土星蜥蜴の「筆のすさび」

日々雑感。 アニメ文化に関する気ままな評論・感想を書き連ねます。

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『コードギアス 反逆のルルーシュ』#01「魔神が目覚めた日」の感想。

「さぁ、みなさん、正義に殉じた八名に哀悼の意をともに捧げようではありませんか。」
「黙祷」
「…あれ、やんないの?」
「ディバルは?」
「恥ずかしいでしょ。」
「そうだな。それに、俺たちが泣いたって、死んだ人間は生き返らない。」
「うわ、刹那的。」
「所詮、自己満足。どれだけ背伸びしたって、どうせ、世界は変わらない。」
『コードギアス 反逆のルルーシュ』#01「魔神が目覚めた日」より

以下、ネタバレが多分に含まれますので、ご了承の上でお進みください。


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 頑張って書いた記事が消えた…。超脱力…。。さっきまで、この記事を頑張って書いていたんだけど、間違ってブラウザの「戻る」をクリックしたために消えました。自動で下書き保存されているだろうと思っていたら、なぜか機能してなかった…。もう書きあがる寸前だったのに。。。。。他のタブを開いて基本的な情報を集めながら書くので、たまに間違って押しちゃうんですよ。タブに操作無効のロック機能を付けて欲しい。。それにしても、デジタルのなんと愚かしいことかっ!!w最終的に勝つのはアナログなんでしょうね。両方の特性を生かしていかないと…。反省したいのは山々ですが、心残りでどうしようもない!!
 さて、今回から『コードギアス 反逆のルルーシュ』の感想を書き始めます。頑張って丁寧に一話ずつ感想を付けていこうと思っていますが、三日坊主にならないか不安が…。すでに全話を五周くらい見ているので、改めて見直すと気付かなかった伏線を発見することもあって面白いです。全体に関わる感想も各話に散りばめて書きますので、読む人からしてみればちょっと面倒かも。ただ、『BLOOD+』の感想を一気にまとめて書き上げたときに、その疲れの度合いが激しいことを痛感したので、少しずつ分けて書くことにしました。あしからず、ご了承ください。
 あ~、こんな感じの文章だったと思いますwでも、脳内ではすでに「書き終わった」文章なので、改めて書くことが煩わしくってしょうがない。なので、勝手に省略して言葉足らずになっている部分もあるかもしれない…。まぁ、二回目なんだから初稿よりも上手く仕上げるのが普通なんでしょうけど、あまりの虚脱感からそれすらも億劫に感じられるwとにかく、はじまり、はじまり~。

■『ガサラキ-GASARAKI-』とのつながり

 まずはコードギアスの前史として考えられる『ガサラキ』を紹介したいと思います。その類似点は「日本の枠組み」のようなものを物語の要素のひとつとして取り入れている点や、さらに具体的に言えばガサラキのタクティカルアーマー(TA)とコードギアスのナイトメアが似ている点などがあります。TAは移動の手段としてナイトメアで言うクラッシュハーケンに似た装備を使っていて、これが一番似ているポイント。あんなロケットパンチみたいな装備って珍しいですよね。。ただ、他のガンダムシリーズで似たような装備があるのかもしれませんが、まだ全部を見るだけの時間と心積もりができていないので、なんともわかりません。とにかく、同じサンライズの作品でもあり、コードギアスの監督である谷口悟朗監督はガサラキで助監督をしていましたから、似ているのも自然なのかもしれません。
 その「日本の枠組み」はと言えば、コードギアスでは「日本解放戦線」というネーミングが用いられたり、#01でもカレンの相方がトレーラーの中で自爆するときに「日本、万歳!」なんて言うあたりに象徴的に表れています。だけど、具体的に「日本」なる観念がどんなものなのかは説明されず、曖昧に「日本」という名前が繰り返し使われるだけです。これはガサラキでも同様で、こちらでは革命家の西田啓が「古きよき日本」への回帰を主張して活動する様子が描かれます。どうも「日本」という幻想的な民族意識が使われていて、一見すると「右」よりなアニメなんじゃないかと勘違いされそうで不安になるくらいwだけど、単に「ガジェット」として「継ぎはぎ」的に使われているのか、どちらもあまり具体的に「日本」らしさとは何かといったことは触れられません。
 もとい、とにかく両作品に共通して見られるのは日本の現状に対して不満なり停滞を感じていて、それを変えようとする革命家としての登場人物を使っている点にあります。ガサラキではそれが西田啓であり、コードギアスではルルーシュということになります。けれど、コードギアスではルルーシュは革命家としての偶像的表象が描かれるわけではなく、ナナリーやスザクやカレンといった近しい人間に対する愛憎をはじめとした、内面的な葛藤が描かれます。つまり、ブリタニアに対抗する象徴的な存在として大衆に共有された英雄ルルーシュと、個人的な感情からナナリーを守ろうと奔走するルルーシュとの、両者の間で葛藤する様子こそ、この作品に貫かれたひとつのテーマだと思われます。コードギアスを特徴付ける点はここにあるのかもしれません。
 そういえば、日本って何度となくアニメの中で「革命」されちゃってますよねw潜在的にやるんじゃなくってリアルにやって欲しいような…。まぁ、現国家政府のしたたかなところは、そういった革命家たる英雄を形成するような環境を作っていないところにあるんでしょうね。『攻殻機動隊S.A.C. 2ndG.I.G.』の#26「憂国への帰還 ENDLESS∞GIG」で言うところの「貴国にはコントロールできないカリスマ指導者はいらない。従順な消費者がいればそれでいい。」ってところでしょうかwだからこその、大衆の無関心なんでしょうね。いいような、悪いような。。。

