのが残念な感じ。

■レドの感情のライン

「ガルガンティアへの攻撃を、中止して頂けませんか?」
「なぜだ?」
「それは…。」
「彼らに肩入れするのなら、一刻も早く啓蒙してやらねばならんのではないか?人類繁栄の版図を拡げるために、優良な人材とする。」
「しかし…!」
「レド、この星に新たな秩序をもたらすことが、我々の使命だ。」
「それじゃ、銀河同盟と何も…。」
「戦線に復帰できないのなら、この地球を俺たちの理想郷、第二のアヴァロンとする。我々の正義に変わりはない。躊躇うな!」
『翠星のガルガンティア』#12「決断のとき」より

 ここでレドが「銀河同盟と何も変わらない」と言って、地球人たちを優良な人材として育成する方針に不満を抱くところがわからない。この発言、不自然。確かにベベルと触れ合ったことにより、喪った弟の存在を強く意識し始めたことはわかる。そのために、戦闘に際して無用とされる人材は排除されるべきという考え方に反感を抱き始めたのも、本編で描かれてきた通りだろうと思う。その論理を推し進めれば、レドが人類銀河同盟の方針に反対するのも肯けることではある。
 でも、それって、人類銀河同盟の方針のごく一部じゃないの?あたかも、その方針が人類銀河同盟のすべてであって、そのために反対しているかのような印象を受けてしまう。いや、他にも実は人類だったヒディアーズと敵対している人類銀河同盟に不信感を抱いているのだろうという推測も成り立つ。誰だって、事実を隠蔽されて納得もしていないまま戦わされていたと知ったら怒るでしょ。まぁ、レドが反対しようとするのも、なんとなく理解はできる。
 問題なのは、これらがすべて推測だということ。本編の文脈を補って理解しているのではなく、単に断片を拾って無理矢理つなぎ合わせると、こんな推測が成り立つんじゃないだろうかっていうレベルの推測な感じ。本編で描かれていないもんだから、レドが人類銀河同盟に反対だとか言い出すと、どうしたの急に?っていう印象を受けてしまう。
 さらには、矛盾と捉えられなくもない描写があるのも問題だろうと思う。そもそも、ヒディアーズが人類だったとしても、レドたちを襲う敵であることには何ら変わりがない。それなのに、レドが戦闘を忌避してしまうのは、筋が通らない。レドは人間を殺すことに対して何の抵抗も感じない様子は#02「始まりの惑星」で描写されていた。それならば、たとえヒディアーズが人間だったとしても、特に忌避感が出るとは思えないし、自分を襲う敵ならば言うまでもなく反撃して当然だろうと思う。
 結局のところ、レドの感情や動機の描写に説得力がなくなってしまっている。もしもレドを観察する役目のキャラクターがいて、その人物によってレドの心境を作中で解説されるようなことがあれば、それが問題の解決策になったのかもしれない。本来ならばレドは自らの意志を主張しながら行動しなければならない、主人公という立ち位置にいる。それなのに、なんだか主張もしないまま行動してしまうため、、いつのまにかガルガンティアを離れ、なんとなく人類銀河同盟に反対しているような印象を与えることになってしまう。レドのモノローグがないのが一番の問題。レドの苦悩や葛藤の吐露であるモノローグがないために、レドの感情が描ききれず、結果的に感情のラインがつながらないような状況を生み出しているものと考えられる。ちょっとレドというキャラクターの扱いに失敗したっていう感じなのかな。現在のレドにとっての理想郷がアヴァロンなんかではなくガルガンティアであるっていう大切な感情の変化すら、この作品は自ら描かずに終わろうとしている。

■人形ロジック

「みんなをヒディアーズから守ろうと、俺はここへ来た。エイミーを、ベベルを、あの人々を守るために。俺は…。」
『翠星のガルガンティア』#12「決断のとき」より

「クーゲル中佐より受令、レド少尉は臨戦態勢へ移行、我が戦闘指揮下へ入れ。貴官の判断を請う。」
「判断か…。俺が判断してお前が実行する、いつもそうだったな。けど俺は、本当に何かを選ぶことを一度もしたことがないのかもしれない。」
「発言の意味が不明である。中佐の指令への…。」
「チェインバー!!お前とストライカーとの戦力比は!?」
「データの不足により、算出不能。質問意図が理解不能。」
「お前はストライカーと戦えるか?どうなんだ!?」
「ストライカーX3752は現在、同盟の軍務の範疇にはない行動を遂行中。交戦対象として認定は可能である。」
「そうか…。なら、俺は中佐と戦えるか!?チェインバー!!」
「その質問への回答は、支援啓発システムたる、当機の機能を超える。戦闘行動の方針策定は、いかなる場合も、これを貴官に委ねるものである。」
『翠星のガルガンティア』#12「決断のとき」より

 説明しちゃダメでしょ。まるで『ゲド戦記』での失敗と同じみたいで、なんだかゲンナリしてしまう。レドが思っていることを発言しているのではなく、ライターが物語を進行させるために発言させているような都合のいい説明セリフに聞こえる。チェインバーのセリフはそういうもんだからいいんだけど、レドの「俺は、本当に何かを選ぶことを一度もしたことがないのかもしれない。」だなんて、そんなこと自発的に出てくるわけないじゃん!っていうか、いつから心変わりしたの!?w
 とにかく、この無感動で無意志なキャラクターが、物語の進行とともに「思い出」を蓄積し、次第に人間らしく成長して意志を獲得するっていうロジックはアニメで多く用いられてきたものでもある。ロボット的なキャラクターだからこそ、より感情の起伏が出たときに印象を強く与えやすい。外見は銀髪であることが多くて、瞳の色も通常の人間とは異なるという共通点を持つ。とりわけ、ここでのレドの変遷は『機動戦艦ナデシコ』のホシノ・ルリと近似値を示しているように感じる。
 ホシノ・ルリもオモイカネというインターフェイスをコントロールするオペレーターだった。人工的に育成された人間であり、あらゆることに無感動で意志を持っていなかった。そんな彼女が、ナデシコでの生活を送ることによって、自らの思い出を獲得し、その生活を守ろうという動機を獲得することになる。この流れは、レドの変化と一致するところが多い。また、物語の仕組みとしても『機動戦艦ナデシコ』と似ている点が多い。特に、敵対している相手が本当は人間でしたっていう暴露がある点が共通する。最終的には自分の所属している部隊から離脱して、反逆するという構図も一致している。ここまで来ると、この作品のプロットが『機動戦艦ナデシコ』を下敷きにして書かれたんじゃないかと思えてくるくらい、よく似ている。さしずめ、ホシノ・ルリを主人公にして、舞台設定を変更して書き直してみました。っていうような感じがする。



 次回がテレビ放映の最終回で、後からOVAで2話が追加になる予定らしい。どうなるんだか。やっぱりクーゲル中佐は生きてなかったし、もはや感情を伴わない無機質な設定の羅列と展開には飽き飽きな感じ。異文化相対主義を前面に出して、ガルガンティアでの生活を丁寧かつ豊富に描いていたほうが良かったんじゃないのかと思えてきてしまう。やっぱり魂が感じられないのですよ。本当に映像がいいだけに惜しい。

テーマ:見たアニメの感想 - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2013/06/24(月) 02:24:56|
  2. 翠星のガルガンティア
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