■描かれる「大衆」の「無関心」

 そして、その「大衆」の「無関心」についてはC.C.を載せたトレーラーが事故を起こす場面で描かれています。事故を見ている野次馬たちが「酔っ払ってんじゃないの?」「なになに、事故?」「おい、誰か助けに行ってやれよ」「バッカじゃないの?」「誰か、警察ぐらい呼んであげたら?」「おっ、学生救助隊登場!」とか、カメラで現場の写真を撮っている傍観者の無関心があからさまに描かれていました。大衆て事故をいとも簡単にエンターテイメント化しちゃうんですね(^_^;)その点、他の『ガサラキ-GASARAKI-』(1998)や『攻殻機動隊S.A.C. 2ndG.I.G.』(2004)や『東のエデン』(2009)でも、こういった無責任かつ無関心な大衆に対して否定的に描かれています。

「この世界を動かす意志は、個々の人間のことなど考えはしない。そこにあるのは、圧倒的な無関心だけだ。だから、だから…、この身が世界を動かしてみせる!それだけだ。」(『ガサラキ-GASARAKI-』#22「権化」より)

「俺は半島でのできごとで、人生を達観した。矛盾した秩序、強者による搾取、腐敗した構造。だが、もっとも俺をがっかりさせたのは、人々の無責任さだった。自分では何も生み出すことなく、何も理解していないのに、自分にとって都合のいい情報を見つけると、いち早くそれを取り込み、踊らされてしまう集団。ネットというインフラを食いつぶす、動機なき行為が、どんな無責任な結果をもたらそうとも、何の責任も感じない者たち。俺の革命とは、そういった人間への復讐でもある。」(『攻殻機動隊S.A.C. 2ndG.I.G.』#25「楽園の向こうへ THIS SIDE OF JUSTICE」より)

「でも、私も言っちゃったもん。ミサイルが墜ちたとき、もっとスゴイことが起きればいいのにって。」(『東のエデン』#10「誰が滝沢朗を殺したか」より)

 それぞれ少しずつ意味合いは違っていますが、共通しているのは個人の人格や意志の上に大衆の「総意」と呼ばれるような無意識的共同意志が存在していることです。中でも、『ガサラキ-GASARAKI-』のそれは「総意」を「神」とイコールで結びつけて考えている節があり、それはそれで興味深いものでした。もはや、個人の人格なり意志は神にのみ許されるものなのでしょうか。現代の個々人に対しては、単に「総意」を形成するための構成要素でしかなく、そこまでのオリジナリティーは存在しないのかもしれません。合田一人の言うところの「個性という名の幻想的オリジナリティー」ってやつです。
 これだけの作品に共通するとは言え、単に監督の谷口さんと神山さんがそう考えているだけなのかもしれません。ただ、ここ数年来の時代性を表すものとして「大衆の無関心」といったものが頻繁に取り上げられている点は、見逃せない事実でもあります。

■動機ある者としてのルルーシュ

 そして、そんな個人の意志など、厳然として個人の前に立ちはだかる人間社会を前にしては無力でしかないということが他の場面でもセリフとして表現されています。先に挙げた「どれだけ背伸びしたって、どうせ、世界は変わらない。」っていうのも、そのひとつ。

「あの日から、俺はずっと嘘をついていた。生きてるって嘘を。名前も嘘。経歴も嘘。嘘ばっかりだ。まったく変わらない世界に飽き飽きして。でも、嘘って絶望で諦めることもできなくて。だけど、手に入れた。力を。だから…。」

 ここからも世界の現状に対して閉塞感を感じていることが読み取れます。ルルーシュはギアスの力を手に入れたことによって、「個人」という「無力」な存在から解放され、主体的な行為者として世界の変革に乗り出すことになります。ただ、最初は世界の変革と言っても個人的にナナリーを守りたいという気持ちや父親であるシャルル皇帝に対する復讐といったものが多かったようですが。その点、C.C.が次か次の次の話で不安を覗かせています。
 それに、そもそもルルーシュにはブリタニアを敵対視するだけの動機があり、革命を起こそうとするだけの才覚がありました。「なぁ、ブリタニアを憎むブリタニア人はどう生きればいい?」って言っていますし、幼少の頃にシャルルによってブリタニアを追放されて日本に政治的な道具として送り込まれた経緯もあります。まずは初期設定として、ルルーシュにブリタニア帝国に対して復讐を行うという動機を持たせ、さらにそれを実行に移せるだけの能力であるギアスを手にさせたと見ることができます。しかし、さっきも触れたように、コードギアスで描かれるのは英雄ルルーシュの覇道ではなく、ナナリーのお兄ちゃんとしてのルルーシュです。あくまで描かれるのはルルーシュの内面であって、決して英雄の事跡を追いかけるものではないというのがコードギアスの特徴だと思います。

■作品としての一貫性と構成

 それにしても、改めて見直して最終話までの一貫したつながりを感じます。トレーラーがあんなふうに軍に追われるのも玉城の命令無視が原因だったんですねwキャラ設定がしっかりと行われているのもコードギアスの良作たる由縁です。「撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるやつだけだ。」っていうキャッチーなセリフも#01から使われていたんですね。最終話で使われていることも、作品に一貫性を持たせるためのひとつの手法なんでしょうか。



 はぁ。。やる気が出なかったww次から頑張ります。。。皇暦2010年8月10日にブリタニアが戦争を仕掛けてきた設定ですが、来年は2010年…。本当に戦争が起こったりしてね(^_^;)今日はとにかくデータが消えたショックから立ち直れませんでした。他の感想で心機一転したいと思います。

テーマ:コードギアス 反逆のルルーシュ - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2009/08/16(日) 20:38:33|
  2. コードギアス 反逆のルルーシュ
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